あなたにとって「正義」とは?

「無駄な骨折り」
皆さんはこの言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「苦労したことが何の役にも立たないこと」です。
私は、昨日人生で始めて文字通り骨を折りました。
そして、それはまさに「無駄な骨折り」のように思えました。
しかし、骨折をしたからこそ気づけたことがあります。
私とって「正義」とは何かということに。

私が骨折するまで

近くの公園を散歩していた時のことです。
ふと反対側の道路を歩いていた少年が目に入りました。
彼は手に本を持っていて、よく見ると「英単語ターゲット1900」でした。
そんな彼を見て、移動中も勉強するなんて感心するなぁと思っていたわけです。しかし、そんなのんきなことも言っていられないような局面になります。彼が横断歩道に差し掛かろうとしたところ、かなりの速度で車が走ってきています。危ないと感じた私は「危ないよ!」と声を張り上げたのですが、私と少年にはかなりの距離があったことに加え、少年はイヤホンをしていたため、私の声が届くことはありませんでした。私はこの上ない危機感を覚えました。このまま何もしなければ、少年が危ない。仮に怪我をしなくてても、単語帳を開くたびに自分がひかれそうになったことを思い出すことになれば、彼は二度と英語の勉強ができなくなるかもしれない。

 今思えば考えすぎだったかもしれませんが、英語講師である私にとってそのシナリオは何としても防がなくてはならないと思ったんです。気づいたら体が動いていました。リュックを投げ出し、車に気づかず横断歩道を渡ろうとする少年を止めようとした。自分でも想像もつかないようなスピードが出ました。猛スピードで急接近する私に気が付いた少年は、足を止めました。

(よし、車はどうなった?)

視線を横にずらしたその瞬間、私はバランスを崩しました。

(まずい)

そう思った瞬間に左腕に激痛が走りました。
金槌か何かで骨を直接殴打されたような衝撃。
私は、自分の全体重65キロを左手だけで受け止めていたのです。
当然、左腕が無事で済むはずもない。

(車は、車はどうなった?)

車の運転手は、すでに横断歩道に接近していた少年に気づきスピードを落としていたようで、かなり離れたところで停車していました。すると、運転席からサングラスをかけた金髪の40代くらいの男性が出てきました。

「おいおい、迷惑なんだよ。周りよく見て歩けクソガキ。あとお前はなんだ。いきなり道路に走ってくるなりすっころびやがって。いらねぇ正義感ふりかざしてんじゃねぇよ。」

私は、何も言い返すことができませんでした。
言い方が乱暴だったとはいえ、その男性が言っていることは事実だったからです。少年がもっと周囲を見て歩いていればこんなことにはならなかったし、私が何もしなくても車は停車し、少年が傷つくことはなかった。私は、余計なことをしただけだったんです。

 私がそんな自己嫌悪に浸っている間に、車はどこへ去っていきました。少年は震えながらどうしたらいいのか分からず困惑しているようでした。だから私は必死の笑顔を振り絞ってこう語りかけます。

「移動中もターゲット読んでるなんて真面目だなぁ。さっきの一件でtraffic もaccidentもどっちも覚えられたね。さっきのおじさん、俺の行動を”いらない正義感”って言ってたな。ちなみに正義って英語でjusticeだけど、語源はjustでjustify(正当化する)とかにも使われてるんだよね。面白いよね。」

 なんでこの場で急に英語の解説を始めてしまうのか、自分でもよく分かりませんでした。ですが、私が少年を安心させるために出来ることがこれくらいしか思いつかなかったんでです。

「え、あ、そうなんですね。っていうか、腕だいじょうぶですか ?
折れたりしてませんか?本当にすいません、僕が不注意なばっかりに。」

少年はたいそう申し訳なさそうに私を心配します

「だいじょぶ、だいじょぶ。こう見えて結構鍛えてるのよ。ちなみに”骨折した腕”ってなんていうか知ってる?”broken arm"、brokenは過去分詞ね。もう習ったかな?あと、”You cannot be too careful”も覚えておいたほうがいいよ。文法問題でよく出るから。今の君に一番伝えたいことはそれね。」

 自分でも頭のおかしいことを言っているとは分かっていました。しかし、私は少年が感じている不安を少しでも取り除きたかった。

「あ、あの、ひょっとして英語の先生とかですか?」

少年は私に尋ねます。その表情からは、「不安」はもうなくなっていました。こんな状況でも英語の解説をする私のことを面白がっているのか、むしろ、笑顔でした。

「そうだよ。塾講師やってるのよ。それじゃ、そろそろ仕事だから、行くね。勉強頑張るんだよ。あと車には気を付けるんだよ。」

同僚の支え

 少年の表情を見て安心した私は、その場を急いで立ち去りました。左腕の痛みがそろそろ限界に近づいていたからです。少年にそれを悟られてはまずいと考え、一目散に少年のもとを去りました。腕の痛みがなくなる位置を探りながら、なんんとかアルバイト先に向かう電車に乗りました。このままではまずいと考え、職場の同僚数名に腕のギブスが売ってそうな場所をLINEで聞いて回ります。みんな優しいですね。すぐに返信をくれ、近くの薬局や病院を教えてくれました。こうした対応がどれだけ心の支えになったことか。なんとか応急処置をして、塾の授業も問題なく行える状態になりました。

私とっての「正義」

 今回の一件を経て、私は大切なことを学びました。私は最近失恋を経験し、自分というものを見失いかけていました。「自分にとっての幸福とは何か」と何度も問い続けてきました。でも、何度問い続けても答えが出なくて、露頭に迷っていました。でも、少年がひかれそうと感じたとき、私は、自分の危険など顧みずに真っ先に行動していた。少年が怪我するのを避けるためではなく、その少年が今後も安心して勉強を続けていけるよう願って行動していた。自分で言うのもなんですが、あの時の私は、おそらく今までの人生の中で一番輝いていたのではないかと思います。私にとっての幸福、それは、他者が笑顔でいてくれることです。他者の不安や苦しもを払拭し、笑顔にできる、そんなヒーローのような人間に私はなりたい。実体のない「私のとっての幸福」を追求するより、他者を笑顔にし、その喜びをおすそわけしてもらうだけでも十分幸せではないか、と気づかされたんです。これこそが私とっての「正義」です。

「真の正義」

 人々の中には、こうした私の考えを「綺麗ごとだ」「ねじ曲がった正義感だ」「ただの中二病だ」と批判する方もいるかもしれません。もちろん、おっしゃる通りです。しかし、それは今の私に行動が伴っていないからです。どんなに理想論を語ろうと、それが「口だけ」で行動と結果が伴っていなければ「綺麗ごと」で「ねじ曲がった正義感」と否定されても仕方がありません。しかし逆に行動と結果が伴っているとしたら、それはもはや「綺麗ごと」ではありません。ドクターXに登場する大門未知子のセリフ「私失敗しないので」という言葉は、一見すると「綺麗ごと」のように思えます。しかし、現実にも大門未知子のように高度な医療スキルを持った「失敗しない」医者は確かに存在します。行動と結果があれば、「綺麗ごと」は「綺麗ごと」ではなくなります。「ねじ曲がった正義」は「真の正義」になります。もちろん、「中二病」と非難されることもなくなる。

 私が自分の正義を貫くために出来ることは何か。それは3つ挙げられます。まず、知識を蓄え、世の中への理解を深めること、分かりやすく言えば勉強することです。次に、いざというときに体を張って他者の危機を救えるよう、さらに体を鍛えること。最後に、目の前にいる他者を笑顔にできるよう、積極的に他者と関わることです。

 失恋で心が砕けようとも、左手が動かせなくなろうとも、私は死ぬまで自分の正義を貫きます。それが私の人生なんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?