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スティーヴ・キスラーと2つのワイナリーの歴史 History of Steve Kistler & two wineries

スティーヴ・キスラーは1978年にワイナリー、キスラー・ヴィンヤーズを設立し、特にシャルドネで高い評価を得ました。2011年には自身の新たなワイナリー、オクシデンタルを設立し、2017年にキスラー・ヴィンヤーズを離れました。現在はオクシデンタルで世界トップクラスのピノ・ノワールを家族と長年のチームと一緒に作り続けています。


キャリア初期

スティーヴ・キスラーは1970年代中頃にリッジ・ヴィンヤーズでキャリアをスタートしました。1975年に初めて収穫に携わり、ソノマのハリソン・グレード(チャールズ・ハインツ・ヴィンヤーズがある)のジンファンデルの畑のブドウの運搬を担当しました。キスラーの回想では、リッジの畑の中では最も西にあったので、その畑は「オクシデンタル・ヴィンヤード」と名付けられたそうです(英語のoccidentalという言葉は「西の」という意味)。カリフォルニアのワイン産地の中で冷涼とされるソノマでも比較的暖かいガイザーヴィルやリットン・スプリングズのジンファンデルとはワインの特徴が大きく異なっていて、リッジで働いた2年間強の間に冷涼な気候のオクシデンタル・ヴィンヤードのジンファンデルを特に好むようになったとキスラーは述べています。

キスラー・ヴィンヤーズ設立から人気ワイナリーへ

1978:キスラー・ヴィンヤーズ設立

1978年にマーク・ビクスラーとキスラー・ヴィンヤーズを設立しました。ソノマの内陸のロシアン・リヴァー・ヴァレーに本拠を置き、高品質なシャルドネで次第に人気を博します。

1991:初のピノ・ノワール

このヴィンテージがキスラー・ヴィンヤーズが最初にリリースしたピノ・ノワールです。また、この頃から特にシャルドネで爆発的に人気が上昇しました。ちなみに、キスラー・ヴィンヤーズはシャルドネとピノ・ノワールで有名ですが、設立当初から1993年まではカベルネ・ソーヴィニヨンもリリースしていたそうです。

2人の男性
スティーヴ・キスラー(左)とマーク・ビクスラー(Occidentalより転載)

オクシデンタル設立に向けて

1992:冷涼気候のピノ・ノワールとの出会い

キスラーは、1992年に初めてスーマ・ヴィンヤードのピノ・ノワールを飲んで心を奪われ、カリフォルニアの海岸に近い地域におけるピノ・ノワールの将来性を確信したと述べています。その翌年から海岸に近いフォート・ロス-シーヴューのピノ・ノワールのキュヴェを作り始め、1995年にはスーマ・ヴィンヤードの近くにピノ・ノワールを植えました。

1999:オクシデンタルの基盤

この年、キスラーはボデガ・ヘッドランズ地区に100エーカー(約40ha)の土地を購入し、2001年には20エーカーにピノ・ノワールを植えました。この土地がオクシデンタルの基盤となり、現在のボデガ・ヘッドランズ・ヴィンヤードSWKヴィンヤードはここにあります。ちなみに、キスラー家はボデガ・ヘッドランズ地区の最上部に建てた家に2007年から住んでいるようです。

なお、このピノ・ノワールは、1990年代初頭にブルゴーニュのヴォーヌ・ロマネの2つのグラン・クリュの畑から採集されたブドウ樹をキスラーが何年もかけてフィールド・セレクションしたもので、オクシデンタルのすべての畑に植えられています。

2008:株式譲渡とアシスタント

キスラーがキスラー・ヴィンヤーズの株式の一部を2008年1月にデュレル・ヴィンヤーズのオーナー、ビル・プライスに譲渡しました。当初は部分的な譲渡で、徐々にプライスの投資額(持分)が増えていったようです。また、ハドソン・ヴィンヤーズからジェイソン・ケスナーをアシスタントに迎え、それまでキスラーとビクスラーの二人三脚だったキスラー・ヴィンヤーズの転換点となりました。ただし、キスラー自身の立場や役割はそれまでと変わりありませんでした。

さらにこの年、ボデガ・リッヂ地区に250エーカー(約100ha)の土地を購入しました。現在のボデガ・リッジ・ヴィンヤードランニング・フェンス・ヴィンヤードはここにあります。

ブドウ畑にいる2人の男性
スティーヴ・キスラー(左)とジェイソン・ケスナー(New York Timesより転載)

二足のわらじ

2011:オクシデンタル設立

キスラーは2011年にオクシデンタルを設立しました。この年がファーストヴィンテージで、当初からピノ・ノワールだけを生産しています。オクシデンタル設立以前からキスラー・ヴィンヤーズで働いていたスタッフの一部がオクシデンタルに移ったようです。

2012年にはボデガ・リッジ地区(2008年購入)の65エーカーにピノ・ノワールを植え、2013年にはその畑の中にワイナリーの建物が竣工しました。

2017:キスラー・ヴィンヤーズ退任

2017年12月にキスラーがキスラー・ヴィンヤーズを退任しました。2008年から9年にわたってケスナーを弟子としてキスラー・ヴィンヤーズの仕事を引き継いできましたし、キスラーの娘の1人(キャサリン)がこの年にオクシデンタルに加わって彼と一緒にワイナリーの業務全般をするようになったことで、オクシデンタルに専念する環境が整ったようです。また、キスラー・ヴィンヤーズ設立以来のパートナーだったビクスラーが11月に亡くなったことも影響したのかもしれません。

建物とブドウ畑
オクシデンタルのワイナリーとブドウ畑(CMS Wine Marketingより転載)

現在

第2世代の台頭

キスラーの2人の娘のうち主にキャサリンが、畑仕事から醸造、ワインの出荷から卸対応まで幅広くワイナリーの業務を担当しているようです。さらに、キスラー・ヴィンヤーズからスティーヴ・キスラーと一緒に働いてきた栽培や醸造のスタッフの子どもたちもオクシデンタルに加わり、第2世代がワイナリーを牽引しつつあります。

ブドウ畑にいる1人の男性と1人の女性
スティーヴ・キスラー(左)と娘のキャサリン・キスラー(Skurnik Wines & Spiritsより転載)

豆知識

ウェスト・ソノマ・コーストAVA

ソノマ・コーストAVAのうち特に海岸性の気候が顕著な地域を中心にしたAVAで、2022年5月に承認されました。オクシデンタルはその南端に位置します。ブルゴーニュのコート・ドール地区(コート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌ)より少し広いです。

地図
ウェスト・ソノマ・コーストAVAの地図(West Sonoma Coast Vintnersより転載)

「オクシデンタル」 という名前

スティーヴ・キスラーと「オクシデンタル」は様々な関わりがあります。今でこそ自らのワイナリーの名前となっていますが、おそらく彼にとって最初の「オクシデンタル」は1975年にブドウの運搬を担当したリッジのオクシデンタル・ヴィンヤード(ハリソン・グレード)というでしょう(この畑が今どうなっているのか不明です)。その後、1995年に大手ブドウ栽培農家のウォーレン・ダットンと共同でソノマのテイラー・レーンにあるピノ・ノワールの銘醸畑スーマ・ヴィンヤードのすぐ近くの畑にピノ・ノワールを植え、それをリッジの畑にちなんでオクシデンタル・ヴィンヤードと名付けました。このテイラー・レーンのオクシデンタル・ヴィンヤードはダットンが所有しキスラー・ヴィンヤーズが借り受けて、2003年までキュヴェ・キャサリンに使われるブドウの供給源でした。その後、オレゴンを本拠地とするワイナリー、イヴニング・ランド・ヴィンヤーズがこの畑をダットン家から購入し、キスラー・ヴィンヤーズのラインナップから外れました。なお、ダットンはより内陸にオクシデンタル・リッジ・ヴィンヤードという畑を1999年から2000年にかけて開墾し、のちに家族が売却しています(彼は2001年に死去)。キスラーはこのオクシデンタル・リッジ・ヴィンヤードの近くにオクシデンタル・ステーション・ヴィンヤードという畑を所有していて、1999年にピノ・ノワールを植えました。キスラー・ヴィンヤーズからオクシデンタルにラベルが代わりましたが、今もスティーヴ・キスラーはこの畑の葡萄からワインを作り続けています。現時点ではオクシデンタル(ワイナリー)の畑の中で最も東にあるので「オリエンタル・ヴィンヤード」と呼ぶ方がよいかもしれません。

しかし、なぜ「オクシデンタル」を冠した畑が多いのでしょうか?スティーヴ・キスラーは、彼が最初に出会った「オクシデンタル」であるリッジのオクシデンタル・ヴィンヤードの名前の由来についてリッジの中では最西端の畑だったからと述べていますが、おそらくオクシデンタルというの近くにあったのが理由だと思われます。オクシデンタルの町は19世紀末の西部開拓時代に建設され、鉄道や林業を中心に栄えました。リッジのオクシデンタル・ヴィンヤード(ハリソン・グレード)はおそらく町の2km北東、オクシデンタル・リッジ・ヴィンヤードオクシデンタル・ステーション・ヴィンヤードは1km東にあります。なお、オクシデンタルの町の5km南東にフリーストーンという町があり、ワイナリーのオクシデンタルはそのそばにあります。

地図
ソノマ郡南部とその周辺の地図(Osmosisより転載)


参考文献

注:タイトルの画像は各ワイナリーとカリフォルニアワイン協会のキャンペーンのロゴを筆者が加工したものです。

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