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1983年生まれのエヴァンゲリオン体験

「特撮ヒーローよりも年齢が上になったら大人の始まり」とは僕の言葉ですが、

「エヴァンゲリオンの加持リョウジより年上になったらおっさんの始まり」というのは、やはり僕の言葉です。

この投稿は、1983年の東京都に生まれた僕が、90年代当時どのように『新世紀エヴァンゲリオン』を体験したかを簡単に列記したものです。批評や感想、考察の類ではありません。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が近々公開されますが「これを見たらもうエヴァのことなんてあまり考えないんじゃないかなー」「そもそも忘れていっちゃうんじゃないかなー」と思い、じゃあいっちょ忘れる前にnoteに書き留めておこうと考えた次第です。つまり、ただの昔語りです

「1983年生まれのエヴァンゲリオン体験」なんてタイトルですが83年世代を代表するものではなく、あくまでも個人の体験にすぎません。さらに付言するなら、エヴァンゲリオンと接するあるべき態度を示すものでもありません。「セックスが忙しくってオナニーする暇ないんスわー」とかホザいてるやつが彼女連れで新劇場版を見に行こうとも、そして「え、映画ってふつうカノジョといっしょに見に行かないっスかー?」とかぬかそうがまったく問題ありません。

1.手軽に本編を見ることができなかったエヴァ

時に、西暦1996年の4月。中学2年生になった僕はクラス替えでひとりの男と出会いました。彼は運動会のリレーの選手に選抜されるような俊足バスケ部員で、中2でありながら彼女がいる長身のイケメンでした。この反オタク物質のみで構成されてそうな男が実はオタクでした。

彼は『クリスタニア』という『ロードス島戦記』と同一世界を舞台としたラノベを愛読していて、それを当時の僕にすすめてきました。僕がオタク文化と第一次接触をした瞬間でした。小学生時代にはむしろアニメとかぜんぜん見ないタイプだったので興味をそそられ彼に色々と教わったのですが、彼が当時「今はこれが再注目」として名前を挙げたのが「エヴァ」でした。1学期が終わる前頃だったと思います。

とうぜん見たいと思ったわけです。しかし新世紀エヴァンゲリオンのTV放送は1995年10月4日から1996年3月27日。すでに放送は終わっています。

現代なら、未見のアニメ作品と縁が生まれた瞬間にdアニメストアやNetflixなどで一気見することができますが、当時はそんなサービスはありません。しかもレンタルビデオ屋(というものが当時はあったんです)の会員証を所持していながらも金のない13歳だったので、ただちに本編を見始めることがかないませんでした。

さらにいえばFC東京の前身である東京ガスサッカー部の試合を西が丘サッカー場で観戦するような典型的な東京都民だった僕。地方では数か月遅れでエヴァが放送されていましたが(そういう時代でした)、都民であるがゆえに、放送が終了したばかりのテレビ東京系番組は視聴が難しいのでした。

とはいえ、まぁビデオは父親に借りてもらって見ました。見ましたがそれだって全巻借りてもらえるわけでもなく(そもそも他人がレンタルしていてぜんぜん巡り合えない)、96年の夏休み前には全話リリースされてもいませんでした。さらにいうと、今のアニメビジネスではまずありえないことですが、エヴァのテレビシリーズは映画公開日の時点で全話リリースされていませんでした(なので後にリリースされた第弐拾壱話以降は映画版の内容が反映されています)。

90年代のエヴァブーム期にはアニメライター的な仕事もしていた哲学者の東浩紀氏が『破』公開時に語っていたのですが、「当時はどうにかしてエヴァの全話録画ビデオのダビングを入手することが重要だった」そうです。彼自身も初めて全部見たのは、彼女の大学の学祭での一挙上映会だったそうです。

96年の僕は13歳の中学2年生。しかも直前にオタク界の門を叩いたばかり。さらにいえばネット環境も普及していなかったころ。全話録画している人を見つけることなんてできなかったし、まだ親の目をかいくぐって手淫をする方法論を確立する前夜。とうぜん童貞です。学祭に連れて行ってくれる大学生の彼女もいません。

というわけで、「見たくても見れない」秘仏のような存在が96年時点での新世紀エヴァンゲリオンTVシリーズだったのです。

2.本とラジオで情報を得る

彼女持ちバスケ部員のオタクからエヴァがもたらされた次の週くらい。当時のニッポン放送の若者向け帯び番組「ゲルゲットショッキングセンター」で1週間ぶち抜きのエヴァ特集が組まれました。エヴァヴームが過熱していく初期段階でのこの特集は毎日日替わりでエヴァ声優が登場するなかなか豪華な企画。まだ本編を1秒も見たこともないのにこれを聞きました。初めてのエヴァ体験はラジオでした

このエヴァ特集で頭の中に浮かんだイメージは後からするといろいろと間違っていて、加持さんとのセックスシーンの話題をかんちがいし、碇シンジと葛城ミサトがセックスするんだと思い込んでしまいました(むろん二次創作で実現していますが)。

また、いまやオタク以外でも知っている超絶有名主題歌の「残酷な天使のテーゼ」。まだヘーゲルなんて名前も知らなかった中2の僕は「テーゼ」なんてドイツ語を知らず、「残酷な天使のせいで」というタイトルの曲だと思い込んでいました。今ならWikipedia等で即確認できますがネット普及以前。なので「いい曲だなー「残酷な天使のせいで」。またラジオで流れないかなー」とか「そもそも「残酷な天使のせいで」ってめっちゃセンスある曲名じゃね? すげーな今時のアニメ」と思ってました。

ちなみにゲルゲットショッキングセンターはパーソナリティの井手コウジさんが本気でエヴァに(それをきっかけにして別のアニメも)本気でハマったこともあり、そして聴取率が良かったこともおそらくあり、エヴァコーナーが常設され、よく声優が登場したりプレゼント企画を行っていた記憶があります。とうぜん毎回聞いてました。

さらにエヴァ以外のアニラジを聞くようになり、「林原めぐみのTokyo Boogie Night」「緒方恵美の銀河にほえろ!」「岩男潤子の少コミナイト」なんかでもじゃっかんエヴァ情報を得ていたような……。ほんのわずかだけど。

ついでに言うと、エヴァヴームが最高潮のころには様々な媒体でエヴァ特集が組まれるようになるのですが、アニメに興味のないFMラジオで変な英語を多用しているDJの中には「プロデューサーにいわれてエヴァ特集やるらしいんだけど、俺アニメ興味ないんだよね~」とか平然とのたまっていました。林原めぐみ閣下なんかはそれに対し「なんだァ?てめェ……」という反応を示していました。(さらについでに述べるならおそらく今『鬼滅の刃』特集を命じられた番組の出演者は嫌がるどころかすでに漫画を読んだりアニメを視聴済みだったりするはずで、アニメ系コンテンツの社会的立場の違いを感じます)

ラジオ以外で重要な情報源は書籍です。家から徒歩10秒の距離にあった書店もそこそこエヴァ本が入荷していたので、『ADAM』『eve』というキャラクターと使徒を紹介したムック。『ニュータイプ100%コレクション』という設定資料集。アニメの静止画を使い漫画として構成する『フィルムブック』。貞本義行の漫画版。これらで使徒やキャラの概略を掴んでいく。本で先に情報だけ仕入れていく。これが本編を見ることが困難な時代のエヴァ体験でした。

3.再放送

そうこうしているうちに、映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の公開日(1997年3月15日)が近づいてきました。

それにともなって土曜深夜にテレビ東京でエヴァの再放送が開始!

これは嬉しかったですね。ついに最後までエヴァを見ることができる時がきた、と。たしかゲルットショッキングセンター内のエヴァコーナーかなんかでその情報を知ったんだと思いますけど、歓喜で震えましたね。ニッポン放送をうちで受信するには窓際に寄らなければならなかったため、寒さでも震えました。喜び4:寒さ6くらいの割合で震えたはずです。

毎週4話ずつ放送でエヴァ公開日に「最後のシ者」に到達するというスケジュールでした。

リアルタイム視聴はもちろん、がっつりビデオに標準録画。ツメを折り、上書きできないようにしました。

毎週放送後は映画公開に向けての特別番組も流れ、制作会見やレイとアスカのテレカ付き前売り券の待機列の様子、大月プロデューサーや庵野監督、声優のインタビューなどを見ることができました。

エヴァ公開初日は中学生ながらも新宿ミラノ座(今のTOHOシネマズ新宿の場所にあった映画館)に、オタク伝道師の友人と徹夜で並んだので、その列中で小型テレビを使って21~24話を見ました。

また、この再放送で映画の予告が何度も流れたわけですが、これがまた印象的で。

脳みそに直接作用するような綾波ボイスとエヴァ的な本編映像の編集に第九をのせた初期バージョンを1997年の深夜に暗い部屋で眺めているときの圧倒的世紀末感。暦上は2000年こそが真の世紀末であり、1999年がノストラダムスの予言の年でありMMRが最後まで戦った(ギャグを披露した)年ですが、本当に世紀末的空気が最高潮になったのは『シト新生』の予告が放送されていた1997年でした(俺の中では)。

4.魂のルフラン

新劇場版やパチンコを含めるとかなりの数の歌が存在するエヴァンゲリオンですが、96~97年を思い出すもっとも重要な曲は「魂のルフラン」です。というのも、映画の公開を待っている間にひたすら毎日聞いていた曲なんですよね。再放送のカウントダウン番組も「魂のルフラン」から毎回始まり、曲をバックにお送りしていたので、本当にあの映画公開前の過ごした日々の記憶と結びついているんですよ。

CDも即ゲットしました。学校でもエヴァオタキャラが定着していた僕は、「祐太(僕のことです)、おまえエヴァン(当時エヴァ以外に存在した略称)のCD連続再生してる?」とか当然のように話を振られ、もちろんそれに近いことをしていると返答していました。

曲としてもエヴァンゲリオンという作品のSF的設計を歌ったかのような歌詞で、この曲に陶酔することすなわり人類補完計画の肯定のような感覚でした。エヴァ自体は最終的に碇シンジが補完計画を拒否するため、アンチ補完計画的な結論に落ち着くわけですが、補完計画に魅力を感じる世紀末的感覚が当時の僕にはありました。

まだ紙ジャケの8インチCDの時代でしたので、別売りのプラスチックケースを購入して保護しました。僕の家ではほかに近藤真彦の「ミッドナイト・シャッフル」などのCDもプラスチックケースに入れていたので、「魂のルフラン」と「ミッドナイト・シャッフル」は同等の扱いだったということです。

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『シト新生』はサブタイが「DEATH & REBIRTH」なことからもわかるように2本立ての映画です。「DEATH」が新作カットを含んだTVシリーズの総集編、「REBIRTH」が未完成の新作で夏に公開の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』序盤に相当します。つまり『伝説巨神イデオン』方式です。

「魂のルフラン」は「REBIRTH」のラストシーン、むき出しになったジオフロント上空にエヴァンゲリオン量産型が飛来し、たたずむ弐号機とアスカがそれを見上げるカットで流れます。

このシーンの美しさたるや。チンダル現象的な光が上空から差し込むなかで悪魔的なデザインの量産型が翼を広げて周回するんですけど、セルアニメ独特の質感もあいまり、なんというか宗教体験ですよね、マジで。

『シト新生』は「総集編+『Air/まごころを、君に』」の序盤という構成上の性質もあってか、各動画配信サービスでも配信が絶無で、見る機会がぜんぜんないこともあって、思い入れは持ちにくいだろうとは思います。

本記事で僕はあまり主張というものをする気はないのですが、「魂のルフラン」がいまひとつ存在感ないことに関してはちょっと残念に思っています。本当にちょっとだけですけどね。「お願い、ちょっとだけ! 先っぽだけ!」と言った時の「ちょっと・先っぽ」よりもさらに少ない程度のほんのちょっとですが。まぁ、もうちょっと「魂のルフラン」を聞いて欲しいし、「REBIRTH」の最後を見てほしい。そして心のどこかで補完計画を望むとろけるような甘美な感覚を抱いて欲しい。

5.映画にまつわること

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1983年1月生まれの僕は春エヴァ(『シト新生』)夏エヴァ(『Air/まごころを、君に』)の公開を作中のチルドレンたちとおなじ14歳で迎えました。それだけである種の選ばれし者感を感じていました。いわゆる「直撃世代」だと思っていました。

『シト新生』で思い出深いこととして、前売り券での敗北があります。

1996年11月23日より全国上映館窓口にて、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーの2種のテレカ付き前売り券が発売になりました。前売り券の第1弾でした。

貞本義行描き下ろしの両ヒロインは大変完成度が高く、僕もとうぜん欲しくなりました。

僕をオタクにしたイケメンバスケ部員といっしょに、発売日の朝いちばんで池袋のシネマサンシャインに買いに行ったのですが、その時点でもう売り切れていました。

このテレカは当時プレミアムがつき、記憶がたしかなら1枚あたり2万の価格で取引されたはずです。

たしかこの日のニュース番組でもテレカを求めて徹夜で並ぶオタクの行列を取材した様子が放送されたと思いますが、これが当然だったんですよね、オタクの世界においては。いや、当時はチケット争奪戦で徹夜する非オタクもたくさんいたし、熱意と徹夜が結びついていた時代と言っていいかもしれません。今じゃ徹夜組すなわち公共空間での迷惑をかえりみないクズ扱いですが(僕も徹夜はやめた方がいいと思いますが)、まだゆるい時代でした。

96年の夏休み前にオタク入門した僕はしょせんキャリア半年。それも情報の少ない時代。オタクの行動様式や常識にまだまだ疎く、敗北はとうぜんの帰結でした。

いっしょに行ったイケメン友人も僕にオタク文化をもたらしたものの、オタクの生態そのものに特別詳しかったわけでもなく敗戦のショックに打ちひしがれており、公園まで移動して互いに無言で座り込みました。

ちなみにこの日のリベンジが映画公開日の徹夜です。先着150名くらいにクリアファイルが配布されることが発表になり、学校で徹夜の相談をし決行しました。エヴァンゲリオンの映画の限定配布物である以上はぜったいに手に入れたいと考えたのです。これは見事勝利。しかしともに並んだ友人は映画の最中眠くてまともに見ることができなかったそうです。まぁ、しかたない。

この日の「REBIRTH」は量産型の登場というまさにこれからといういいところで終わります。これを知らなくってEDが流れた瞬間に映画館がざわついたみたいな話が語り継がれていますが、完成していないことは事前の記者会見でも発表されており、初日に来るような熱心なファンはそこで動揺していない人が多数派だった気がします。14歳の僕も事前に知っていました。

前売り券を複数買っていたので、後に池袋のシネマサンシャインでも見たのですが、こっちではざわついていた記憶があります。

6.関連本&謎本のこと

設定資料集的な本以外もいろいろと書籍が出版されていました。板橋区の端っこに住んでいた僕は、赤羽にあるブックストア談によく行っていました。ブックストア談は城北(東京23区の皇居より北の地域)でも最大規模の書店。エヴァ本には常にスペースがさかれていました。公式の関連書籍のほかに、雑誌のエヴァ特集、エヴァ作中の様々な情報を徹底的に深読みする謎本、聖書関連書籍や天使本なんかもおなじ棚で展開されていました。

そのなかで僕にとってもっとも重要だったのが『スタジオ・ボイス1997年 03月号』のエヴァ特集でした。

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この特集が14歳になりたての僕にとって有用だった点は3つあります。

まず1つめ。用語解説。

「人類補完計画」の元ネタはコードウェイナー・スミスの「人類補完機構シリーズ」。

「死に至る病、そして」の元ネタは哲学者キルケゴールの著作のタイトル。

などなどの元ネタや、

「エヴァンゲリオン」は福音を意味する「Evangel」がかかってるのでは、などなどの宗教系など。

2つめ。ブックガイド。

斉藤環などの書き手がエヴァ批評を寄せつつ、その端にブックガイドを付してくれていました。

たとえばマーク・トウェインの『不思議な少年』が渚カヲルに類似しているのではという連想から紹介されていたりしました。そして実際に読みました。

3つめ。もっとも重要だったのがアニメ史解説と作品ガイド。

「エヴァを知る前に SFアニメ史の中で、エヴァはいかにして生まれてきたのか」という記事。

ガイナックス関係、大友克洋、押井守、宮崎駿、富野由悠季、それ以外(マクロスや銀河鉄道999、ボトムズなど)の作品を年表にし、見るべき作品のガイドを作ってくれてるんですよ、これ。そして70年代、80年代、90年代と時代が進む中でアニメが作家性を獲得し、他方ではパターン化という(エヴァが打ち破った)閉塞状況が生まれた、と歴史を整理してくれてるんですよね。

オタク歴は半年を過ぎたころだった僕にとって、オタク深度を深める教科書となったのでした。

謎本にも手を出しました。特に気に入ったのが『エヴァンゲリオン研究序説』だったでしょうか。

といっても、当時の出版市場に乱発されていたエヴァの謎本なんて今時の「考察」に比べればかなり作品内容と遊離した妄想みたいなものも多かった記憶があります。たとえばアメリカのUFO事件との関連なんかを考察したりとか。

しかしユダヤ教の神秘主義思想カバラやセフィロトの樹なんかの解説は(たぶん)そこそこまっとうだったし、作品とかけ離れた妄想的な謎本であろうとも、注釈なんかに様々な参照項(心理学など)が登場するわけで、14歳の中学生にとっては様々な雑学の入り口になったのでした。

島本和彦の『アオイホノオ』を読んでもわかるように、エヴァを作ったガイナックスの前身となったDAICON FILMはSF大会のために関西の大学のSF研究会が集って組織されたものです。そして彼らの世代にとっては、SFとは教養と結びついたものだったそうです。

エヴァ特集や謎本から得た雑学を教養と呼べるかはわかりませんが、かつてのSFの後継者であるエヴァを契機に教養らしきものを仕入れていたのは、今思えばなかなか正統なありかたであったと思います。

7.自分はエヴァ世代なのだろうか

碇シンジとおなじ14歳のときにこの作品が公開になった僕は「直撃世代」だと思うと同時に、「やっぱ違うんじゃないか」とも考えていました。

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の一般的理解(なんだそれ?)では、作中で展開されたのはアニメ美少女やロボットで気持ちよくなっているようなオタクへの批判や希望の提示だったとされています。また、庵野秀明総監督のインタビューでも「オタクは現実に帰れ」という趣旨の発言がなされていました。

しかし、僕はこの時点でオタク歴半年。オタク理解の浅さは先述のテレカ付き前売り券の敗北のとおりです。オタク先輩の友人も同様でした。

書物の参照(スタジオボイスのエヴァ特集や謎本)により庵野監督が以前につくった作品が90年の『ふしぎの海のナディア』だということは知っていました。となると映画公開より7年前。7歳だった僕は『ナディア』の存在すら認識していませんでした。

そんな監督の前史においてオタクでなかった僕の世代が補完計画で(たとえば日向マコトがLCLになる直前、綾波レイの姿が彼の想い人である葛城ミサト=理想のアニメヒロインに変化するなど)皮肉的に描かれた美少女キャラへの耽溺をしていたとは思えません。そう考えると自分よりもっと年上世代こそがエヴァ直撃世代なのではないか、と映画を見終わったあとには考えるようになっていました。

それどころかしょせん人の虚構への欲望はとまらず、時代も時代でしたし、エヴァ以降の僕は『AIR』『君が望む永遠』などのエロゲーにハマっていくことになります(ただ、このずっと後に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』が公開され、作中の時間は14年経っているのに14歳の姿のままという形で作品が追いかけてくるのですが)。

8.その他

・パソコン通信のこと

90年代のエヴァンゲリオンのころはパソコン通信のニフティサーブで大盛り上がりをしていたそうですが、これは間に合いませんでした。

95年4月に中学入学した僕に父が「パソコン部に入部するならパソコンを買ってやる」と言いました。入学前にはサッカー部に入る予定だったのですが(Jリーグバブルの頃ですので)、パソコンにつられてパソコン部入部を決意。今にして思えば父が買うための口実だった気がしますが、パソコンがわがやに来ました。

95年というのは日本では「インターネット元年」と言われています。というのも同年発売のWindows95にインターネットエクスプローラーがバンドルされていたからです。

しかし日本での発売はその年の秋ごろのこと。入学時はまだWindows3.1の終盤でした。なのでインターネットのために超えるべき障壁が多く、インターネットの必要性を世の中のほとんどの人が感じていない時代でもあったため、けっきょく接続できず、ただの置物と化していました。

・ゲームのこと

セガサターンで出たゲーム2本はむろんプレイしていたのですが、ガイナックスが制作した『新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド』がWindows95対応で登場した時は絶望感を感じましたね。Windows3.1を所有している俺はこれをプレイできないのか、と。絶望しながら青空を校庭で見上げた記憶があります。(のちにコンシューマ機に移植され、結果的にプレイしました)

これなにが素晴らしいって、オリジナルキャラの霧島マナですよ。

まずキャラデザが最高に可愛いし、声を林原めぐみが担当してるんですよね。SF設定の中核である綾波レイとおなじ声の女性キャラをガイナックスが直々に作り出すあたりに「これは何かある!」と直感しました。

さらにいうと、霧島マナがネルフ本部のセキュリティを突破するために碇シンジを背中から抱きしめて密着するんですよね。おっぱいがあたることも気にせずに。その画面写真が『コンプティーク』って雑誌に載ってたんですよ。童貞を殺すキャラなわけです。

というわけで製品版未プレイの段階で心をつかまれており、『悠久幻想曲』のシーラ・シェフィールドと並んで二次元の初恋相手でした。

『コンプティーク』ではテレカの全プレ企画があり、これもゲット。

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・日常生活に影響が

『アオイホノオ』のなかで学生時代の庵野秀明が『銀河鉄道999』のハーロックの歩き方を真似するシーンがありますが、僕は友達といっしょにいる最中に初号機の動きを真似していました。しかもいっしょに出掛けた先でもやっていたので「いっしょにいて恥ずかしい」とも言われました。

以上!


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