【西日本豪雨】交通対応最前線ダイアリー:7月10日-模索

7月10日(火)快晴.

昨日,いろいろな行政機関を回ったが,「運輸」寄りの交通の部分では,直近で役立てることを見つけることができなかった.行政機関もこの時点では切迫されたような様子はなかった.交通網が寸断され,大変なことになっていたのは事実である.ただし,被災してまだ間もなく,学校は休校であったところが多く,仕事を再開されていたところも少なかったためであろう.
そのまままた行政機関に様子を伺いに行っても良かったが,昨日と比べてあまり様子が変わった様子もないので,この日は少し様子を見ることとした.

一方で,この日は主に学校での,学生向けの情報提供を整えていった.具体的にはボランティア活動についてである.大きな被害を受け,そして学校のある「呉」でボランティアをしたいという学生からの申し出が非常に多かった.呉に住んでいる学生は良いのだが,呉市以外に住んでいる学生も多かった.学科の先生方や,学生指導担当の先生とも議論し,最寄り,あるいは居住する地域のボランティアに参加するように推奨することとした.今の職場には高校時代の同級生の先生がいるが,その先生が県内の自治体のボランティア情報を集め,クラウドサービスの連絡網で配信していった.自分の研究室のホームページで,その情報を集約したページを作成し,更新していった.

▼学生向けのボランティア情報ページ(研究室ホームページに設置)

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私は,研究室のホームページを,独自にドメインを設置し,レンタルサーバーを借りて運用している.この費用は全て自分持ちであるが,いつでも,どこからでも更新できることや,掲載できるコンテンツの自由度は大きい.ホームページを構える前に,学校外のサーバーを借りて研究室情報を発信することに対し,いかがなものかと指摘する意見をもらったのも事実である.ただ,非常時を考えた際には,明らかに有意であった.どこからでも更新できるし,停電や回線トラブルでホームページが落ちることがない.アクセスの集中にも強い.

ホームページを整え,更新したのち,また,市内の交通拠点の様子を見に行くこととした.他にすることがなかったというのが正しいかもしれない.

その後,広島市内の交通拠点や,街の様子を見に行くこととした.数日前に見た様子とどのように変わっているかが気になった.

移動途中に,携帯の緊急速報が鳴った.快晴なのに,「河川の決壊」の速報であった.流れ出た土砂や流木がたまって,水の流れを堰き止めて,水が行き場を失い,決壊したようであった.豪雨災害後,雨が降っていなくても,しかも.数日立った後でもこのような決壊が起こることを知った.ちょうど決壊した場所の近くを車で通っており,本当に焦った.

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初めに広島港に向かった.今度は全く車がいなかった.流石に「いつ乗れるかわからない状態で待ち続ける」運用は改善され,電話で受け付ける体制に変更されていた.おそらく,なかなか電話が繋がらない状態が続いていたのではないかと思う.特に大型トラックでは,呉に道路で行くには厳しい状態でもあったし.

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その後,広島市東部を車でめぐった.数日前と様子が変わっていた.全国各地から警察のパトカーや消防車が応援に駆けつけていた.広島市の東に隣接する海田町では,大阪府・忠岡町から応援に来ていた消防車を見た.独りで車に乗っていたが,「ありがとう」と呟いた.

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と,あれこれ街に出てみたのであるが,発災4日後のこうした変化を見る程度で,ただ,他にすることがないので,出て歩いた,という方が正しいかもしれない.
いまだに,自分の専門を活かして何ができるのか,見つけきれない状態であった.

夜19時から,学校の同じ学科の先生と7人でオンラインでミーティングをした.学校の様子,それぞれの専門領域で動かれている様子の話を共有した.土質(地盤)や河川の先生は現場に入られている.でもこちらは何もできていない.

そんな中,広島大の某先生(比較的歳の近い,先輩の先生)から電話を受けた.「最近,何をしてる?」という問いだった.「あれこれ記録をとって,あと,何ができるか 考えていますが,見つかりません」と答えた.
そうしたら,明日,朝ごはんを食べながら議論しようか,という話になった.

後になって悟ったのであるが,「交通」や「まち」を専門とする者にとっては,発災後の数日はとにかく情報を集めて,現状を把握する,というのが仕事なのかもしれない.と思う.その理由は,まあ,そのうち.





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