村を2分した平成の大合併論議から20年
賛成1446票 反対1735票
今から約20年前。人口約4000人の小さな村で実施された市町村合併を問う村民投票の開票結果だ。
*当時、高橋村政が進めた飯山市と野沢温泉村の合併は民意によってひっくり返された。翌日の村議会全員協議会で高橋村長は「私の村政に対する不信任案だ」と述べ、年明け1月19日付けで辞職した。在任期間3年3ヶ月余。1期目の途中だった。
(*参考、引用文献:民が立つ 地域の未来をひらくために 2007年10月)
私の議員活動1期目の僅かな経験上だが、平穏な村が揺れ動いた瞬間だっただろうと容易に想像を膨らますことができる。
当時、非常に厳しい財政状況に置かれていた野沢温泉村。近隣市町村との行政単位の合併という道筋を高橋村政は思い描いた。国が進めた、いわゆる*平成の大合併だ。(*平成11年(1999)から政府主導で行われた市町村合併。①地方分権の推進 ②少子高齢化のへの対応 ③地方の厳しい 財政状況克服 ④日常生活園の拡大 など自治体を広域化することによって大きく4つのメリットを生み出す目的とし推進された。 平成17年(2005)前後に最も多く合併が行われ、市町村合併特例新法が期限切れとなる平成22年(2010)3月末に終了した。)
当時は何度も村民説明が開かれ、時に激しい議論にも発展。現在では考えられないが、議会の常任委員会への傍聴に村民が多く参加したと聞いている。議員はもちろん村民が慎重審議し、非常に高い投票率の元、過半数を超える住民の意思で自立という選択がなされたわけだ。
現在の野沢温泉村は豊富で良質な雪JAPOW (ジャパウ)を求め、または長年地域住民が築き上げたココにしかない「特有の伝統文化」を求め世界中からお客様が集まるグローバルな村になっている。
「合併がなくても存続している。」「合併していたらどのような現在があったのか。」そんな話題は当然表立っては起こらない。なぜかと言うと、当時それだけ主義主張が2分した難しい議題だったからだ。顔が見える相手と村の将来をかけてどちらかを選ぶ。意思表示によっては昨日まで地域の仲間だった相手が敵になるような状況であったようだ。この合併議論を話題に出すことはタブーであり、批判もあるかもしらないが、これからの未来を考える際には過去から学び現状の把握することも大切だと考えるからだ。
当時、合併議論の中心で奮闘した皆様も年齢を重ね、徐々にではあるが、村内組織にも変化も出てきている。その間、国籍問わず多くの移住者も地域に加わり、長野県北部の山村は雰囲気も変容してきている。大きな変化を何度も経験する野沢温泉村の歴史を振り返っても、これだけ短期間に情勢が変わることは珍しいと思う。
そんな激動の時代に議員活動1期目を過ごしている私はできる限り正しい判断、つまりは現在と未来に「地域、住民のためになることは何か」を考えながら日々の生活をここ野沢温泉村で過ごしている。もちろん観光で訪れる方へのサービス維持向上やおもてなしも大切だが、やはりそこに根ざす住民の幸福度が高くなくては張りぼてになってしまうし、持続性がない。
何が住民にとって。地域にとって望ましいことか。そんなことを考えているうちに、気になることがでてきた。物価高騰や国内外の不安定な情勢の煽りを大きく受け、当村が予定していた事業計画に影響が出始めていることだ。予定している事業を推進した場合、財政規模に対しての借入額のバランスを見る指標が数年後には悪化するという課題が見えてきた。つまり行政事業の自由度、柔軟性が徐々に下がっていくということになる。借入を起こし投資した案件が、イニシャルコストはもちろんランニングコストを含み鑑みた上で収益化されず、多くの施設が赤字経営になっている現実。地方ではありがちなパターンだとは思うが… 。 金銭的な利益を生み出すのか、あるいは村民の生活環境の改善などに繋がるのか。などの道筋が見えれば理解度は深まるが。どちらも不明確な施設も存在することも事実。行政主導の施設を収益化することに対しての「民業圧迫」などの考えから積極的な収益化への動きは貧しく施設に投じられるコストは嵩む一方である。人員不足も施設運営の継続を見据えた際には大きな課題となる。
兎にも角にも世界から注目される野沢温泉村も他の地方同様に楽観視できない状況になっているのでは?という感覚を私は持ち始めた。
合併議論が起こった際の判断基準のひとつに財政難という課題が大きな焦点になった。合併問題は当時、村民に考える機会を与えた大きな出来事になったが、全容をまったく知らない方、あるいは当時のことが徐々に記憶から薄れてきている皆様もいると思う。もちろん、口には出さないが当時の意見の対立による小さなコミュ二ティが歪になった寂しさや、苦しい踏ん張りの時期を今でも忘れていない村民もいるだろう。
この記事は平成の大合併議論の批評や単なる振り返りではなく、問題提起に対して真剣に向き合った村民の過去から学び、これからの未来にどう生かすか。どのような心構えで臨むべきか。現状の分析もしながら改めて地方行政、ひいては自分たちが住む地域のことを真剣に考えるきっかけになればという思いで、この繊細な話題に触れてみた次第だ。
今から100年前
大正12年、野沢温泉スキー倶楽部が発足。その後、倶楽部が中心となり村民の力で現在の野沢温泉スキー場の礎となる日影第一リフトを建設。昭和の後半、高度経済成長によってスキーレジャーが急激に拡大。一般企業から土地買収やリフト建設の申し入れが相次いだ。倶楽部は村外資本に撹乱されまいとスキー場経営権を村へ移管。選手育成のソフト面はスキークラブが継続して担うという関係性が成立した。当時から歴史と伝統を重んじる先人の皆様の精神が伺える象徴的な出来事である。スキーブームの波に乗り田舎の行政は観光産業で急成長することになる。他の市町村よりも先進的にインフラ整備も進み、村民は豊かなライフスタイルを送ることができるようになった。観光による地域経済の活性化から大きな恩恵を得ることになったわけだ。
(参考文献 Nozawa onsen ski Club 100th anniversary book より )
その後、バブル崩壊。そしてスキーブームの終息…スキー場売上が行政の企業課を介しスキー場運営並びに行政運営の底力になっていたものがぐらつき始める。国内でもトップクラスの「裕福な村」に雲がかかり始める。
2000年代前半に合併議論が起こった際の村財政の状況は非常に厳しく、「このままでは立ち行かなくなる。」そう思ったのが当時の村政であったのではないかと思う。当時、行政の財政状況を判断する公債費比率は20%を超えその後早期健全化基準である25%を超える数字になっていることから、一定の地方債の起債が制限される指定行政となっていた。これはその先に明確な税収や人口増が見えないとかなり厳しい状況である。具体的に言うと住民の税料の負担など急激に増加し、血税頼りでやりくりするような状況でもある。
村の将来を決めるべく
20年前に行われた村民投票。賛成反対どちらの立場も揺るぎない郷土愛は共通してある中での難しい判断だったように思う。
結果は自立で歩むことが決定。
当時は現在のインバウンド入り込みをここまで想定できていたわけでもないと想像するが、スキー場移管に至った精神にも似た「村外、村内」といった内外的思考が働き「村が消えてはならぬ」の想いが優ったように思う。
いずれにしても財政面においては村民投票後も多難なスタートとなった。
合併反対派として新たに村長になった河野村政。新体制以前から行われていた行政幹部、職員給与のカット、議員報酬の削減など経費の見直しを引き継ぎ、借入額も最小限に抑え、派手な事業は一切なく粛々と辛抱の行政運営が行われた。
時を同じくして民営化し経営の健全化を図る狙いで野沢温泉スキー場は現在の株式会社野沢温泉温泉が運営する指定管理者として村から任命を受け立て直しに入った。
4年後には村の公債費比率も回復し指定団体からの脱却タイミングで、現在まで4期続く富井村政の誕生となる。スキー場も経営再建に取り組み、出口が見え始める。そして、2年後の2009年に大きな転機が訪れる。過疎地域に対して非常に有利な債権発行が可能になる過疎指定地域としての認定だ。ここから借入額が急激に増え始め、村内の老朽化施設を中心に多くの改修工事が実際された。 借入額の3割のみが地方行政負担で済む好条件を追い風に、手の届かなかった改修等に積極的に取り組み過疎地域の課題解決の一助となった。多くの予算を獲得し続けた現富井村政の手腕はさすがであり、豊富な行政経験の賜物だと思う。
2015年前後からインバウンドの流入により地域経済の活性化が進み村内の事業所も回復を始めた。一方で1990年台後半から2000年代の不景気に耐えきれなかた企業や個人事業主は所有の建物を手放し村外へ移住するケースも徐々に増え始める。豪雪による生活への支障も心配し移住を決意する方もいたはずだ。
現在まで継続事業を行っている村民、あるいは新規の事業者は現在のインバウンドで先の見通しがたってきたようにも思うが、自立を選んだ当時は想定していなかった外貨の獲得や有利な起債など後押しもあっての現状を忘れてはいけないように思う。
村政の借入額については合併議論の直後は年1億円台まで絞った経緯があるが、その後は毎年2億円から11億円の幅の中で毎年借入行っている。かなりの投資となっている。R7年においては14億円の借入も予定されている。一方で先にも述べたが、住民の生活環境向上などを目的に投じられた施設の収益的なパフォーマンスは低く全ての施設で赤字経営となっている現状もある。
現在の歳入における自主財源比率は30%程。人口数も減少傾向にある。
では、何で歳入を得るのか。人口に起因、依存する部分も多い地方交付税、あるいは法人税や個人所得税、固定資産税などいくつもの項目がある。村の見込みでは経済活動の回復による法人税、所得税が僅かに増収していくものの人口と比例して減少する様々な税収減、つまりは財政規模が縮小していくと見込んでいる。施設やインフラは経年によって例外なく劣化が進む、修繕が必要となる。それを支えるのは村民になる。人口2000人台を想定し、真剣に向き合わなくては間違いなく村民一人当たりの税料の負担は大きくなると考える。さらに地域特有の課題としては地域の伝統文化継承=人々が繋ぎ続けてきたものが持続可能であるかという点だ。今後、村民人口が2000人時代に突入すると予想され、2060年には1000人台も見えてくる。次世代の村民は現在の多岐にわたる組織や役職が存在する仕組みの中で郷土愛や根性論、昔からこうだったから... では乗り切れない状況となってくると思う。
さて、どうしていくのか?
再合併議論なのか?
いかがだろうか?
私、個人としては長期的に見た場合、国内の多くの地域が統合せざる得ない未来が来るとは思うし、当村も例外ではないと思う。すでに現時点で高齢者介護やゴミ処理、火葬場、消防活動など広域で取り組んでいることがある。むしろ広域で取り組まないとできないことが既にいくつも存在し、実働している。
その他、観光面においても広域連携による取り組みが行われ、訪れる人にとって便利にそして楽しめる環境整備を整える動きがある。可能な範囲は更に広域連携で手を結んでいくべきだと考えている。つまりは行政合併を選ばずとも既に合併に近い動きが年々進んでいるということだ。
しかし、民意で行政合併を選択しなかったわけであり、連携の範囲にも一定の限界がある。その上で何ができるのか?何をすべきか考えることが重要だと思う。
いまや、野沢温泉村には村民だけではなく多くのファンが日本中、世界中にいる。
まずは、私たちはどうなりたいか?どんな生活が幸せか。行き先を見据え。多くの方々に協力を仰ぐことで人口減少に対して悲観しているだけで終わることなくこの地域が末長く豊かに続いてことも可能だと思う。
今後も民意で判断した独立行政で生きていくことを前提にすると、冷静に見なくてはいけないポイントは行政単位の会計で動いているものがまだまだたくさんあるところだ。R6年度、村の全8会計の総額は76億円にも上る。行政単位の投資の方向性を見極めハンドリングし、責任者となるのは二限代表制である首長と議会である。その支持者となるのは紛れもなく村民である。この部分は住民票(投票権)を有しない関係人口あるいは交流人口の方々は直接関与できない。行財政が健全に保たれるような創意工夫を行政頼りだけではなく村民が知恵を出しあい真剣に考える必要があると思う。その大きな意思表示のひとつは選挙でもある。(当村の改選はR7年3月)
議会では日々、様々な案件が提案され審議、議決に入る。我々議員も大きな責任を担い意思表示する。私個人としてはできるだけ会議室だけでの判断にとどまることのないように、外部に向けた情報共有に取り組んでいるところであるものの、まだまだ足りないと感じている。
自分自身の将来像。または愛する家族がどのようなライススタイルを理想とするのか。一人一人が考え、その考えが小さなコミュニティで共有され、さらには地域の声が行政に届き、将来の理想郷をつくるべく次の時代に歩みを進める時がきているように思う。
自立を選んで20年。地域の強みを再確認し、独自性のある施策に積極的に取り組むことが必須だ。いまこそ、思考を停止することなく現状維持のバイアスを解除し、常に前進していくためのきっかけになるような積極的なコミュニケーションを取り、行政に反映していくことが、過去に小さな村を分断してまでも議論をし、結論を出した村民投票の意味につながるのではと考える。
少数の民意によって動かすことができる地方行政の果たす役割は重要であり、同時に夢もあると思う。自分たちが生きる地域のことに 興味を そして 関心を。
さあ、
君たちはどういきるか?
私たちはどういきたいのか?
私は村議会議員1期目4年目の最終年度になります。
引き続き情報や考えを共有しながら職務を全うしていきます。
この記事が地方が豊かで幸せに生き続けられる地域になるためのキッカケになれば幸いです。
上野雄大
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