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【西日本豪雨】交通対応最前線ダイアリー:7月9日-屈辱

7月9日(月)

発災後,初めての平日である.ニュースでは,まだ人命救助活動のニュースが流れていたタイミングである.

この日,朝10時から学科の先生の有志(10名のうち,5名)が集まり,作戦会議を行なった.といっても,前半は,学生のために何ができるか,何をすべきか,ということがメインであった.学校の様子はどうなっているか,学生の様子はどうなっているか.寮にいる学生は大丈夫か,留学生は大丈夫か.
そして,ボランティアに行きたいという学生も出てくるので,その対応をどうするか.夏休みはちょうどインターンシップの時期でもあり,災害で中止になるところも出てくるので,その対応をどうするか...など.
また,行政機関と連携を図る中で,誰がどの機関の窓口になるか,などを決めて行った.加えて,「無理をしない」,「家庭も大事に」というのも確認しておいた.

また,どこでどのような被害が起きているかという情報も共有した.そして,今後しばらくは,毎日夜7時からスカイプ会議で定例会を行い.情報共有を行うことを確認した.

学校全体の動きと,その中でできていないこと,手が回っていないこと,それに対し,土木系の教員が何ができるか,という議論もおこなっていた.

昼から,行政機関が集中する,広島市内の基町・八丁堀エリアに出かけた.ここには,県庁や国の組織が集中している.

まず,国土交通省中国地方整備局を訪問した.広島エリアはある意味,最悪の時期を脱した(これ以上酷くならない)が,所轄するエリアで,岡山エリアが倉敷市・真備地区の対応で大変そうな状況であった.
その後,隣のビルにある国土交通省中国運輸局を訪問した.ここでは,物流関係の方がとにかく忙しそうだった.支援物資や,食料等の流通を円滑にするためであろうか.それ以外の部署には,あまり人が居られなかった記憶がある.
そして,その後広島県庁に向かった.その時プロジェクトで一緒にしていた,観光部局を訪ねたが,バタバタした様子ではなかった.災害直後に災害部局が忙しい,というのは流石にない.その足で公共交通部局に行ったが,こちらも案外”涼しい”様子であった.その時,県庁の「災害対策本部」を見せていただいた.まるで戦場のような様子であった.様々な省庁から,また都道府県の職員の方が派遣されており,ドリンク剤の箱がたくさん机の上に並べてあった.
この様子を見て,「自分はこんなことをしていて良いのだろうか?」と思った.明らかにこの瞬間,役に立てていない.
それぞれの組織を訪問し,「技術的にも,何でも,できるサポートがあればします」とお伝えした.それぞれ,「その時には是非ともお願いしますね」と返答があった.ただ,その後,とあるタイミングまでは,「その時」がくることはなかった.その時,ある一言が頭の中をよぎった.国土交通省四国地方整備局の方で,2011年の東日本大震災の際,TEC-Force(技術支援部隊)として被災地に派遣された方に,後日,対応をの様子をインタビューさせていただいたときに,聞かせていただいた一言である.”「何かお困りのことはないでしょうか?」と問うと.「何をしてくれるんですか?」と意外な返事が返ってきて,「我々はリエゾンで来たのに逆にそういう質問をされて戸惑った」”という(夏山・神田・藤井(2014)).実際に後日,ある市役所を訪ねた際,「何でもしますのでいってください」と市役所の若手の方にお話しすると,「先生になにができるんですか?」とモロに言われた.”くそっ”と思ったが,でも,災害時の危機的で,現場優先,一刻を争う状態では,正直,「”ユウシキシャ”なんて,役に立たない」と思われているのが現実なのだろう.そりゃそうである.現場をどれだけ知っているかは,現場にいる人が一番わかってる.この一言,自分の火がついた.だけども,「絶対に役に立ってやる!」と,強く決意した.

夕方,午後7時から再度分野の先生7人とオンラインで会議をおこなった.少なくとも学校に対するニーズは,ボランティアに対する応援要請,スコップ等の資機材の貸し出しであった.そして,学生からも「ボランティアがしたい」という声がどんどん集まっていた.

一方で,専門家として,エンジニアとして自分が何ができるのか?ということについては,答えが見つからず,悶々とした状態から脱出できずにいた.何かしたい,でも何もできない,役に立っていない.
空いた時間は,ずっと,GoogleMapを眺めて,渋滞のパターンを考えていた.それぐらいしかできることがなかった.その瞬間に何か役に立つわけではないのであるが.

また,この日はプロ野球が開催される日であったが,西日本豪雨の被害が甚大であるということで中止になった.仕方がないな,と思う反面,カープが頑張ることで,広島に勇気を与えてほしいとも思った.難しい判断であったとも思う.

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