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つながるものとつながらないもののその先に

夏祭りの創作太鼓に引き続き、秋の郷社祭りにむけてのお囃子太鼓の練習を毎週土曜日にはじめた。

私たちの住む築羽自治区には、旭八幡神社という神社がある。ここでは、各集落のお祭りとは別に郷社祭りが催される。つい数十年前までは、築羽自治区以外にも、今の区分でいくとお隣の自治区などかなり広域から花車があつまり、屋台もたくさんでて、それはそれは人でごったがえしていたお祭りだったようだ。

私たちの自治区では、もう各集落でお囃子太鼓をだすところはほぼなくなってしまい、郷社でもコロナの経過もあり、今年は本宮ともう一つだけが花車をだす。巫女舞は去年復活、神輿渡御も去年復活。

実は、6,7年前にももうお囃子太鼓、笛を吹く人がいなくて、できない、やれない、という声が大きくなった、、、 そのときは、じゃぁみんなで笛覚えればいいんじゃないと伯母沢流笛太鼓練習会をつくって、私もそこで覚えた。各集落ではやっていたお囃子の練習を郷社ということでみんなでやったことは今までなかったことのようだった。

そのほんの少しのつなぎがあったからこそ、今またやれている。そのときは「新しい外からきた人が覚えたいと言っている。」がキーワードだった。今回は、夏祭りのこともあり、「本宮ともうひとつは子どもの花車をだす。」がキーワードだった。

そんなに熱がはいらないかもしれない。9月16日のはじめての練習会のときにあまり人が集まらなかったからだ。。。夏祭りのときとは習慣が違うからダメかもと思った。でも、9月30日はたくさん20人以上集まってくれた。老若男女、笛と太鼓と掛け声で共演する。

どんな意味があるか。と野暮なことは問わない。こうやって集まって、音をあわせて体に響かせる。当日も楽しんで神事、お囃子、神輿渡御が終わったら、子どもたちと一緒に楽しく飲んで食べて遊ぼう。

お祭りのかたちはかわっていってもいい、時代ごとにつくっていけばいい、練習も楽しんだ子も当日だけこれた子も打ち上げだけこれた子もいい。

楽しんだ時間の分、細くともつながった糸が次の時代へつながっていく。

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