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空間を対話で埋める事

パソコンを使わなければ、唯の箱と昔から良く
言われる様に、与えられた状況や空間の中でどう自分の世界をカスタマイズするかは、その人の
工夫次第ではないかと最近良く思う。

会社に行かずして在宅で仕事が出来る時代と
なり、黙々とパソコンに向かい、ZOOMやTEAMSでの会議や進捗状況の確認は無機質なやりとりになり、フラットに対話する時間が圧倒的に減った中、TwitterにおけるSpacesの登場は、人々の対話の渇望を満たすツールとして、定着しつつある。

気の合う相互フォローの縛りのない自由な雑談から始まり、日常では話せない心の内や家庭環境の悩みを打ち明けてお互いに相談に乗ったりして、励ましあったり、政治や時事などのテーマで議論したり、仕事に活かす為のロールプレイングや
勉強会など、利用方法は様々なようだ。

色々な人が立ち上げるSpacesにリスナーや
スピーカーで参加して思うのは皆、対話に飢えており、自分も含め、話す事で自分の感覚を見つめ直している様に感じる。

Spacesでは文字で呟くだけでは窺い知れない、
飾る事が出来ない人間性が浮き彫りにされる。
それぞれ喋る人の個性が出て、物の捉え方に感心したり、自分の知らない世界に長けている意見にメモを取ったりして、とても参考になったり、
自分と考え方が似てる人とは、会った事がなくても何でも打ち明けられる関係性が生まれ、相手の言葉にはっとして自分の心に燻っている、わだかまりが溶けて来たり。

その反面、意見が噛み合わず空気が重たくなったり、どこか依存した馴れ合いの関係性が出来ると、その自由な空間は澱んだものになってくる。
それを如何に捌くかはホストの力量や、スピーカーで喋る人の補佐的役割も重要かも知れない。

日常生活でも人が多く集まり喋り合う場では
その場をコントロール出来る人と補佐する能力がある人が引っ張る事で、話す場の空間がより広がりを持つ。

だが、幾ら自由に発言出来るからと言っても
人との一定の距離感や礼儀、TPOを弁える事が
出来ないと言葉は言の刃となり、思わず人の心を傷つけてしまう恐れがある。

そうした事が起きない様に話をする時、聴く時に一歩引く押すバランスを考えたり、声に抑揚を付ける事で相手に伝わる熱量も変わって来るだろう。

空間を対話で埋める事は、それぞれの話の方向が一致した時、パズルが完成する様な喜びがある。
そしてたとえ、話の方向性がバラバラであっても、最後は楽しく会話が出来たと思えるような
Spaces「話の空間」が埋まれば良いかなぁと思う、今日この頃である。


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