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茶道を始めたきっかけ・前編

「茶道をはじめたきっかけはなんですか?」


僕は仕事がファッション関連という意外性もあってかこの質問は今まで何百回とされてきた。
服装を含めた見た目が、皆さんが一般的に想像する茶道のステレオタイプと異なるからかもしれない(サムネはあえてお茶とは無関係にしてみました)
まぁ見た目以前に、
「20代、30代」
「男性」
のタグで茶道に親しんでいる時点で物珍しく思われるのも無理がない。

以前、Instagramで茶道を始めたきっかけをアンケートしたことがあるのだが、「親族や知り合いがやっていたから」「学生の頃茶道部だったからその延長で」という答えが過半数だった。家族が茶道をしていたから自分もというのは動機としてわかりやすい。
また、学生の頃茶道部だったとはつまり10代のうちから茶道に親しんでいたということだろう。
いずれにせよ、茶道愛好家は成人するまでに何かしらの形で茶道に触れている方か、ごく身近な人間が茶道をやっていたということがマジョリティだと思う。

さて、前置きが長くなったが僕が茶道を始めたきっかけを話そう。
実は、僕は成人するまでまったくお茶とは無縁の人生だった。
なにせ、両親や祖父母、叔父叔母までふくめて茶道をやってる人は1人もいない(祖母は華道は嗜んでいた)。
部活は中学高校と陸上部、大学でも茶道部には入っていない。
大学卒業後はアパレルメーカーに就職したのだから仕事の関係で茶道を習うということでもなかった(これが呉服屋ならまだしも)


お茶所と言われる金沢に生まれ育ちながら、大学の「地域文化概論」という講義を受けるまで僕は大袈裟ではなく茶道のさの字も知らなかった(利休はさすがに日本史で知ってたけどそれくらい)
抹茶をはじめて飲んだのも大学の文化祭だった気がする。

そんな僕が茶道を習うきっかけとなったのは、

「二十歳のアメリカ旅行」

がきっかけだった。



二十歳でアメリカ旅行と書くと少し勘違いされるかもしれないが、僕の実家はかなり貧乏である。
両親は共働き、しかも父親は学生運動でやらかした過去を持ち定職についておらず、職を転々としていた。
家族で外食は滅多にないし、家族旅行はほとんど経験がない。
15歳で両親が離婚してからは母親に女手一つで育てられ、小学校を卒業してからは親に何か買ってもらった記憶はない。
成人式のスーツは買ってもらえた。
(だから、まさか大学へいかせてもらえるとは思っていなかった。母親には感謝してもしきれない)

そんな僕がなぜアメリカへ行ったかというと幼馴染がボストンに留学していて遊びに来ないかと誘ってくれたのだ。
2005年の3月、大学2年の春休みだった。
旅程はまず、フロリダで現地集合し数日フロリダに滞在。ディズニーワールドなど観光した後ボストンへ移動し最終的にニューヨークへ行くというスケジュールだった。
旅費が気がかりだが、当時僕はパチンコ屋でアルバイトをしていて月にかなり稼いでいたのでそこで賄った。
(ちなみに、海外旅行は1年前の大学1年の春休みに台湾へ、大学2年の夏休みに中国へ行っていたため初海外旅行ではない)

僕は小松空港から成田へ、成田からダラスを経由してフロリダのオーランド国際空港へと到着した。



余談だが、海外旅行は初めてではないとはいえ1人で出入国は初めてで、当時はもちろんスマートフォンもないし国際携帯電話の機能も割高なためけっこう不安だったことを覚えている。
そして、いきなりオーランド空港に僕の荷物が届かないというトラブルにも見舞われていきなりテンパったものである。
(アメリカに到着して、英会話ガイドブックで最初に開いたのが「トラブルにあったら」のページという)
ちなみに、僕は英語は当時も今もほとんど話せない。
気合と笑顔だけである。
そんな状態で、

「とりあえずフロリダで現地集合!」


と設定した友人もなかなかのSっぷりで面白いのだが。。

荷物が届かないトラブルがありつつも友人と無事合流。
ヤンキースのオープン戦で地元出身の松井秀喜選手を応援しにいく途中で交通事故にあったり(ハイウェイでタイヤがいきなりバースト)
ディズニーワールドの3dayフリーパスポートを2日目に友人が紛失したり(ほとんどディズニー回っていない)

という、トラブルに遭遇しながらもフロリダ観光を数日楽しむのだが、フロリダ最終日にまたしてもトラブルがあり、そこでのある光景が僕を茶道へと誘うこととなる。

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