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吉村先生と初雪のふる日とエニエスロビー

「私には絵を描くことしかなかったんです。」

「私は音楽で発信しないと死んでしまうの。」

アーティストの方へのインタビュー記事でよく目にする言葉だ。


(星野源とコラボしている、Superorganismのボーカル、オロノもポッドキャストで言ってた。)


何か表現していないと死んでしまう。という理由で芸術に取り組んでいる人にとても憧れている。


国語や道徳の授業で書くような文章は、全くもって自分の表現ではない。


小学校のとき。

わら半紙に罫線が引かれた紙が前から回ってくる。ごんぎつねだったら、右下に狐の可愛い絵が描かれていただろうか。

「どのくらい書けばいいんですかー。」とお決まりの質問をするやつがいて。

みんなで先生をギラギラした目で睨みつけ、俺が一番に書き上げてやる!と必死こく。

書くべきことは決められているようなものだった。みんな同じような感想を持つのだ。文末は大抵、……でした。……だと思いました。

「ごんが、かわいそうでした。」

「ごんが、かわいそうだな、と思いました。」

「ごんは、兵十のことを思いやっていたのに、かわいそうだなと思いました。」



多分、小学校のころの作文は「決められたことをちゃんとやる。」という練習だったのだろう。


僕が初めて文章を書くのが楽しいことだと気づいたのは、中学1年のころ。担任の吉村先生が国語の教科担任でもあった。大好きな、50手前くらいの女性の先生だった。ポニーテールに縁なしメガネ、けだるそうに話したり、はきはき喋ってみたり。表情豊かで楽しい人。

先生の授業のスタイルはごくごく一般的で、板書を丁寧に、あたかもテキストの解答のように書き、みんなで音読し、感想をかかせるという感じ。本当に普通の国語の授業だった。眠かった。

ただ、生徒のすることにはとても寛容だった。


「初雪の降る日」というお話を覚えているだろうか。

女の子がケンケンパしていたら白うさぎを見つけた。追いかけてると、隣町を越え、そのまた隣町へとずっと遠くへ行ってしまった。という教科書にのっていた話である。

この授業の最後に課題が出された。いつもの、主人公の気持ちを問うような感想文ではなく、「このお話の謎を解明せよ!」みたいなニュアンスの問いだったように記憶している。

その頃の僕はワンピースにひどくハマっていた。アニメ(エニエスロビー編)の主題歌、東方神起のshare the worldという曲はウォークマンで200回近く聴いたと思う。


父親が”ONE PIECE完全考察ガイドブック"みたいな本を買ってきたので、そればっかり読んでいた。

そのせいだろう。

その頃は敬体を使って文字数を稼ぐという戦法が主流だったのに、

「……これらのことから考えて、……であると考えられる。」

みたいな文章を得意になって書いた。考察系の本を読んでしまったから、文体が「うつった」のだ。

かっこつけたような文章だった。かなり自由に、気持ちよく書いてしまったので、ヒヤヒヤした。怒られるかなと緊張したが、吉村先生はにこにこしていたように思う。

本の真似ではあったが、みんなとは違う文章が書けたように感じて、なんとなく晴れやかだった。

これが自分の初めての「表現」かもしれない。




note を書くのは楽しい。スキがつきました!と通知が来ると、ニヤニヤしちゃう。嬉しい。

友達がツイッターで、

”どんなにスキを押してやるものかと思っても、笑っちゃうんだよなー”

と言っていた。ここ一年で一番嬉しい。にちゃあ。


嬉しいのだけど、基本欲求として文章を書きたいとまでは思えていない。このnoteの投稿だって、3日連続投稿を成功させる為に時間に追われている、頑張ってしまっている。文章を書くことを「表現」だなんて。偉そうな口を聞くんじゃなかった。ごめんなさい。





今調べたのだが、初雪のふる日は小学4年の教科書にのっているらしい。エニエスロビー編が地上波で中学のときにやっているはずがない。share the worldをBGMにした「うごくメモ帳」を中学生がDSLLで見ているはずもない。



てことは吉村先生の授業のくだりが全部嘘だったことになるなあ。ごめんなさい。













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