石橋湛山の没後50年に際して石橋湛山研究の一層の深化を期待する

本日、1973年4月25日に石橋湛山が没してから50年目を迎えました。

戦前は経済専門誌『東洋経済新報』を中心に政治面では政党主義を強調し、経済面では自由貿易と国際協調主義を擁護し、対外政策では植民地放棄論を提唱し、戦後は政界に進出して1956年には首相に就任したのが、石橋です。

こうした事績から、特に言論人としての活動が注目され、高く評価されているのは広く知られるところです。

ただ、1925(大正14)年に男性のみを対象とするものの普通選挙が実現したことを除けば、植民地放棄論や旧平価による金解禁の反対など、石橋が提唱した議論が政治家たちに受け入れられ、具体的な政策となることはなかったのも事実です。

実際には、中国大陸での権益の拡大を目指したことで1931(昭和6)年に満洲事変が起き、日本は国際連盟から脱退して国際社会からの孤立を余儀なくされました。

あるいは旧平価による金解禁は正貨の流出と通貨と信用の収縮をもたらし、濱口政権が推進した緊縮財政と相俟って昭和恐慌と呼ばれる深刻な不況に陥りました。

その点で、植民地の放棄や新平価による金解禁など、石橋の主張は適切な内容を含んでいたと言えるでしょう。

それでは、なぜ、輿論は石橋らの主張に与せず、政治家たちは支持しなかったのでしょうか。

どれほど適切な議論であろうと、人々は適切さのみである議論を支持するのではありません。むしろ論者を信頼するからこそ議論を支持するのです。

例えば、金解禁論争における石橋の議論は、金解禁こそが閉塞する日本経済の現状を打破する唯一の方法であるといった旧平価解禁論者の多分に現実を直視しないある種の楽観的な主張に比べ、新平価による解禁を受け入れればどのような明るい将来がもたらされるかという点で、人々への訴求力を欠いていたと言えます。

また、植民地放棄論も、たとえ日本が植民地を放棄しても他国が追随する可能性が定かでない以上、目の前で起きている各国による領土の拡張という現実と比べれば、あまりに夢想的ないし主観的な願望の強い意見の域を超えないものと捉えられても不思議ではありませんでした。

こうした点に、問題の所在を明らかにし、それによって人々の注意を喚起するとともに政治家にあるべき政策と国民と国家の利益の増進の方法を提起するという、石橋の評論活動のあり方と限界がありました。

とりわけ政治家については、二大政党制という1920年代の日本の国政のあり方と相俟って、政権を獲得するためには政策の実現可能性よりも有権者の歓心を買うことが優先される状況に制約されることが、石橋の議論をより迂遠なものに思わせる結果になりました。

こうした1910年代から1930年代に至る経験から、石橋が所論を実際の政治に反映させるためには、政治家たちの信頼を獲得して献策を受け入れさせるか、自分自身が政治家となって所論を政策へと具体化するしかないと考えたことは想像に難くないところです。

事実、国政への進出の理由を問われた石橋は、「戦争中に日本が誤った道を歩んだ、もうここで誤った道を歩ませた話らないということを考え、それだけで政治に入ったようなもの」 と回顧します[1]。

太平洋戦争そのものだけでなく戦争へと至る様々な出来事を含め、ことごとく日本の針路を正すことが出来なかったという挫折の経験を踏まえ、二度と日本が誤った道を歩まないよう、石橋は戦後になって自ら国政に参与することを決意したのでした。

後年、石橋は1946年の総選挙に出馬した理由として2つの点を挙げます。

すなわち、この年の1月に占領軍司令部の指令により過去の日本の政治家の多くが追放されて選挙に立候補できなくなったため、各政党がよい候補者を失って困っていたこと、また、敗戦直後の日本が緊縮政策を行えば経済が破綻する恐れがあったためでした。

このとき、石橋は自らの心情を次のように記します[2]。

そこで私もこの際、文筆界に引込んでいる時ではなく、どれほど働けるかは分からないが従来の私の主義主張を実践に移し、日本再建に尽くしたいと思った。(中略)みずから政界に出て、いずれかの政党の政策に自分の主張を強力に取入れてもらい、これを何とか食い止めなければならないと考えた。

ここには、『東洋時論』以来その時々の政府の政策や方針を改め、よりよい日本の針路の実現を目指しながらも、ついに素志を果たすことのできなかった石橋の反省と雪辱の念が凝縮されていることが分かります。

こうした点からも、石橋湛山研究の中心が言論活動にあるという現状は、将来的には政治家としての石橋湛山の活動へも視野が広げられる必要があります。

没後50年を経て、石橋湛山研究のさらなる深化が期待されるところです。

[1]石橋湛山『湛山座談』岩波書店、1994年、50頁。
[2]石橋湛山「私の履歴書」長谷川如是閑、石橋湛山、小汀利得、小林勇『私の履歴書反骨の言論人』日本経済新聞社、2007年、158-159頁。

<Executive Summary>
The 50th Anniversary of the Death of Ishibashi Tanzan and the Future of Ishibashi Tanzan Studies (Yusuke Suzumura)

The 25th April, 2023 is the 50th anniversary of the death of Former Prime Minister Ishibashi Tanzan. On this occasion, we examine the future of Ishibashi Tanzan Studies.

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