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大学の友達へ

大学では多くない友人ができた。
いわゆる「よっ友」はそれなりにいたが、大抵はすれ違っても目を合わさなくなった。入学式に一緒に行ったあの人は元気だろうか。あれ以来、会ってはいない。名前も忘れた。ひどい話である。
そんな中で、これからも会い続けると断言できる数少ない友人がいる。まあ、数はどうでもいいので「多くない」とか「数少ない」とか言うのはここでやめよう。とにかく、そんな彼らに出会えた私は幸運である。

彼らとの出会いは意味が分からない。
オリエンテーションでちょっと仲良くなった彼は、オリエンテーション後に多くの人間を引き連れて飯に行っており、なんだかもう会わないと思っていた。その一週間後には英語の授業で隣の席になり、一緒に飯を食うことになる。そして彼はその一週間後、「こいつ面白そうだから」と別の授業で目立っていた、「学生運動やってる?」と言いたくなる感じの強面で真面目で優しい彼を連れてくるのだ。少なくとも平成生まれとは思えないなどと思ったことは秘密である。

教育学から始まり、社会学、行政学、社会福祉学、政治学、経済学、哲学など僕らの話題はどんどんと広がっていった。それぞれの専門性がちょっとずつ違ったからこそ、見えるものがたくさんあったと言うと美談にしすぎだろうか。「ぜんぶ近代のせいだ」という言葉は汎用性の高すぎる迷言である。

いろんなところにも行った。

秒で決まったフィンランド教育視察は、凝り固まった価値観を壊してくれた。
百聞は一見にしかずを実感したのはこの時が初めてである。逆立ちしながら勉強をしていたあの子を忘れはしないし、「ネウボラ」は私の卒論のテーマである。
1人だけ部屋が違ったのも、まずいチーズを食べたのも、泥臭い魚を食べたのも、ワインと間違えて辛いポテトを買ってきたのも、「モイ」だけで会話が成立しているのを目の当たりにしたことも、各地から集った教育学徒と酒を飲んだことも、1日のまとめを眠くなりながらしたこともぜんぶ楽しかった。あと色恋沙汰もね。

あらゆる人の手を借りて行った大阪教育視察も楽しかった。
何をすればいいのか分からず、むしろ子どもに遊んでもらってしまったボランティアはなんだか悔しかった。今ではそれでよかったのだとも思う。あの子たちやおっちゃんは元気なのだろうか。顔も声も思い出せないけれど。
高校では、時間の許す限り質問をした。正義に燃えていた私は失礼な質問をしなかっただろうかと今になって心配になったりする。今だったらもっといい質問ができるような気もする。

もっと日常に目を向ければ、3限空きの昼休みは豊かだった。
ちょっと遠くにご飯を食べに行ったり、よく分からない公園で時間をつぶしたり、図書館で勉強しようとして結局話し込んでしまったり。どれも抱きしめたくなる記憶だ。特に今は。だってもう少しばかりこの記憶を更新することができるはずだったから。代わりに開かれた読書会たちは、自分にとって大きな大きなものになったから、この悲しみと真正面から対峙しなくて済んだけど。静岡、本当に良いところだったからまた時間を取り戻しに行こう。

ここに居なかったらどんな人生だったのだろうかと不安になるくらいの場所だった。彼らと出会ったからこそ、出会うことのできたものが多すぎる。会うことのなかった人、読むはずのなかった本、深いところにいる自分、そのどれもがない状態をもはや想像することができない。

社会を考え、社会を憂い、新しい社会の形なんてほざいていた僕らが「社会人」とやらになるらしい。最近はもっぱら、お互いの今後の生活を憂いている。それでも、それぞれが社会を創る道に進んでいく。
いつか一緒に仕事ができたらいい。あれやこれやを見た上で、新しい社会の形なんて曖昧なものではなく、届けたい誰かを想う仕事ができたらいい。

ちょっとだけ絶望したがりの僕らだけど、酒でも飲みながら小粋に生きていけたらいいと思う。

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