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チーかまの思い出

高校生のころの話。

当時私は、佐賀県にある全寮制の学校に通っていた。実家は東京にあったため、夏休み等の長期休暇のみ帰省していた。

帰省時は、福岡空港から羽田に飛び、東京モノレールで浜松町まで、そこから山手線で東京駅に出てから中央線で実家のある八王子まで行く、というのが好きなルートだった。

どうしてもやりたいことがあった。それは、東京駅から「特急かいじ号」に乗ることだった。

八王子で小学生時代までを過ごした私は、幼少期から特急かいじ号を駅のホームで眺めていたものの、ついぞ乗る機会には恵まれなかった。山梨方面に行く用事などほとんどなかったし、東京方面に出るのも、わざわざ特急に乗る必要がなかったからだ。

佐賀からの帰省は、特急かいじ号に乗る絶好のチャンスだった。東京駅発の電車が少なかったため、毎度チャンスを逃してきたが、ある日の帰省で、特急かいじ号の発車10分前に東京駅に到着した。これは乗るしかない、神様が乗れと言っている、そう確信した。

今思うと、本当に神様が「特急かいじ号に乗りなさい」と私に言ったのかもしれない。

発車直前に特急券と指定席券を買ったため、通路側の席にしか座れなかった。窓側の席には、すでに中年のおじさんが座っていた。仕事帰りの雰囲気はあったが、きちんとスーツを着ているというよりかは、チェックのシャツに適当なパンツで、社員証のようなものを首からぶら下げていた。エンジニアの出張、という雰囲気だった。

発車と同時に、おじさんがゴソゴソと何かを取り出して、ムシャムシャ食べ始めた。

チーかまだった。

せっかく乗った特急電車なのに、横で清潔感があるとは言い難いおじさんが、せっせとチーかまを食べている…とても残念な気持ちになった。特急券を買ったことを後悔さえした。

八王子の1つ前の駅、立川に近づいたとき、おじさんが急に笑顔で私の方を向き、

「僕ここで降りるんで」

と言った。
寡黙にチーかまを食べる清潔感に欠けるおじさんからは想像できない朗らかさだった。一人称が「僕」であることにも驚かされた。

ふと座席の上の物入れを見ると、おじさんの荷物らしき大きなブリーフケースがあった。おじさんが座っているところからは物入れの傾斜の角度からしてそのブリーフケースを取れそうにないので、代わりに取り、手渡してあげた。

「ありがとう」

私はこの時の「ありがとう」を、15年以上経った今でも忘れられない。あんなに自然と発せられる「ありがとう」、これより前にも、これ以降も出会っていない。

不思議と、竜宮城で乙姫が浦島太郎に玉手箱を手渡しているシーンが浮かんだ。私が乙姫で、おじさんが浦島太郎…なんだか変な感じだが、この時の「ありがとう」は、浦島太郎が発したであろう「ありがとう」のように、「こんなに素晴らしいものを、僕のために…」というニュアンスを帯びて響いた。その上とても自然だった。雨乞い師が踊り続けた末に降り出した雨が乾ききった大地に染み渡るように、私の心に届いた。

私は時々、あのチーかまのおじさんのように、「ありがとう」を発することができているだろうか、と思う。多分出来てないと思うし、これからもできるようになる自信はない。

そして、あのおじさんは、他の誰かに、浦島太郎が玉手箱をもらった時の、あの「ありがとう」を、今でも発しているのだろうか、とふと思う。おじさんはきっと、今でも発しているだろう、この日本のどこかの、特急電車の中で、チーかまを齧りながら…

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