ミスド

私の祖母は現在老人ホームで暮らしています。もともと社交的で明るい人なので、入居後はすぐに友達もできて、洗濯物を畳むなどの軽作業でスタッフの手伝いなんかもしているらしく、充実した日々を送っているようです。現在はコロナの影響で家族であっても面会ができないそうですが、時々ホームページで祖母の様子をこっそり覗いています。元気そうです。

祖母が老人ホームに入居するきっかけとなったのは、アルツハイマーを発症したことでした。

祖母はとある流派のいけばなの先生として活躍し、リーダーシップもあり周りからの信頼も厚く、食欲と好奇心が旺盛で、明治ミルクチョコレートをこよなく愛し、和食より洋食派、私が小学校を卒業すると小学校の教科書を、中学校を出ると中学校の教科書を、更には国語辞典や漢和辞典まで読みたがる、そんなエネルギッシュでとてもしっかりした人でした。たった1人の孫である私がとても可愛かったのでしょう。私には何でもできる聡明な人になってほしかったようで、書道やそろばんを習うことを勧めたり、しゃべる地球儀や広辞苑などをプレゼントしてくれたりしましたが、どこで道を間違えたのか大変出来の悪いアンポンタンになってしまいました。

まあそれは置いといて。

そんな若々しい祖母が、同じことを何度言っても忘れ、生活習慣も狂い、日に日にできることが減っていきました。5分に1回同じことを聞いていたのが1分に1回、30秒に一回とどんどん多くなっていき、普段服用していた薬(何の薬だったのかは不明)を飲まなくなり、入浴や食事の時間もずれていき、ついには昼夜逆転の生活をするようになっていきました。廃人と化していく祖母の姿を見るのは家族としてとてもつらいものがありました。

ボケ(老化?)が進むと、感覚も鈍くなっていくようです。

祖母は幼少時代に大病を患い、そのときに嗅覚を失っているため、火にかけた鍋を焦がしても気づかないことがボケる前から稀にありました。しかし、ついに鍋から煙が上がり、部屋中に煙が充満していても気づかないくらいになってしまいました。また、当時入院中だった祖父の見舞いに行こうとタクシーに乗るも、入院先の病院を忘れ何故か山奥まで行ってしまったり、金銭感覚もおかしくなり謎に大量のお菓子を買い込んだりすることも出てきました。家族のことを忘れることはありませんでしたが、仕事や学校で昼間誰もいなくなる中でこのような状態の祖母をひとり置いておくのは危険と判断し、老人ホームに入居させた方が良い、という結論に至りました。私が大学2年の時です。

しかしながら、本人はボケている自覚が全くなく、家族や医者が指摘しても一切聞く耳をもってくれませんでした。自分は皆に頼られるしっかり者だ、というプライドからだったのでしょう。誰が何を言ってもダメだということで、祖母の同意を得ることなく老人ホームへ入居させることになりました。ついでに入院していた祖父も、退院と同時に入居させました。

祖父は退院と同時にまっすぐ入居させることができたのですが、問題はどうやって祖母を老人ホームに入れるかでした。これからは老人ホームで暮らす、と祖母に言っても聞き入れてくれるはずがありません。

何日も考えた末に出した結論が、「出かけよう」と言って車で老人ホームまで連れて行くことでした。私が帰ってきている夏休みにそれを決行することになりました。

まず、入居の手続きなどがあるので先に母を車で老人ホームに送り、その後家に戻り祖母を車に乗せて老人ホームに行く、というものです。悪い言い方をすると、祖母を騙したのです。良い言い方は何かと聞かれても私には分かりませんが。4年経った今でも騙したという感覚です。

老人ホームへ向かう道中にミスドがあるので、ミスドに行こうと提案しました。すると、甘いものが大好きな祖母は喜んでお出かけの準備を始めました。ワクワクしながら服を選び、化粧をする祖母を見ていて、とても胸が苦しくなりました。ミスドに着いて、祖母はおいしそうにドーナツを頬張り、山ぶどうスカッシュのうまさに感動しながら、私と一緒にいる喜びを全身で感じ、楽しんでいるようでした。

私が免許を取ってからは、私の運転で祖母と出かけることがよくありました。買い物に行ったり、美術館に行ったり、私のバイト代で大好物のラーメンやオムライスをご馳走したりしました。祖母の喜ぶ顔は本当に可愛らしくて、嬉しいものでした。

でもそんな楽しい時間をもう過ごせなくなります。祖母はそんなことなど知る由もありません。私は涙を堪えながら祖母とドーナツを食べました。

味のしないドーナツを食べ終え、店を後にしました。

車を走らせながら、私は涙でかすむ目を必死に見開いて、母と祖父が待つ老人ホームへ向かいました。車が家とは違う方向に走って行くことが祖母に気づかれなかったのが幸いでした。それだけボケていたということなのでしょうが、もし気づかれて、どこに行くのか聞かれていたら私はどうなっていたのでしょうね。

車はとうとう老人ホームに到着しました。祖母は、外で待っていた母とスタッフさんによって素早く車から降ろされ、あっという間に老人ホームの中へと吸い込まれていきました。

母を車に乗せ、家に帰りました。大仕事を終えた私に、母は泣きながら何度も謝ってきました。

仕方のないことだったとはいえ、あの時の罪悪感は今でも私の中に深く刻まれています。今も時々ミスドには行きますが、そのたびに思い出して胸が締め付けられる思いがします。おいしいけど。ミスド。

祖母は今年の10月に88歳になります。去年、祖父の歳を超えました。コロナ次第ですが誕生日にはプレゼントを持って会いにいきたいと考えています。

どうかこの調子で長生きしてけろ。

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