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「命か?経済か?」ではなく、“命と命の選択”が今起きている。という主張は、本当なのか?

今起きているのは、「命か?経済か?」ではなく、“命と命の選択”
といった主張が本当なのか?を、確かめるために読んだこの本。

よく例に出される、「失業率アップが、うつ病やひいては自殺者の増加を生む」は、過去日本だけでなく世界各地で起こってしまった現象のようですが、不況と緊縮財政(特に公衆衛生予算と医療費のカット)が組み合わさると・・

「平均寿命が2.4年も短くなった」(ソ連崩壊後のロシア)、「心臓発作の発生件数の増加」(リーマンショック後のヨーロッパ)などなど。
健康そして命に深刻な影響を与えたエビデンスが、これでもか・・と載っていました。

驚いたのは、感染症の流行も引き起こしてた、というデータさえ。
・結核(同じくロシア)
・HIV(アジア通貨危機後のタイ)
・ウエストナイル熱(例:サブプライム後の米国)

筆者の主張は、「不況下でも積極的な財政支出をすることで、健康被害は抑えられる!」でしたが、惜しむべくは、それらが長期的に持続可能か?が議論されていなかったこと。
(特に日本みたいな万年財政赤字の国で、最悪ハイパーインフレへ道を踏み外さないのか?経済破綻にともなう厚生低下は、これまた真)

今度はマクロ経済と金融、ちんぷんかんぷんですが、ちゃんと自分の頭で理解したいです。


(昨今の件の感染症と経済に関連して、補償&積極財政派ととはいえ経済回させろ派のどちらにも、個人的には与しないという前提のもとで)
不確実性が大きいなかでは、リスク回避に大きく振ってブレーキを踏む(←「予防原則」と呼ぶらしい)選択は、一定の合理性があると理解しています。

一方、さまざまなトレードオフがあり、また被害のレベルもデータが見えある程度は予測可能な段階になったとしたら、その時には、
・疫学や医療の観点からだけでなく(ましてや集団心理のバイアスに左右されず)
・経済あるいは環境への影響などトータルに見据えた

“不幸の最小化”を目指す政策決定がなされること、切に願ってます。
(医療資源という制約条件のもとでの、何次かの連立方程式?あっ、でも目的関数も定まってない。霞ヶ関や永田町の優秀な方々なら、きっとバランス解を見出してくれるはず・・m(_ _)m)

そんな観点からの議論が、今もどこかできっとされているはず!と、信じながらですが。

これまではアンコントローラブルな事象は手放し(※市民として一定の関心は維持しつつも)、個人としていかに良いインパクトを与えられるか?に集中して、思考やアウトプットをしてましたが、
この2,3ヶ月ずっと、「社会はいかにあるべきか?」に関心が寄ってしまった(←学生時代みたい!)のを実感しております!・・

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