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16歳から19歳。

何歳になっても、私の中で大事すぎる3年間。
もうその頃の日記も携帯データもなくて、記憶の引き出しから引っ張らなきゃ思い出せない程になってきているけれど。

形に残っていなくても確かに愛され続けていたということ、今なら分かる。今だから分かる。

毎日遠回りして私の通る道で一緒に通学してくれて、重たい私の自転車に代わって電動自転車を私に渡してくれて、帰りは何時になっても待っていてくれたこと。
部活もテストも私とおんなじだけあるのに、”頑張ったね”って毎回ご褒美を用意してくれていたこと。
私の事情を分かって、いつでも味方でいてくれて守ってくれて許してくれたこと。
毎日毎日、「もういいです!もう分かりました!」ってくらい愛を伝えてくれたこと。
他の人になんて興味の一ミリすらもない。誰がどう見ても私一筋で、友だちから沢山羨ましがられたこと。
お揃いもプレゼントし合ったものもたくさん。
約束も記念日も絶対に忘れないし、記念日もお誕生日もサプライズのオンパレードだったこと。ちょっと暇つぶしがてら作って渡したお菓子なんかに、なんでそんなに、、ってくらいの感想とお返しのプレゼントまでくれたこと。
文化祭で可愛いなあって見てた花冠、私がちょっと離れて戻ってきたら手に持って待っていたこと。
アルバイトの初任給だって私に。それから、お給料が入るたびにニッコニコの笑顔で「さー何食べたい!」って手を引っ張ってくれるんだから。
私の姉妹も、友だちのことビックリするくらい大切にしてくれて、反対に自分の家族にも友だちにも私を紹介して一緒に遊びに連れて行ってくれたこと。
アルバイトを始めた私の送り迎えは絶対、そして反対方向のお家まで必ず送ってくれたこと。
進学の為の面接を蹴って、私の試合の応援にきてくれたこと。
毎日毎日笑わせてくれて、たっくさん笑顔にさせてくれたこと。
遠出経験のない私をサプライズでディズニーまでひとっ飛びさせてくれたこと、遅くに出られないことを考慮して日帰りスケジュールを作ってくれたこと。
門限の厳しい私のことを、必ず門限までにお家に送り届け続けてくれたこと。
どんな意地っ張りにも付き合って、ただそばにいてくれたこと。

キリがないなあ。ほんとに。打っても打っても出てくる。

車がなくても、門限があっても、部活で一日休みがなくても。
それでも、数えきれないくらいの思い出がある。
数えきれないほど、愛されていた記憶がある。

毎日の行き帰りで生み出したゲームたち、大音量での熱唱、
フードコートでした100円のオセロ、寄り道だらけの帰り道。
初めての浴衣花火、みんなにキャーキャー言われながらおんぶしてもらったり手を繋いだりして撮った学校行事での写真、観覧車でお祝いしたお誕生日、ガレージで真っ暗の中で食べたホールケーキ。記念日毎に数字の風船持って撮ったプリクラ。
乗れないのに計何回!ってくらいに行ったユニバ、クリスマス特等席で見た演出。
持ってる移動手段自転車か電車しかないのに近畿全部制覇して、お出かけの度に何十枚も写真が増えて。

大人になって変わっていくのかも知れないけど、
車があるとかお金があるとか全然関係ないな。
趣味が違うとか、考え方が違うとかなんて、もっともっと関係なかったな。

誰かを愛する、誰かに愛されるということを学んだ3年間。
お互いに変わっているからこそ、戻りたいはないけど、
やっぱり大事な3年間だったなあ。

学んだ人の愛し方を大事にして、大事な人を大事にしていくし、
愛されていた記憶を基準に、自分を大事にしてくれない人とは離れるんだ。

大事な大事なことを教えてくれてありがとう。
貴方の声とか匂いとかの何もかもを忘れてしまっても、愛されていた記憶と
教えてもらったことは忘れないで記憶の引き出しに大事にしまっています。

あ、そうだ。私、貴方と離れてからこれまで後悔しか無かったけど、やっとその後悔が拭われる時が来たんだよ。貴方と同じような温かさで私を愛してくれる人に出会えたよ。私以上に私を愛してくれる人。私はこれからその人を大事に、その人と一緒に生きていきます。
ありがとう、やっとやっと、さようなら。

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