「結果が全て」の真実
J3 Y.S.C.C.横浜に所属している
安彦考真選手がTwitterで
サッカー選手にとって
「結果が全て」というのは
何にとって「すべて」であり、
何を根拠にそう言うのか?
という発信をされていて、
「この問い考えたら面白そうだな」
と思って自分なりに考えてみました!!
そもそも
なぜ結果が重要視されているのか?
まずは根本的に
なぜ結果が重要視されているのかを
考えてみました。
1番分かりやすい例が
結果を残さないと記憶に残りづらい
という点だと思います。
これは「日本一高い山は富士山」
ということを多くの人が知っているけど、
2番目、3番目になった途端認知されなくなる
みたいなことですね。
だからこそ
大きな大会の決勝戦などでは
「優勝しなきゃ意味がない!結果が全てだ!」
という人が多いのかなと。
他には
応援しているチームがある
ファンの方の目線で考えてみると、
応援しているチームが
どれだけ面白いサッカーをしていても、
結果的に負けてしまったら
歯痒い気持ちを感じることってあると思います。
僕はバルセロナのファンなので
どれだけ面白いサッカーをしていても
レアル・マドリードに負けてしまった時は
発狂したくなります。
( #実はレアルも好き )
つまり
自分が応援していたチームが負けてしまうと、
潜在的に
「このチームを応援していた自分が否定された」
と感じてしまうため、
負けることを嫌い
結果を追求しているのかもしれません。
他には
サッカー選手としての評価という視点で
考えてみるとどうでしょうか。
例えば
あなたが海外のサッカーチームのスカウトで
とある日本人のA選手とB選手から
「獲得してください!」
という売り込みがあったとします。
2選手は体格もそこまで変わらず
能力も同じくらいです。
しかし、
A選手は試合にほとんど出場していないのに対し、
B選手はチームの中心で
得点を量産していたとします。
この時あなたが
海外サッカーチームのスカウトなら
どっちの選手を注目しようと思いますか?
たぶん答えはB選手ですよね?
なぜなら
A選手の目に見えるデータがないから
だと思います。
結果というのは
目に見える指標になると思います。
だからこそ
採用試験では実績を書く欄がありますよね。
特にデータが少ない時に評価される基準は、
どれだけ私生活や練習で
真剣に取り組んでいたかではなく
試合に出てどれだけ結果を残せたかですよね。
他にもたくさん理由はありますが、
これらのことを考えると
結果を重要視することは当然のこと
だと思いました。
では果たして「結果が全て」なのか?
重要なのはここからで、
本当に「結果が全て」なのでしょうか?
僕の答えは
「YESでありNOです。」
( #一番ずるい回答の仕方 )
例えば
優勝がかかった大1番の試合。
選手やクラブ、ファン・サポーターの方々は
この日を目指して力を合わせてきました。
そんな目標を達成できるチャンスが
目の前にある時に
「今日は結果じゃなくて
内容の方が大事でしょ!!」
という人はほとんどいないと思います。笑
結果を出すために
内容を意識することは分かりますが、
この時は優勝することが目的であるため
「結果が全て」ですよね。
一方、
このような選手もいました。
その優勝がかかった大一番の試合を
目の前にして、
「優勝することも大事だけど
俺はこの注目されている試合で活躍して
上のチームにステップアップしていきたい!」
と考えていました。
この選手の目的は
優勝することではなく
『自分が活躍してステップアップすること』
だと思います。
なので、
仮に優勝したとしても
自分が全く活躍できなかった時は
たぶんそこまで嬉しくないと思いますし、
優勝できなかったとしても
活躍して注目されたことで、
ビッククラブへの移籍が実現したら嬉しい
と思います。
つまり
この選手の場合は「結果が全て」ではない
ということですね。
ここから何が分かるのかというと、
「結果が全て」というのは
そのチームや選手の目的によって変わる
ということです。
例えば
練習試合の目的はなんでしょうか?
練習試合というのは
練習で取り組んできたことを
実戦で試す場であり、
課題を克服する場であると思います。
この場合での目的は『成長』ですよね?
だからこそ
「練習試合では結果よりも
選手・チームの過去からの成長に
フォーカスするべき!」
というのは
浅はかな考え方だと思っていて、
(実は違うと思っておりやす)
練習試合であっても、時と場合によっては
「結果が全て」になる時があると思っています。
例えば
相手が強豪チームで
アピールしたい時ですね。
大学生の時に
よくJクラブと練習試合をしていましたが、
ここでチームとしても個人としても
活躍して結果を残せば、
「あそこのチーム強かったね!
特に◯番の選手印象に残っている!」
と興味をもたれることに繋がります。
言ってしまえば
サッカー選手としての就活ですね。
このような場合では
練習試合の目的が成長ではなく
『アピール』や『夢を叶える』になり
「結果が全て」になる選手もいると思います。
「結果(が全て)」は
『手段』であったはずなのに
いつしか『目的』になっている?
「結果が全て」というのは
選手やクラブの目的によって変わる
ということを上記で書きました。
高校サッカー選手権は
みんなが目指してきた本番であるため、
目的は優勝することであり
「結果が全て」だと思いますが、
一方、
そこに至るまでの練習試合の目的は
基本的には成長することだと思うので、
「結果が全て」ではないということですね。
つまりあくまでも
「結果(が全て)」というのは
目的を達成するための手段である
ことが分かると思います。
しかし、多くの人が
手段であるはずの「結果(が全て)」を
目的だと勘違いしているのかなと思いました。
例えば
とあるチームの目的が
「このチームに関わる全ての人を笑顔にする」
ということなら、
あくまでも
「結果が全て」ではなく
結果を出すことは手段の一つで、
それ以外にもやることはあり
応援してくれる人たちと積極的に関わって
良好な人間関係を作ることなども
大切な要素だと思います。
そんな中で
「結果が全てだ!」
と時と場合を考えずに言い続ける人がいたら
その人がズレていることが分かると思います。
つまり
「結果が全て」を使っていい時は
時と場合によっていて、
『絶対に結果を出さなくてはいけない時だけ』ということになると思います。
これを多くの人が
使っていいタイミングと
使わない方がいい時を分けなかったから、
スクランブルエッグぐらい
ごちゃ混ぜになってしまったのかなと。
(なんとなくここまでの話
伝わっていますかね?笑)
「結果を出せばみんな喜んでくれる!
結果を出さないと評価されない!
結果が全てだ!!」
ではなく
「多くの人を喜ばせたり
自分たちが評価されるための手段として
結果を意識する必要があるよね!!」
みたいなことが本来の形であり、
もし勝つ(結果を出す)ことが目的であるならば
「結果が全て」になる場合もある
ということですね。
んでもって
この辺と繋がる話を最後にして
終わりたいと思います。
なぜ負けた試合でも人は感動するのか
安彦選手が
3対1で勝った試合と0対1で負けた試合。
負けた試合が称賛されることもある。
ということを言われていました。
なぜこのような現象が起きるのかというと
そのチームや選手たちが
そこに至るまでの
プロセスや過程を知っているから
だと思います。
漫画ワンピースの主人公であるルフィが
「海賊王になりました!!」
というような
結果だけしか分からない内容では
何も感動は生まれないと思います。
「へ〜 そうなんだ!」
で終わりですよね。
しかし、実際は
強的なライバルとの死闘を制し、
親愛なる兄を失い、
それでも立ち上がり
また夢に向かって突き進んでいく。
そのような夢へのプロセスが
漫画を通して可視化されているから
人は共感し、応援したいと思い
感動が生まれるのだと思います。
負けた試合でも感動が生まれるのは
まさにこれと一緒ですよね。
その試合をするまでに
どれだけキツイ練習を経験してきたか、
どれだけ何かを犠牲にしてきたか、
それらを知っているからこそ
心が動かされるのだと思います。
つまり何が言いたいかというと、
もし個人や組織としての目的が
「関わる人を笑顔にする」
とか
「良い影響を与えられる存在になる」
みたいな、
『絶対に結果を出さなくてはいけない』
という目的ではない場合は、
(基本的にはどこの組織の
一番大きな目的はそうだと思う)
今一度
「結果が全て」という考えではなく
「結果」あくまでも手段であり、
他にも取り組むべきプロセスがあるよね!
ということを
改めて考える必要がある気がしていることです。
僕自身、
多くの人に感動や希望を与え、
笑顔になるキッカケを作れるような
選手になりたいと思っていて、
そのためにも
結果を残すことは大事だと思っています。
なぜなら
結果を残しているかどうかで
影響を与えられる人の幅が変わるからです。
ただ、
「結果が全て」とは思っていなくて、
それ以外にもやるべきことはある
と思っています。
現代は自らが発信できる時代であり
自身のプロセスを可視化させることは
容易になったと思います。
人の心を動かせる選手になるためにも
まずはこのブログを通して
自分の内面(プロセス)を
可視化させていけたらなと思いました!!
おわり
ブラウブリッツ秋田 No.10 下澤悠太
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