日本酒が美味しくなった。江戸時代の酒造りと現代について。
江戸時代とは
江戸時代は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代であり、この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府と呼ばれています。(1603〜1867年の265年間)
その時代は
城下町・港町・宿場町・門前町・鳥居前町・鉱山町などの様々な特色を持った町が生まれ
江戸は人口100万人の世界最大の都市(同時期の京都・大阪が40万人)になり
18世紀後半には欧州で産業革命が起こり「農業より」商業化なんていう言葉が出てきて、資本主義の国となり
美術、工芸、歌舞伎や芸能なんかも盛んな時期になりました。
要は米ばかり作ったり、陣取り合戦ばかりしていた時代から大きく変わり、娯楽を売る事でも生活が出来るようになった時代です。
そば、天ぷら、寿司、などなど現在でも引き継がれるような、素晴らしい調理法が生まれた時代でもあります。
そんな美味しい物が生まれている時代。
もちろん、酒造りにとっても大きな時代でした。
そんなことについて今回は書いていこうと思います。
6つの大きな変化
ざっくり言うと、こんな事が起こってます。
・寒造りが定着
・火入れ(低音加熱殺菌)の一般化
・段仕込みが定着
・杜氏制度が確立
・柱焼酎(アルコール添加)が始まる
・水質の重要性の判明により、兵庫県が全国最大の生産地に。
それでは、1つずつ見ていきます。
・寒造りの定着
この時代の前までは四季醸造と言われ、1年を通して酒造りをされていたのですが、寒い方が日本酒造りにとって環境も良いし、農民は暇だし、って事で冬以外に作っちゃダメってしちゃいました。
禁止してしまう、と言うところがすごいですね。どれだけ不味い酒を飲みたくなかったのでしょうか。
ちなみに、ですが今は年間通して作れます。冷蔵設備がしっかりとしているので。
沖縄で唯一日本酒を作っている泰石酒造さんはこの四季醸造を取り入れて、年間を通じてお酒を醸しています。
・火入れ(低音加熱殺菌)の一般化
フランスの科学者のパスツールさんがビールやワインの劣化を防ぐために、50-60度の温度で加熱殺菌する方法(パストゥリゼーション)を発表。(1865年)
しましたが、日本では江戸時代にはもうこの低温加熱殺菌が行われていたそうです。菌の動きを止めるというのが最初の目的だったとは言え、発表がある二百年も前からこの技術に気付いていた。というのはすごいです。
・三段仕込みの定着
詳しくは「日本酒の作り方〜」を見て頂けると、幸いです。
要は、日本酒を作る過程で、腐らせないためにとる大切な技法の1つです。
この3つをまとめると
美味しい時期にお酒を作るようにして、1年の保存も出来るようになって、農民も蔵人も1年中働けるようになって、労働力の無駄がなくなり、美味しい酒により日本酒を飲む人も増え、幕府の財源が潤うじゃん。
と言う事です。資本主義、恐るべし。
産業化していきます
・杜氏制度の確立
農民まで酒造りをし始めた。と先ほど書きましたが、原材料の米をよく知る農民だからこそ、酒造りのスペシャリストもたくさん生まれました。
その酒蔵の労働者を「蔵人」と言いますが、その長を「杜氏」と言います。
いわゆる、蔵の中での社長です。で、社長の下にはそれぞれのセクションの責任者として
・頭:杜氏からの指令伝達、蔵人の指揮、仕込み水汲みなどの責任者
・大師or麹師:麹関連の責任者
・酛廻or酛師:醪関連の、責任者
といった「三役」と呼ばれる杜氏の右腕のようなポジションがあり、その下に追い廻しだったり、釜屋だったりがいました。
こういったいわゆる会社のような組織作りも、この頃から確立していきました。
・柱焼酎(アルコール添加)が始まる
顕微鏡もない時代です。先述した通り、腐敗に強くなる酒を作れるようになったとは言え、確実ではない。という事でアルコール度数の高い焼酎を加えると醪が腐りにくくなるという事が分かり、これを柱焼酎と呼んでいました。
これが、原材料でいうアルコール添加の始まりです。
後に、日本酒に水で薄めた醸造アルコールを入れて、グルタミン酸や糖分を入れた三増酒といものも開発されました。が、これに関しては賛否両論を呼んでいたそうです。
というより、現在は作られていないところを考えると美味しくはなかっただろうな、と考えられます。少なくとも、作り方を聞く限りは美味しくなさそうですし。
・水質の重要性の判明により、兵庫県が全国最大の生産地に
現在でも最大の日本酒の生産地である兵庫県灘地方で「宮水」と呼ばれる良質な水が発見されました。
初めは同じ原料、醸造法、製造時期まで全ての要素を同じにしても、灘と同じお酒が出来ない事がわかった。というのが発端で、今度は灘の水を他の場所に持って行き、作ったところほぼ同じお酒が出来たところから水の重要性に気付いたそうです。
現代でもしんどいであろう実験を全てアナログでやるとは、江戸時代にも相当熱心な醸造家がいたのは間違いなさそうです。
その他にも、六甲おろしと呼ばれる寒風が冬に吹くこと、港が近い事などが理由となり、日本全国で最大の生産地となりました。
山田錦は三重で発見された山田穂という酒造好適米を兵庫県に持って来て、開発されている事からも、優秀な酒蔵さんがこの地で育ったのだろうという事がわかります。
組織が出来、雇用が生まれ、研究があり、良いものが開発され、と、産業化が進む事で日本酒は進歩した。
江戸時代は酒造りにとってそんな激変の時代でした。
今はどんな時代?
少し昔の日本酒は、おっさんが熱燗で飲む物でした。
ちょっと前までは吟醸ブーム。
今は純米酒だったり、大吟醸だったり、色々な酵母のお酒が飲めたりと、飲む人の趣向に合わせて色々な日本酒が楽しめる時代です。
二十代の女性が「オシャレー」なんて言って一杯目にスパークリング日本酒を飲む時代です。
それは本当に嬉しい事で
酒蔵さんの創意工夫によって生まれた新しい味と多様性
日本酒を広める活動をしている人々
それらの賜物だといます。
日本酒に関する記事も、かなりの数毎日書かれています。
とは言いつつも、データで見るとそこまで消費量は増えているわけではなく
平成23年を境に微増している程度です。
(農林水産省のグラフを拝借しています)
一方で、海外への輸出は年々増加傾向にあり素晴らしい伸び率を見せております。
まだグラフには顕著に表れてはいませんが、フランスでは「クラマスター」という酒評論会があり、そこではフランス人が酒のランク付けをしているそうです。
「フランス人だから大吟醸とか綺麗なのが好きなんじゃないの?」
というイメージですが、むしろ逆で、プレジデント賞はちえびじんの純米酒が受賞されていました。
どうやら、日本人に比べて硬水を飲む事に慣れているフランス人にとって、純米酒の雑味は美味しさの一部と感じるようです。
今後、関税も減るらしく、それらも追い風になっていくでしょう。
そもそも、人口が減っているのに日本酒の消費量が増えてる。と言うのは良い事実です。
未来を予測するなんて不可能ですが、日本酒にとって、明るい未来が訪れるような気がします。
読んでいただき、ありがとうございます。
国酒である日本酒をもっと広げていく。僕のその中の一部の人間になりたいですね。
では^ ^
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