災害ボランティアで感じた事
2011年3月11日14時46分18.1秒
戦後最悪の自然災害となった東日本大震災が起こった
死者・行方不明者・震災関連死者は計約2万2千人。未曾有の大災害である
この時、テレビをつければどのチャンネルでも東日本大震災のニュース
私は当時小学生、テレビから流れるその光景にただ呆然としていた
そこには懸命に救助活動を行う救助隊員の姿があり、私は時を同じくして将来必ず自分も消防士になると誓った
今年で東日本大震災から10年、被災していない私が涙を流すのはお門違いかもしれない
私たちがいくら被災地の為と言って、募金活動やボランティアなどを行ったとしても、周りはそんなの“偽善”だと囃し立てるかもしれない
被災者を可哀想だと言って活動してる人もいる
でもそれはどこか可哀想と思っている時点で、自分達は関係ないと見下しているのではないだろうか。
それは非常に失礼な事だ
だが十分失礼な事だと分かった上で、それでもやった方が良いと信じて被災地の方々に寄り添りそって行きたいと思っている
僕がいくら努力したところで、被災地の方々の悲しみなんて到底理解できないだろう
しかしそれは何もしないと言う理由になるのだろうか
そして、そもそも被災者に“寄り添う”とはなにか?
私なりの答えは
“自分に何が出来るかを考える、そしてそれを実行する”
2011年の東日本大震災から考え続けた答えがそれだった
2019年6月28日、この日記録的な大雨により
西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害・土砂災害が発生し、死者数が200人を超えた
平成に入ってから、豪雨災害としては初めて死者数が100人を超え「平成最悪の水害」と言われている
私は、当時ただテレビから流れてくる悲惨なニュースを見ていただけの自分を思い出した
東日本大地震から8年。私はもう高校生だ、部活もやっている。だから体力もある
私にしかできない事があるのではないだろうか
考えた
そして夏休み、西日本豪雨の災害ボランティアとして岡山県の真備町に行かせていただいた
私は現地で活動する中で様々な状況を見た
水に浸かりボロボロになった家
仮設テントの中で生活されている避難者の方々
実際に現地に行き、現場の状況を見ないと分からないことが沢山あった
目を覆いたるなるような現実も目の当たりにした
ボランティアをさせていただいた家の方が、災害当時の話をして下さった
「目の前で隣の家のおばあさんが流されていき、隣の家の犬も繋がれたまま水にのまれていった」
被災された方からその当時の実際状況の話を聞き、改めて災害の怖さを知った
現地の消防の方も、「こんなことは全く予測出来なかった。だから救助も遅れてしまい、助けられなかった命があった」
そう話して下さった
活動をしている中で1番感じたことは「今どれだけ自分が幸せにな環境にいるのか」ということだ
家に帰ったら家族がいる
学校に行ったら友達がいる
会いたい時に恋人に会える
そんな当たり前の日常を突然奪われた人達が沢山いる
どこかのアニメでこんなセリフがある
「人」という漢字は人と人が支え合ってるんでは無い。支える人がいて、その上に立つ人がいる。
私は岡山での災害ボランティアの経験で、感じた事がある
それは“ボランティアしてあげる”ではない。人が人を助けるのは当たり前の事で、そうやって我々人間は現代まで生きてきた
そう感じた
現在、新型コロナウイルスの影響でなかなか災害ボランティアにいくのは難しい状況だ
だからこそ"今"僕たちにできるのは
「当たり前の事に感謝して、過去の災害を風化させる事なく毎日を全力で生きていくこと」だと思っている
綺麗事でも、自己満足でも良い
人は微力であっても、無力ではない
一緒にボランティア活動をしていた方が、こんな言葉を言っておられた
「人は人でしか救えない」
だからこそ私は立ち上がる
最後まで読んで下さり
ありがとうございました
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