DOS/V

中学1年生の時に初めてパソコンを手に入れた。

数えてみたけど、1994年のことだ。今から26年前である。そんなにも。

ところで、学校の入学・卒業の年を数えるのってムズい。頭がこんがらがる。2000年に大学に入学したのを覚えてる。ということは高校の卒業式が同じ年にあって、3を引けばいいんだっけ?だから1997年に高校入学で、高校1年生かな。え、これあってるの?

話ぶっとぶけど、一昨日書いたnoteの記事に、サポートっていう機能で投げ銭もらってありがたい。だから調子にのって、今もnote書いてる。一番のモチベはお金、お金。ところでnoteって固有名詞だったのが一般名詞に引き上げたのがすごいよね。note書くとか僕のnoteとか。でもなんだろう。この小寒い感じは…。

まあいいや。

パソコンは父が買ってくれたFMVだった。父は例えばプログラマーというわけではなかったけど、会社でシステムのなんちゃらをやっていて、パソコン的なことには積極的だった。それをどこで買ったか全然覚えてないけど、いつの間にかパソコンデスクと共に、リビングに置かれた。

OSはDOS/Vだった。

といってもDOS/Vを素のまま使うわけのではなく、Windows 3.1をDOS/Vから立ち上げて、Windows 3.1を使った。黒い画面に白い文字でプロンプトがでてるので、Windows 3.1を立ち上げるコマンドを打ってWindows 3.1 を立ち上げるのだ。コマンドはもう忘れた。じゃあそのパソコンはWindows 3.1じゃないか、と言われれば決してそうではなく、そのWindows 3.1はDOS/Vから立ち上がられたものだから、結局そいつはDOS/Vだった。

だから、DOS/Vってのは僕にとってパソコンの全てだった。

そういえば、一般的にもDOS/Vがパソコンの全てだった時代もあって、DOS/V機なんて言葉も使われた。これ豆。

DOS/Vはエロくて、気まずくかった。

親がいない時にパソコン通信で落としてきた「パイ合わせ」をやるのとは違う、気まずさがあった。

「DOS/Vマガジン」という雑誌を買ってきたら、後半全てがエロだった。エロ漫画そのものだった。それはリビングのマガジンラックに置かれた。僕はこっそりと眺めては、ラックに戻した。正直僕の趣味ではなかった。謎なのは、果たして母親があれをみたかどうかということだ。もしみてたとして、母親は何も言わなかったわけだから、それはそれで母親はすごいと思う。母親というのはこうあるべきかもしれない。

父親と初めて秋葉原へ行って、パソコンパーツを漁ったあと、ソフトを売ってる店にふらっと立ち寄った。全部がエロゲだった。壁一面がピンク色だった。すぐさま退出したが、気まずくてしばらく父と話ができなかった。これもDOS/Vのせいだ。

初めてのパソコンというと「プログラム組んでましたよ。あれが初めてのプログラミング体験ですね」とかクソみたいな美談を語るけど、僕の場合はDOS/Vのエロくって気まずい話を思い出すだけだ。残念。

あーーーまてよ。

じゃあ、今度からこう言えばいいのか。「DOS/Vのあのエロ体験があったから、今の僕があるんです」。これなんて美談。

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