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絆
「絆」
私はこの言葉が大嫌いだ。
正直私の性格がとんでも無くひねくれているだけなのかもしれない。
だが日本でのこの言葉の使われ方には、何故かイライラするところがある。
私が小学5年生の時、そう2011年3月11日、未曾有の大災害である「東日本大地震」が起こった。
災害の状況がある程度落ち着いてからは、やれ音楽番組ではエールを送るからだと応援ソングが歌われ、やれお笑い番組では「我々お笑い芸人はお笑いしかできないから」だとお笑いライブが行われ。それを見た人達が実際に災害を見たわけでもないのに絆だ絆だと囃し立てる。そんな日本の風潮に小学生ながらに違和感を感じていたのを覚えている。
どうせこいつらはこのあと高級ホテルで豪華なご飯を食べ、綺麗なベットで寝るんだろうな。募金箱でも設置して、救援物資を送る方がよっぽど有意義じゃないか。などとでも思っていたのだろうか。
「絆」というと聞こえはいいが、要するにお互いに各々が自分の為に良いようにこの言葉を利用しまょう、という意味に聞こえる。
それからも何か災害が起こる度に「絆」「絆」「絆」————
本当に日本に「絆」が存在するなら、政治家は公費を私用に使ったりしないし、復興にももっと力を注げた。なんなら災害前から津波や地震の予測をして、対策できた事は沢山あっただろう。
それなのにいざ災害が起きてみれば「うわぁ可哀想、みんなの絆で助けようよ」なんて反吐が出るようなセリフを吐き、時間が経ち、時が過ぎていけば「東日本大震災?自分の事で精一杯なのにそんなの相手してられないよ」と言う。
「絆」ってそんなに便利な言葉だったのか?
どう転んでもそうは思えない。被災者が苦しんでいる中、権力者達が自分たちの都合の良いように使っていただけに過ぎないのではないのか。
本当に大変な時に助け合うのは人間なら特別ではなく普通にやるべき事だ、声高々に絆なんて強調する必要なんて全くない。
「困った時はお互い様」
日本人はこの精神を忘れしまったのだろうか。
「絆」
もうこんな薄っぺらな言葉を使うのはやめにしよう。
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