シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 感想記事 - 庵野監督お疲れさまでした-

Amazon Prime で視聴しました。長い長い年月を経てつい物語の終演を迎え、それをみれてとても満足感がありました。

この記事にはこれまでのエヴァンゲリオンシリーズの内容やシン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 のネタバレ内容が含まれます

きちんと終結して大満足

納得感ある終わり方をしたエヴァンゲリオンにとても満足感し、観終わったあとは「終わったー!」という達成感を感じました。TVシリーズや旧劇場版では難解なストーリーと終わり方に疑問が残るもので、惹きつけられる作品だったからこそどこか今までの顛末にモヤモヤが残るものでした。それはやはりエヴァンゲリオンという作品がとても魅力的で多くの人が惹きつけられていたからこそ、最後には満足できる顛末を望んでいたためでたと思います。そんな作品がついに終わりを迎えたこと、その終わり方が素晴らしかったこと。とてもよかったと思います。

ともに感じた苦悩と作品への折り合い

普通のエンタメ作品として終わらせることは、庵野監督には簡単にできたことだと思います。しかしエヴァンゲリオンという作品に庵野監督が込めている思いと、自身だけでなくエヴァファンのことまでも考えてエヴァンゲリオンという作品を制作しているように感じ取れました。だからこそ、簡単にエンタメ作品としてわかりやすいオチをつけることができずに、表現方法にとても庵野監督は苦悩していたんじゃいかと思いました。そんな作品ですが、今回の内容でついに、その苦悩に折り合いをつけ「落とし前」をつけ、今回のすっきりとした終わり方にできたのではないかと思います。ぼくはシンジくんを通して、庵野監督の苦悩を観て感じて、そこから一緒に抜け出せたような感覚になり、観終わったあとはスッキリとした気持ちになりました。多くの人が感じた"終わった感じ"はそこから来てるのではないでしょうか。そこには作中に織り交ぜられたメタフィクション的な表現も大きく関わっていて、アニメ作品を飛び出した現実世界を思わせる表現がより、庵野監督の思いが伝わってきたように感じました。

思春期男子が子供から大人への物語

結局のところ、エヴァンゲリオンってなんの物語なんだろうと考え直してみてると、父親にコンプレックスを持った中学生男子シンジが、父親への執着を捨てて自立する話だったのかのかなと思いました。

シンジは父親に認められるために頑張るのですが、父親はシンジには興味がなく(実際には自分は息子に関わらない方がいいと思っている)、いろんなつらいことばかり起きて、結局うまくいかずいじける。最終的には周りの手助けもあり、父親への執着をすてて、自分を一人の人間として認め自立する(大人になる)。そんな話のように思えました。

鬱抜けの話し

作品としては一人の子供が大人の話しになるように見えましたが、同時に鬱抜けの話しのようにも感じました。まわりからみるといつもウジウジしてるシンジくんにシャキっとしろと思わず言いたくなるのですが、僕には庵野監督のもっている鬱な部分がシンジくんに投影されてるように思えてなりませんでした。作中でシンジくんがウジウジな心と折り合いをつけて、自分で「落とし前」をつける。という決断まで到れたのは、庵野監督も現実世界である程度の鬱との折り合いをつけれたのではないかと感じました。

設定は相変わらず難しいけども

いろんなむずかし設定や説明されない部分、登場人物のいろんな目的などが物語を複雑にさせていますが、そのへんをあんまり理解できなくても大筋上記のような話しだと思えばいいかなと思いました。

ついにシンジくんに優しい世界になった

幾度も世界を救ってるわりには、周りからの風当たりが強いシンジくん。とくに Q ではニアサードインパクトを起こしたシンジくんにみんな冷たく接し、空白の14年間についてほとんど説明してくれません。

しかし今作、シン・エヴァではまわりの誰もがシンジくんを助けてくれます。14年先に大人になったトウジやケンスケ、ヒカリ、アスカ。彼らは自分のやってしまったことの大きさに押しつぶされそうなシンジに対して、それぞれのやり方で立ち直るまで見守ることにします。綾波レイは、村での共同生活から人との関わり合いや助け合いの大事さを学び、不器用ながらもそれをもってシンジくんを絶望の淵から救い出します。

また、ミサトもニアサードインパクトが起こったのは結果であり、シンジくんの責任ではないといいます。仮にもあのときシンジくんがなにもしなかったら、サードインパクトは起こっていたのですから。またトウジの妹サクラもシンジくんにニアサーで犠牲になった両親についての恨みはありつつも、同時にシンジくんがエヴァにのって背負ってしまう責任や不幸をもう味わってほしくない。という点でエヴァに乗るなと言ってくれます。

シンジくんが救われた瞬間と、どんな君でもいいという肯定感

最もシンジくんが救われた場面は以下なのではないかと思います。

「放っておいてほしい」というシンジくんたいしてレイは「ありがとう、話をしてくれて」と話します。

つらい気持ちを抱えてる人は、それを話すだけでもとても大変です。なので気持ちを話してくれたことに対して、肯定することはとても大事なことです。なにも知らないレイだからこそ素直に肯定できて、その肯定感をシンジくんも受け入れられたんだと思います。この作中のカタルシスはこのシーンにあると僕は思いました。人はどんな気持ちにもなっていいし、ウジウジしてたっていい。それを他人に伝えるだけでもいいことなことなんだと。ありのままの君でいいし、そもそも君はこれまでよく頑張った。もう十分頑張ってるんだ。

そんなメッセージを「ありがとう、話をしてくれて」というレイの一言がシンジくんの心にささり、心を絆したシーンのように感じました。

このシーンを介して、「ああ、庵野監督もすこし楽になれたのかな。」と感じました。

大人になったシンジくんの決断

いろんなことへの折り合いをつけて自分で落とし前をつけると決断したシンジくんは、再度エヴァにのり父親と対決します。もはや父親に認めてほしいだけの子供シンジくんではなく、自分で決断し自分で決めた結果になるように行動しはじめたシンジくんは強かったです。最後にはキャラクター全員を救い、エヴァのない世界を作り出しました。そして最後のシーンでは年齢的におとなになったシンジくんが実写上の駅を走り去ります。

さよなら全てのエヴァンゲリオン

エヴァもなくなり、声も変わり、アニメから実写へと変わった世界。ほんとうにエヴァが終わったことを実感できるラストシーンでとてもよかったです。庵野監督お疲れさまでした。多くの人に愛された作品であり、重圧も大きく、長くに渡って制作の苦悩を共感できる作品でした。そしてこのラストシーンで、その苦悩にいったんの終わりを感じさせてくれました。この終わりは達成感や安堵感、納得感などいろんなカタルシスが詰まっていると思います。

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