映画論予告論

映画の予告って本編よりも面白くね???

そう思ったのは10歳の僕だ。2010年、僕はハリーポッターの最終章をワクワクしながら観に行った。僕らの世代に映画ならではの世界観を長編大作として提供してくれたのは『ハリーポッター』であり、『パイレーツ・オブ・カリビアン』であり、少し古くなるが『スターウォーズ』だと思う。ロード・オブ・ザ・リングを観ている友人は少なかった。

特にハリーポッターは本も流行っていた。分厚い本をみんな図書館で借りていたんだ。小学生の彼らが返却期限までに読了したかはわからない。当時僕は最終章に向けてウエアハウス(当時近所にあったレンタルビデオ屋)で復習も済ませていた。

あの年、色々な場所でハリーポッター最終章の予告は流れていた。『ヒックとドラゴン』本編の前にハリーポッター最終章の予告が流れ僕のワクワクはドラゴンではなく魔法世界に向いた。映画の感想はハリーポッター楽しみだね!だった。レイクタウのゲーセンでみた予告も何故か心に残っている。ハリーがヴォルデモートを掴み「Together!!」と叫んで落ちていくシーンだ。なんだこれかっこいい………と思ったことを覚えている。

とにかく僕はワクワクしていた。たった2分に切り取られた予告編に興奮し、その先にある2時間に心躍らせた。このシーンはどうなるの?どんなことが?もちろん予告編に留まらずポスター、キャンペーン、ありとあらゆる方向からハリーポッターの世界が僕を覗いていた。早く観に行きたい。これほどのことは10歳だった僕には人生初のことだった。

前振りが長くなってしまったが、僕がハリーポッターにワクワクしてたことは分かって貰えただろうか?さぁ本題に入りたい。僕はハリーポッターの最終章(死の秘宝Part1)を公開日に観に行った。たぶん公開日にレイクタウンで観た気がする。日付も場所も曖昧だ。もしかしたら上野のTOHOシネマだったかもしれない。いや、上野のTOHOシネマで観たのは不死鳥の騎士団かもしれない。

なぜ、こんなにあやふやなのか?それは正直に申し上げますが。

なんかそうでもなかったからだ。

別につまらなかったわけではない。むしろ、面白かったと思う。でも観終わって僕は「あっこれで終わりか」って思っただけだった。Part2も観た。あーでしょうね。って感じだ。こちらもつまらなくないし、面白かった。でもこの感想。

『探偵はBARにいる』も3作とも最高だった。でも予告はもっと最高だった。『ダークナイトライジング』も同様。この時期の幼い僕は何度もこの体験をしてきたのだ。

映画は人より観ていたほうだと思う。予告を知らず観た映画は相変わらず100%楽しんでいる。僕は『アバウトタイム』が大好きだ。何回も観た。『Loving Vincent』のような映画に出会えることも心待ちにしている。B級映画からも9割裏切られ1割の感動を頂いてる。

予告が与えるハードルが高いのかもしれないとも考えた。あまりにもハードルが高いから映画本編をそれほど楽しめなくなっているのかと。しかし、予告は本編のダイジェストでしかない。本編の一部を使って作っているのだ、ハードルは上がるだろうか?全然関係ないレベルの高い映像、音楽に置き換えられてたらハードルはあがるかもしれないが、本編を使って本編を紹介してるのだ。映画本編以上のハードルは設けられない気がする。

ではチラリズム的な心の動きなのか?小出しにされて気になるから予告は面白いのか?これはある程度あるかもしれない。ジャンプ読者がパンチラに燃えるのと同じ構図だ。でもパンチラがパンツが全部見えるより良いという構図よりも、映画の予告はクイズ番組で問題だけ出されて答え発表をCMのあとに引き伸ばされる構図に似ている気がする。僕らは別に答えを知ってがっかりしない。そうか!と思うだけだ。

上手い例えになっている気がしないが、僕は予告がチラリズムであり、ハードルを上げているってゆうのはどうもしっくりこないことに気づいたって話だ。いや、チラリズムの面白さや、ハードルを上げていることを肯定するとしてもだ。これは本質的にはどうゆうことなんだろうと考えたわけだ。

僕の答えはこうだ。

映画予告及び諸プロモーションの方が映画本編よりもコンテンツとして面白い。

これらは映画を盛り上げるために行っている。観てもらうためにやっている。しかし、その盛り上げの方が盛り上がっていておもろくなってしまっているのではないだろうか?『君が君で君だ』のYouTube予告は天才的だった。心に刺さった。でも本編はちょい刺さりだ。本編を観ず心の中でストーリーを勝手に思い描いていたほうが僕の人生の支えになってくれたかもしれないと思う。

予告は本編の山場を繋ぎ合わせて作られる。もちろんネタバレはされない。ここにネタバレも含んでくれれば僕は2時間が5分そこらで済むようになるので映画と同じ代金を払ってでも観るだろう。5分で友人との会話にも程よく混ざれるし、人生の哲学を簡単に気軽に手にできる。時間も大きく節約できる。そのミニ本編で余程いいと思えば2時間の方を観に行くこともあるかもしれない。

映画監督はある時点から社会的な地位も高まり、アーティストだったり巨匠とか言われたり一般人には不可分な位置に置かれた気がする。でも、どんな思想もテクニックも一旦置いといて面白くしてくれってことを思うわけだよ。 

賞とか貰ったり、考察とかさせて偉くなったもんだな。でもな予告のが面白いんだよ。映画はお前らが撮ってもいいけど編集は映画予告会社のサラリーマンに任せとけよ。そっちのが先入観なく、変な意地なく面白くしてくれるから。そう言われたくなかったら本編を面白くしてくれよ。超えられないなら過剰なプロモーションしないほうが双方幸せなんじゃないかな。とびきり面白く、心動かしてから伝えたいことは伝えてねって思うんだよねー、って話でした。