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はじめましてchapter2


ひょんなことから物を書く、ということに触れたぼくは、それはもう取り憑かれた

ように筆をとりました。ライブやリハ以外、音楽がぼくの頭から離れました。初め

ての出来事でした。

毎日、夜の12時半まで書きました。布団に入る瞬間、枕に頭を据えるまでの一瞬間

ですが、ドーパミンが分泌されるのを覚えました。

心と肉体が別人格を持っていて、今まで肉体のことなんか気にもしなかった、くら

いに肉体の緊張がほぐれていくのに驚愕するほどでした。これほどの快楽を得たこ

とはない、至福と言ってもいいでしょう、ぼくを司るあらゆる細胞から苦のような

物質が抜けていくのを感じとりました。一瞬で眠りに落ちるのですが、永遠のよ

う、まさに快楽物質です。もちろん毎日、毎夜、中毒患者のように求めました。


やがてそんな気力も衰えていきます。これまで本(漫画も含めて)を読まなかった

ことがここにきて復讐のように現れる。という以前に、ほとんど対人恐怖症の人間

が、つまり人と話さないから、一行の文でさえ思ったことをまともに言葉に表わせ

ない。

気付くのに時間がかかりました。読み直すという行為も物を書き始めて数年経た

後。しかも、読み直そうとも三ヶ月以上経たないとまともかそうでないのか認識も

できない。


遅まきながら、小説を読むことにしました。人と話さない以上、他人の文、あるい

はまとまな文章を身につけるには、そうするしかない。

それがよくなかったのです。初めて見る偉人が書く文章はぼくを魅了しました、し

過ぎました。

三島由紀夫。ヘルマン・ヘッセ。夏目漱石。佐藤哲也。夢野久作。デヴィッド・マ

ドセン。

文体にハマったのです。文体。その、一面だけを欲したのです。見たこともない難

しい漢字、古い言い回し、まわりくどいまでの美文調。

真似ました。いや、もはやそのまま取り入れました。

どん底です。彼らの文体が、いつしか自分が発明したような気におち入り、そこか

ら抜け出せないのです。



書くのをやめました。まともな文章も書けない人間が文体だけを身につけようとす

るから、それはもう魂もない、他人を模した、偽物にも劣る、、

そんな人間に書く資格はない。

 
でも、一度愛してしまった人間に書くことから抜け出すのは至難の業。

ぼくは、自分に偽るように、密かに脚本という物に目を向けました。


以前書いたとはいえ、書き方も、ルール(小説もあったくらいだから、脚本にもき

っとあるのでしょう)も全く知りません。が、創作していないと、精神が持ちませ

ん。これまで、作曲することでなんとか精神は保たれていました。そうでないと、

ぼくの心はいつも泣き始めます。ロンドンの空のように曇った状態に至るのです。


書きました。書き始めると、二作目も同時に頭に浮かびました。文体を気にする前

に書き切ろうと、腱鞘炎を起こしたほど。ちょうど世の中は三連休。その休みを利

用して、ほとんど寝ずに(というのは嘘です。ぼくは八時間以上寝ないと起きてい

られない、ロングスリーパーなのです)書きました。


どうせ書いたのだから、と、オーディションにも挑戦しました。全ては密かに行い

ました。ぼくは小説を書くのをやめたのです。が、これは脚本。という言い訳のも

と、秘密裏、という思考が生まれたようです。


なぜか、二つとも最終候補に残りました。一つはシネマなんとかという、もう一つ

は、名前も覚えていませんが、二つとも脚本のオーディション。そして、ぼくは最

終候補に残ったのです。

シネマなんとかいうオーディションに応募した作品は「ひょうたんのイヲ」、もう

一つの名前も忘れてしまったオーディションに応募した作品は「蓮華座の怪人」と

いいます。

二つとも、最終候補留まりでしたが、その後、二つとも原稿用紙200枚を超える小

説にしました。その中の「ひょうたんのイヲ」は太宰治賞の最終候補となり、出版

もされました。筆名は山本眞裕です。

ミュンヘンオリンピックが開催される1972年、熊本県で起きた、水俣病の原因とされる会社、チッソで働く父親を持つ中学生の美穂と、水俣病で苦しむ家族を持つ孝の、二人を中心に展開していくお話です。

発表していませんが、続編も書いています。

いつかまとめて公開しようと思っています。


ヤマモトユタカ

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