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サバサバ、パサパサ

ふと思い出したことについて書く。

遠距離恋愛をしていたときのこと。

ある日突然、電話越しに「別れたい」と告げられた。

私の側として思い当たるところは一切なく、とても驚いた。もちろん、とっさに口をついて出た質問は、「どうして?」だった。

しかし彼女は、それについては最後まで答えなかった。私も私なりに粘って理由を知ろうとしたり、関係を続けられる方法はないのか聞いてみたが、まともな返事は得られなかった。

埒が開かなかったので、理由を知ることなく、そのまま電話越しで別れることにした。その後彼女とは一切連絡をとっていない。

別れた後は私の中にモヤモヤが残った。彼女が99%悪いシナリオから、私が99%悪いシナリオまで、1,000通りくらいのパターンを考えてみたが、考えたところで真実はわからない。モヤモヤ。

モヤモヤしている状態をなんとかしようと、友達に愚痴った。ひとしきり私の話を聞いてくれた後で、「理由をはっきり聞くべきだ」と強く言われた。そんな別れ方はおかしいし、理由を知ればきっとモヤモヤが解消されるはずだ、と。

その時にふと、自分が理由を知りたいと思っていないことに気がついた。確かにモヤモヤしているが、理由を知ったところで、彼女の中で別れることが決定されている以上、仮に私が関係を継続させたいと思っても何の役にも立たないではないか、と思ったのだ。そして、理由を知っても、モヤモヤは解消されないとも感じていた。知ってモヤモヤが解消されるような理由なら、予め告げられていただろう。さらにいうと、今更彼女から理由を聞いても、それが本当の理由である確証も一切ないのだ。


Jane Birkinの« L'Aquoiboniste »という曲がある。とても好きな曲だ。

フランス語で « à quoi bon ? » というのは、「何の役に立つの?」という、ちょっと投げやりな表現。何かにつけて、« à quoi bon ? » と口走ってしまう人を、« Aquoiboniste »とこの歌では歌っている。

私には若干だが、« Aquoiboniste »的な傾向がある。特に双方合意の上でなされる事柄において、片方がNoだったら、こちらが積極的に働きかけることが正しいことなのか、常に疑問に思ってしまう。私が頑張ったところで、向こうがNoなんだから、何の役に立つの?ついつい、« à quoi bon ? »と言ってしまう。

もしかしたら、こういう私の« Aquoiboniste »的なところを、彼女は好きになれなかったのかもしれない、と少しだけ思うことがある。もっと言うと、彼女に限らず、私のこの性格故にうまくいかない人間関係がそれなりにある、と感じている。


この性格を直そうとは一切思わないし、多分変えることはできないものに分類されるだろう。この点において、私はサバサバではなく、パサパサしている。

いつもパサパサしているわけではなく、去るものを目ですら追いかけない、というところにおいて、大変パサパサなのだ。


ちょっとしたことが私の過去の別れを思い出させ、その思い出が私に今、Jane Birkinの« Aquoiboniste »を聴かせている。久しぶりに聴いた素敵な曲、パサパサもなかなか悪くない。

今日は香水と全く関係ない話…


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