傷の回帰と作品の提示

 自分が魂を込めたものを他人に手渡す時のあの時間の記憶が幾らも返ってくる。私自身は良いものと感じるものを手渡しても、それがなんとも言えない表情の元に受け容れることを拒否される時のあのなんとも言い難い苦痛。何度も何度も感じることがあったのだった。その度に私は自分のことを責めた。そういうものをしか作ることのできない自分がいけないのだと責めたのだ。そうして次こそは相手にとっても響くようなものを作れたらと思った。だが。話はおそらくはそういうことではない。私が自らの生を肯定することができていないから自らから生まれた作品を相手に手渡す時のその反応ばかりが気がかりになってしまうのである。そう今の私は知っている。
 小説を提出することでこれほどの傷が蠢くのには正直驚かされたが、今もまだあの傷口が開き続けてあるのだと自覚される。傷に呑み込まれてしまう時のこの言いようもない沼の感覚にはいつまでも慣れることはない。

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