「キレイ」にもいろいろある 2

忙しくてだいぶ間が空いてしまいました、反省。


前回はクリーンルームについて書きましたが、今回はまた別視点で記事を書いてみようと思います。

「コロコロ」はキレイか

掃除道具のコロコロ、私はよく使います。
説明するまでもないとは思いますが、表面が粘着シートになっていてゴミをキャッチする仕組みですよね。ではここで突然ですがコロコロが本当に「キレイ」かを考えてみます。

コロコロの表面にはうすーく粘着剤がついています。詳しい成分は製品によって多種多様と思いますが、共通しているのは、いい感じにゴミをキャッチする程度の粘着力を持っているというところです。全然ゴミをキャッチできなかったら掃除用具として使えないし、あるいは粘着成分がコロコロした絨毯にがっつり残ったりしてしまうとかえって汚れていけません。

だからいい感じの粘着力にしておいて、ゴミだけをキャッチできればベストですが、実際にはコロコロした箇所には超々ほんの少し粘着剤が残るんじゃないかなと私は思うのです。
要するに、コロコロをかけて目に見えるサイズの大きいゴミをキャッチすると同時に、目に見えないレベルで粘着剤で汚しているのではないか、と。

とはいえ実際の私はコロコロかけた場所を「粘着剤で汚くなった!」なんて思いませんし、おそらく多くの他の方も同じと思います。
でも実際の物理現象としては、粘着剤の汚染が起きているような気がしています。きっと電子顕微鏡でコロコロした絨毯のBefore & Afterを比べれば差が見えて、その時初めて「汚くなってるじゃん!」と言えるかもしれません。

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私は視力が結構悪いので普段メガネをかけています。家でお風呂に入る時は当然メガネを外して入るため、周りがよく見えていないのですが、休日に風呂掃除をしようと思ってメガネで浴室を見ると、こんなに汚れていたのか、、、とショックを受けます。

つまり「キレイ」or「キタナイ」の判断は、そもそもヒトが認知出来なければ不可能ということです。日常生活においては、目で見る(視覚)+におい(嗅覚)を主として汚れかどうかの判断をしているはずで、そもそも感じることができないものは判断がつかないのです。


まとめ
コロコロで掃除したつもりが、ミクロには汚れているのかも?

※この記事にコロコロを否定する意図は決してございません。
 私はこれからも掃除のためにコロコロを使います。

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