石橋湛山の誕生日を祝す

9月25日は石橋湛山の誕生日です。

私が敢て触れるまでもなく、石橋湛山は戦前は言論人として主に経済専門誌『東洋経済新報』を拠点として活動し戦後は政界に進出して首相となるものの健康状態の悪化のために就任から65日間で退陣を余儀なくされたことは広く知られる通りです。

また、首相を退陣した後は日中国交正常化に努め、「日米中ソ平和同盟」による国際秩序の安定を唱えるなど、独自の活動を行いました。

ただし、政治家としての石橋湛山は、最初の総選挙で落選し、2度目の総選挙で当選したものの公職追放となり、追放解除後に政界に復帰して鳩山一郎内閣が成立すると蔵相の地位を希望したものの政権内の方針により通産相に任命され、首相となっても65日間でその座を去るなど、挫折の連続と言ってよいものでした。

一方、言論人としての石橋はどうであったかと言えば、日本政府に植民地を放棄することを勧めるいわゆる「小日本主義」を唱えたものの世論の支持を得られず、1920年代の金解禁論争でも新平価での解禁を主張し、財界の一部の理解を得られたとは言え、「景気回復には旧平価での解禁しかない」「金解禁によって一時的な不況が訪れるかもしれないが、その次に来る好況のためには避けて通れない道だ」といった政府首脳の発言や宣伝の前では無力でした。

こうした点を考えれば現在は高い評価を得ている石橋湛山の言論活動も、同時代の人々にとっては必ずしも支持すべき意見ではなかったことが分かります。

今年は石橋湛山の没後50年目であり、来年は生誕140年目を迎えます。

このような節目の年を迎え、あるいは目前に控え、これからも石橋湛山研究がより一層活発になることが期待されるとともに、他面的な取り組みがこれまで以上になされることが願われます。

<Executive Summary>
Celebrating Ishibashi Tanzan's 139th Birthday (Yusuke Suzumura)

The 25th September is the birthday of Ishibashi Tanzan, a former Prime Minister of Japan. On this occasion, we examine the prospective of Ishibashi Tanzan studies.

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