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僕の仕事

○5時30分

目を開けると吊り革のようにぶら下がる乾ききった洗濯物たち。レンジから出てきたご飯に卵を落として勢いよく流し込む。今日こそ帰ってきたらアイツらを畳んでやろうと意気込んで、玄関を開ける。

きっと絶対に、やらない。

○7時3分

芸術ともいえるバランスで積み上げられたノートの山。前日の僕がやらなかった丸つけ。アイツらは片付けられなかったが、せめても!という想いで赤ペンのキャップを外す。

人生とは「昨日やっとけばよかった」の連続だ。

○8時5分

暖房を付けたばかりの教室に一人目の子どもがやってくる。みんなといる時は大きく振る舞うくせに、一対一の時に挨拶をすると、彼はいつも決まって恥ずかしそうにしかたなく返事をする。4月の僕は挨拶を返してくれない彼を冷たいと思っていた。でも、彼なりの照れ隠しなのだということを今の僕は知っている。

○8時50分

授業を始める。今日の算数は難しいよ?と心の中で思う。大丈夫、今の君たちならできるよ。

○10時25分

最近、休み時間は外に出る子が増えた。今度ドッチボール大会があるのだけれど、この間の練習試合で3組に負けて子ども達は相当悔しがっていた。翌日にクラスで打倒3組を掲げて作戦会議をした。「絶対にボールに背中を向けないこと」を確認して、悔しい気持ちが冷めやらぬままに中休みにやりたい子は練習をしている。

僕も外には出るけど、わざとドッチボールには参加しない。自分達で声をかけ合う姿を少し離れてみている。こういう時は声をかけずにいるのがいいはずだ。自分達でやってごらん。先生が口を出すと「先生がいるからできた」と思ってしまう。小さな我慢が、子ども達を育てるのだ。 

勢いよく背中にボールがあたる。


「おいおい!ボール見ろ!背中向けんな!次切り替えて外野から当てればチャンスになるぞ!いけいけ!そこだ!いいぞ!おしい!何やってんだ!前向け!ボールそっちにあるぞ!!」

人生とは、「我慢できないこと」の連続だろう。

○12時15分

子ども達が楽しみにしていたTベースという野球を簡単にしたようなスポーツがある。4時間目ははじめての練習試合だった。みんな初めてだったが、下手なりに一生懸命バットを振る。さらに、敵チームなのに「がんばれ!もうちょっと上にバットを当ててごらん!」などという声が飛び交う。とてもいい雰囲気だった。

しかし、4時間目の終わりの時間を過ぎても、なかなか全員が打ち終わらない。あと3人。

○12時58分

4時間目が伸びたせいで、体操着から着替える時間が遅くなり、その結果給食を食べ始めるのが遅くなった。全員を打たせたいと思ったが、調理員さんをものすごく待たせてしまったし、何より子ども達を急がせてしまった。

「先生が悪かった。給食の時間を奪ったし、みんなを急がせちゃってごめんね。」

コロナが作った給食中の静けさ。前に立って、自分のミスを謝った。大人という立場を利用して、自分のミスを無かったように見せるのは難しくはないが、ちゃんと謝れる大人でいたい。

○14時25分
5時間目の授業が終わる。廊下に出るところを後ろから呼び止められる。普段からよく相手の目を覗き込むように話す子だったけど、その時は目を見ずにこう言った。

「さっきのは先生があやまることじゃない。先生はみんなに打つ順番が回るようにしたんでしょ。みんなのことを思っただけ。もし悪いとしたらわたしたちも悪いの。だからあやまることじゃない。」

トイレに行って、ちょっとだけ泣いた。

○18時59分

保護者への連絡、丸つけ、明日の授業準備、理科の予備実験、眠くなる会議。疲れて乗った電車は行きたい方向と反対側に進んだ。

人生とは「間違えること」の連続だろう。でも、間違えてもいいと今日は思えた。

これが僕の仕事だ。

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