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鳥居龍蔵を知っていますか

最近鳥居龍蔵を読み直している。

もちろん、ある原稿の依頼を受けたということもあるのですが、鳥居龍蔵の顕彰にかかわるようになって、単に「郷土の偉人」というのではしっくりこない。実は、現代日本考古学において、鳥居龍蔵の評価はすこぶる悪いんですよね。この評価の食い違いはどこから来ているのか。顕彰を中高生の歴史・考古・民族学・民俗学・人類学入門と位置づけてる以上、この現状に一石を投じておく必要があるのではないだろうか?

 一方で、今日の日本考古学につながる「何か」があるという手応えも持っていました。鳥居龍蔵の研究を読み直すと、確かに今からみたら、問題のある点も多いのですが、どうも負の烙印を押されてしまって正当な評価を受けていないと思えたからです。

「全集」が出ている以上、これをもう一度精読して、評価すべき点を探してみたのですが、思いのほかたくさん見出すことができました。

『鳥居龍蔵全集』を読み進めていくのは、マルクス『資本論』を読むのと似ていて、明確な目的と焦点がない状態で読み進めていくのは苦痛でしかない。その点、「今日の縄文・弥生研究との連続性」を頭において見ていくのは案外楽しかった。ただ、意外な論考に面白い視点がちりばめられていて、油断ができない。英文・仏文・中文の論考に重要なことが書かれてたりもします。全集に邦訳があるのが大変助かりました。たぶんまだ見逃してるのがあると思います。

諸般の事情などがあって、今それら評価すべき点を詳らかにはできないのですが、大変勉強になり、今後にも活かせて行けそうです。

そして断言できます。鳥居龍蔵の研究は現代考古学研究に確実につながっていると

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