さとりのこと

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さとりのことを思い出すときにはいつも、あのちいさな呼びごえが、聴こえるのだった。居るよ、今も、居るよと声が聞こえる、聞こえる、のだから、居るのだと思う。この星の上に。

さとりと出逢った日の事をもう思いだすことはできないで居る。ある時にはもう其処に居て、わたしのほうを、じぃ、っと見つめる闇のなかの眼が在った。さとりは遠いどこかの星から来たのかもしれないなどと言ったとするならばきっと驚く人もたくさんいることだろうと思う。なにもわたしもほんとにそんな風には思ってはいるわけではないけれども、なんだかそう、思ってみたくなるきもちも今はしてくるから不思議なものだと思う。

さとりはいつもわたしのことを見ていたと、思う。思うのは勝手なものだから、そう思うのもわるくはないこととも思われてくるものだ。さとりの時間は止まってしまったと書くとき、それはほんとうか。わたしは今もさとりのことをよく思い出すことができるのだからそれは今も生きている。さとりは今は一体何処に居るものなのだよう。わたしには及びもつかない所、わたしの眼には、触れようにもふれられずに在るところに居て、今もわたしの側で何かを言って居るのが聴こえてくるのだと想う。わたしは忘れてしまいたくはないけれど、忘れるなどということが、ほんとに可能なことなのかも、わたしは知らずにいるものであるのだから、わたしは今では、もう、思いだすことをも叶わないはずの記録の夢をここに観ているものであろうと想われるのだから、わたしは今も思い出そうとする、何を? 何を思い出そうというのだろう、か。わたしは、知りたい、知りたかったのだと思う。よぞらを駆けて行ったあのこの星に溶け込んでしまったようなあのさとりのすがたを、そしていまもまだ尚わたしの背中にひしひしと感じられてくる、あの〈大地〉の〈声色〉からの無数の夜空の星々の宴のようにして鳴る、あの〈世界の奏で立つ音の事〉をだ。

わたしはさとりとよくはなしをしたと想う。わたしが話しかけるあの無言の叫びのような〈声〉を、彼は確かに聞いていたのであったことをわたしは疑うべくもないのだから、わたしは信ずるものでありつづけるのだろうと想う。あの夜わたしはたしかにあのさとやんとよくはなしをしたのだ、と。そうしてまた彼がわたしに話かけてくれた事を、わたしが忘れるわけにはいかないのだと、わたしは想って夜を過ごす一羽の鳥となればいいのだから。

「おまえといられて、よかったよ」と、

確かにわたしにむけてそう言ってくれていた、さとりが、居たことを、

わたしは生涯、わすれることはないと想う。

命の火が燃えながらわたしの眼の奥には確かに灯ってみえていたのだからそれは、たしかに灯っていたものだろうとわたしは信ずるものなのだ。

わたしにとっての真実界のある事を、もはやわたしは疑うことは無いのだと、わたしは黙ってそらを見つめていたことをも、きっとわすれはしないよと、誰に何を言われようともその事をわたしは大事に守りとおしていくつもりだよ、と

わたしはそらへと誓うだろうから心配するなかれよ、君よ。さとりの火が消える時、よぞらの星がまたたくかのようにしておまえはそらに変わっていたとわたしは感ずるものであったのだからそれはわたしにとってのまがう事無き真実なのであるのだ、と、おまえは黙って誓うがよいのだと、そらがわたしに言うのが聞こえてくるのであった。さとりは今はこの星の上には居ないものだけれどもやっぱりこの場所には居るものなのだとそらがそう言うものだから、わたしはそれをこそ、信じて見つめて日々を生きてみたいと思うのだから。わたしはもう、わたしを、疑いは、しないと決めたのだから。さとりはいる、けれどいない、けれど、いるあるいることをしているのだとわたしは大地に寝ころびなから空を見つめかえすあのしろい星の事を想い続けるものだと思う。わたしはついに、〈大地〉に〈居る〉ことをが、できるようになってしまったのだと、さとりのおかげでそれは可能ならしめたことなのである、と、わたしはそれをはっきりと自覚するに至ったのである。

さとり、有り難うございます、

わたしは今ではこの星に、

居るものみたく

成ることが出来たものなのですから。

さとりはいまも居る

ありがとういまも

きこえるよ

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ありがとう、さとやん。

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