私が高校教員を辞め、学童を始める2つの理由
東海林 祐太(しょうじ ゆうた)と申します。よろしくお願いします。
始めてnoteを書きます。これからこのnoteを活用して、民間学童の設立者としての私の考えを私自身が整理するとともに、同業者はもちろんのこと、まったく異なるジャンルの方も含め、多方面の多くの方に私や私の学童(民間学童MAPSといいます)を知ってもらい、情報交換の輪が広がったり、地域(茨城県那珂市(水戸のちょい北)周辺で活動してます)の方と繋がり交流の輪を広げることが出来ればと思っています。
基本的には教育や子育てをテーマにした投稿が多くなると思いますが、そうでないことでも「これは」ということがあれば綴る、気ままなnoteにしようと思っています。
まずは自己紹介を兼ねて、「私が高校教員を辞め、学童を始める2つの理由」について書きたいと思います。
私は、今年(2021年)の3月まで私立高校で教員をしていました。新卒からの丸々8年間です。教科は公民で、「現代社会」を主に担当してきました。また、幼少期からやってきたサッカーの指導を部活動顧問としてやってきました。一応中学・高校と選手として全国大会を経験し、指導者になってからも全国大会を経験することができました。
教員としての日々は、教科指導や担任業、部活動、他にも校務分掌や書類作成、保護者対応…と、挙げればきりがないですが、とにかく忙しい日々を送ってきました。やはり教員というのは忙しかったです。
余談になりますが、2017年の文科省の調査によると、週20時間以上の「過労死ライン」に達する残業をした小学校の先生は、全体の約3割、中学校の先生は全体の約6割だそうです。OECD(経済協力開発機構)の2013年の調査では、教員の週平均労働時間が、日本は加盟国の中で最長の53.9時間(加盟国平均は38.3時間)だそうです。なかなかの数字だと思います。私の経験でいうと、教員には残業という概念がないので、それについてはよく分かりませんが、1年間の休日(仕事がない日)の日数は、多く見積もって10日くらいじゃなかったかと思います。
とまあ、そんな感じの働き方なので、それはそれは目の回るような日々でした。それでも、大学時代に「絶対に教員になってやる!」と固く決意して、苦労してなった職業です。しかも、疾風怒濤の青春真っただ中を生きるキラキラした高校生たちを相手に、好きな科目や好きな競技を教え、時に人生について説きながら(こんな未熟者が自分を棚に上げて勘違いも甚だしいことを言ってきたと思います…)人の「成長」に携わる仕事です。やりがいを感じないわけがありません。できる限り目の前の生徒と向き合ってきたし、全力で日々の職務を全うしてきた自負はあります。
前置きがとても長くなってしまいましたが、ここから本題です。
そんな教員生活でしたが、それでも日々の教員生活の中で、この職業や学校教育に対して、いくつか問題意識を持つようになりました。それがここでのテーマである、私が教員を辞め学童を始める一つ目の理由に繋がっています。
私が持った学校教育に対する問題意識の一つは、
既存のシステムのなかで「いま求められる学び」を提供することの難しさ
です。
「いま求められる学び」とは、簡単にいえば、子ども達が自ら学ぶような「主体的な学び」です。
Society5.0時代(AIやロボットなどの革新的技術が様々なものに活用される社会)の到来やグローバル化など、社会の変化に応じて、求められる子どもたちの学びも変化しています。ひと昔前までは、決められた答えを決められた通りに導きだせることが良いとされていましたが、現代においては、自ら問いを見つけ、自分なりの方法で自分なりの答えを見つけることに重きが置かれています。文科省も2020年より全面実施の新学習指導要領において「主体的・対話的で深い学び」をテーマに設定しています。
しかし、このような学びを子どもたちに提供する学校の実情としては、依然として従来型のシステムから脱却できずにいるのです。同学年で構成されるクラスで、同じことを同じ方法で、同じペースで習う一斉一律の授業が展開されていることが往々にしてあります。これは現場の教員の問題ではなく、学校教育のシステムの問題だと私は考えます。
主体的で対話的な学びを提供するための方法の一つとして、アクティブラーニングがありますが、これを実施するための準備に要する労力や時間は、講義型の比ではありません。つまり、「いま求められる学び」を提供するためには多くの準備時間や労力が必要で、ただでさえ多忙を極める教員が、すべての授業を“現代版”に刷新することは到底現実的でないように思うのです。
そんなことをぼんやりと考えながら教員生活を送っている中、私に待望の娘が誕生しました。そしてその2年後にもう一人、娘が生まれました。この2人の娘の存在もまた、私が教員を辞め、学童を始める理由に大きく繋がっていきます。
長女が1歳になり、妻が育休から復帰するため、保育園の申請をしましたが、見事に落選し、約2ヶ月間待機児童となりました。その間妻は育休を延長し、何とかやり過ごしましたが、この経験で、日本で散々いわれているこの問題の深刻さを知りました。そして、私たちに数年後待ち受けている「小1の壁」もこの時初めて知りました。
小1の壁とは、保育園の預かり時間よりも小学生の下校時間の方が早く(低学年はだいたい2時過ぎ)、低学年の子どもを家で一人にすることはできないため、小学校入学を機に親が働き方を変えざるを得ないということです。私の住む地域では、すべての小学校に公設学童が併設していますが、地域によっては定員を満たしている施設があり、民間学童も新規の受け入れができない事業所があるのが現状です。
私は、この状況に強い危機感を持ちました。
小1の壁にぶち当たったときに、積み上げてきたキャリアや仕事へのやりがいを諦めなければならないのは、多くの場合母親です。夢を持ち、教育を受けることでその夢を実現するチカラを持ったはずの女性が、志なかばで子どものこと、家のことを優先して働き方を変えざるを得ないのです。男性でもいいはずですが、多くの場合は女性です。
これからの社会は、性別に関わらず社会で自らの能力を遺憾なく発揮し、自己実現を果たすことのできる社会でなければならない。そう思いました。
結論が最後になってしまいましたが、私が高校教員を辞めて、学童を始める理由は次のとおりです。
1.いま求められている学びを提供できる新たな学びの場を作るため
2.誰もが仕事と子育ての両立が果たせる社会を実現するため
繰り返しになりますが、いま求められている学びとは「主体的な学び」です。自ら問いを見つけ、自分なりの方法で、自分なりの答えを見つけるような学びがあってこそ、これからの社会を力強く生き抜いていくことができます。この学びを実現するためには、じっくり一つのことと向き合ったり、どんどん「そと」に出てみたりすることが必要です。学校には学習指導要領があり、いつまでにどこまで学習を進めなければいけないかが決められています。そとに出ることもなかなかできません。だからこそ、民間学童が学校教育を補完する役割を担いながら、子ども達にとって最適な学びの環境をつくることができるのです。カリキュラムにとらわれることなく、自分が興味関心を持ったことをじっくりとことん調べたり、仲間内で話したり、実際にそとに出て、その目で確かめたり。。。そして、放課後にそんな活動をすることで、親の子育てへの不安を解消し、安心して子育てと仕事の両立を果たすことのできる社会を実現することができれば、こんなに素晴らしいことはないと思います。
茨城県那珂市菅谷にオープン予定の民間学童MAPSは2022年3月プレオープンに向けて、準備を進めています。
事業を興すというのは、まさに探究的な学びの連続で、私自身勉強させられることばかりです。「時間がかかるけど、とっても楽しい」この私がいま抱いている感覚を子ども達にも届けられればいいのかな と思っています。
長くつたない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました😊
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