見出し画像

昔の記憶

小学何年生だったか忘れてしまったが、クラスの先生が突然、「皆にメモ用紙を渡すから、クラスメイトひとりひとりに、その人について、どんな人か、その人をどう思っているか書いてほしい。そしてそれをひとりずつの席に置いてください。名前は書かなくていいから。」と言い出したときがあった。
私は『何言い出すんだ、やめてくれ』と抵抗する気持ちが出てきて、嫌な予感しかしなかった。全く喋らなくて、クラスでいるのかいないのか分からない人間にとって、そのメモに書かれる内容が、自分を喜ばせるものではないと無意識で感じ取っていたのかもしれない。

嫌だったけど書かないわけにもいかず、先生が言ったとおり、クラスメイトのこと、ひとりひとりの顔を思い浮かべて真剣に書いた気がする。
そして皆の席にメモを置き終わり、席に戻り、机に置いてくれた皆が書いてくれたメモを見た。

女子が書いたものには好意的な文章もあった気がするが、あきらかに男子が書いたと思われる「大人しい」とか「根暗」という文字にグサッと傷ついた。
今思えば、喋らない人間について小学生の男の子が表した言葉、そのことにそれほど傷つく必要もないとわかるけど、何なんだろう、自分という人間の良い部分を全く理解されず、「根暗」という言葉で片付けられたことにショックを受けていたんだろうか、未だに覚えていて胸がキュッとなるほどに。

今の私は、ひとりひとり暗さも明るさも両方ある、それが人間だとわかっている。暗さ100%の人間もいないし、明るさ100%の人間もいない。
暗さがあって明るさが解る。

傷ついたということは、私が一番「喋らない人間=暗い」と思っていたんだな、と今となっては分かる。自分が思って(信じて)いないことは人に言われても傷つかないから。

小学生中学生の頃は、目の前で起こることに対処するだけでいっぱいいっぱいで、学校と家庭だけが生きる世界だと思っていた。そこに居場所がないと感じていた私は、死ぬ勇気はないけど、消えてしまいたい、と住んでいたマンションのベランダに立って下の道路を見た記憶が残っている。

辛いと感じた記憶はあるけど、今生きていて良かったな、と思う。
楽しいことより辛いこと悲しいことに敏感で、ネガティブに物事を捉える癖がなかなか抜けないけど、まだまだ人生長い(笑)と思って、これから楽しいと感じることをたくさん経験していきたい。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?