これからのこと〜後輩に話したこと#2
先日、zoomで後輩3人とお絵描きしながら雑談をした備忘録の続きです。
前回は家族の話をしたと書きましたが、他にも色々喋ったはずなので(が、すでに忘れ始めている;苦笑)、思い出した話題を。
今本当にやりたいことをやったらいいんじゃないか
家族の話が僕にとっては大事な話なんじゃないかとは思ってるんですが、確か終わり側に、「これからやっておいた方が良いことってありますか?」みたいな質問が僕に投げられたので、その回答を書き残しておきます。
というか、書き残す前に・・・。
僕はあんまり自分の意見を持っていない方だと認識しているんですが、その割にいろんな人から、内藤先生(しかもなぜか先生付け)はどう考えますか?みたいなことがよくあります。
一体、僕が何をしたというのか。
あ、いや、聞かれるのはやぶさかではないので、むしろ嬉しいんです、が、その一方で、急に話を振られるのにはあんまり慣れていないので、ちょいちょい困ったりします。
聞かれるのは嬉しいんですけど、なんなんでしょうね、この気持ち。
えへへへ。
さて、気持ちを切り替えて。
後輩に聞かれたら、そりゃ僕だってない頭を使って答えるんですが、ただ僕の意見というのは結局のところ、僕が僕にとってどうする方が良いか?あるいは僕は今何をしないとダメなのか?みたいな、鏡そのものなので、ぶっちゃけ僕にしか意味がないと思ってたりします。
現実は過去の記憶でできてるんだから、その人の発言はもうその人がやらないとダメなことを本人にブーメランで返してたりするわけで。
とはいえ、メンタルモデルと言うんでしょうか、僕と似たような感情から同じような行動パターンでこれまで動いてきた人にとっては、有効になりうる意見のような気もするので、その辺りはちゃんと精査しつつ採用してもらえれば、と思います。
で。
きっと後輩は僕がちょっと今後の流れとか10年、20年先を見てるっぽい、と言う期待からの回答を待ってたのかもしれません。
そんなの僕にはわかりっこないんですが、それでも色々1年くらい考えた結果、僕はやっぱり今この瞬間をちゃんと生きることなんだろうな、と言う一点だなぁと思ってたりします。
ただそれだと、言ってるようで何も言ってないような感覚にもなります。
なので、後輩には、これまでやりたかったこと、あるいは、今時間を忘れて夢中になるようなことを、毎日1時間でもいいし、毎日がダメなら1週間でもいいし、月に1度でもいいから、時間を作ってやるのがいいんじゃなかろうか、と言う話をしました。一人で難しいなら、仲間に声をかけたっていいと思うし、とにかく何かを始めることがいいんじゃないかなぁと。
いや、今、それどころじゃないんだよ!
と言う人もいると思いますし、実際、後輩はもう会社を退職したようなもので、来月からフリーランス生活が待ってたりします。
かという僕も、そんなに金銭面で余裕綽々お金持ち、というわけでもないので、それどころじゃないのもあるんですけど:笑
とはいえ、それでもどんな人にでも僕は同じことを言うような気がしています。(そういえば、前にも同じようなことを言ったなぁ)
でも言うからには、理由がちゃんとあるんだろうな?
みたいなことを期待されても困ります。
ぶっちゃけ何にもないんです。
ただの直感です。
ただ強いて言うなら、#1で書いた家族がらみでしょうか。
家族がらみと言うと、ちょっとずれそうですね。
正確には自然な動きかどうか、ですかね。
今の社会システムは自然とはかけ離れて構築されていて、人間の活動が活発になれば、自然が破壊されていく、みたいな感じになっていると僕は理解しています。
でも、家族という小さな形態だけは基本的には自然に沿った形を保っているように僕は思えています。
「じゃぁ人間の自然に沿ったものって何だろうか?」と考えた時に、夢中になってやってしまうことは、自然なことなんじゃないかなぁと思うんです。
先日、「夢中とか無我というものは時間と空間を超えているような感覚があるよね」みたいな話を仲間内でしていたことがあって、まさにそういう状態は僕らが単に欲にまみれて、あれが欲しい、これがほしい、これをやりたい、みたいなものとはちょっと違う感覚を持っています。
これは何かを生み出したことがある人や芸術や創作活動に没頭したことがある人は誰でも持っているような感覚なんじゃないかなと思っていて(実際、そういう話で盛り上がった人はそういう人たちでした)、そこにだけは、はっきりとした違いを僕は持ってたりします。
それは集中するというのとはもっと違うような感じで、リラックスしているけど、何かに夢中になっている状態、というか。
言葉にする方が無粋のような感じだなぁとよく思うんですけど、そういうのって自然と同期するような感じなんじゃないかと僕は思ってたりします。
多分、誰にでも小さい頃は割とそれがよく起きてたんじゃないかと思うんですけど、大人になると、仕事だったり、〜しなければならない、だったり、お金を稼がないと生活できない恐怖みたいなものだったりが邪魔をして、自然のそれとはちょっとずれているんじゃないかと思うんです。
人間なので、それでもパフォーマンスを発揮しようと思えば、頑張ればやれると思うんですけど、それってまぁ頑張らないとできないわけで。
頑張る、なので、頑なに張るんですよね、漢字的には。
僕はそれって緊急時には必要な行為だと思っているんですが、じゃぁ普段からその緊急時に必要な身体感覚を持つ必要があるのか?っていうと、僕はそうは思わなくて。
頑張らない方がいい気はするし、
集中しよう!と思わない方がいいような気がするし、
力を入れよう、と思わない方がいいような気がするし。
多分この辺って、今の社会システムが作用して結果的にそういう身体感覚でこれまでは動かざる得ない時代だったんじゃないかなぁと思うんです。
フリーランスをやってると、納期というものがはっきりと設定されるわけで、必要なクオリティも存在するわけで、安定的にパフォーマンスを出していくために、ちゃんと時間管理や品質管理、健康管理をしていかないとダメだったりします。
これはサラリーマンでも同じで、もっといえば、仕事においては当たり前で、そういうもんだと思ってたりしますが、よくよく考えると夢中や無我という状態からすると割と真逆の発想で動かしてたりするんじゃないかとも思ってたりします。
これからの10年で、破滅に向かうだろうこれまでのシステムがガラッと崩れていって、これからの20年で興隆に向かうだろうこれからの何かがよりはっきりと動き出すんだとすれば(というかもう動いているんですが)、それは僕は自然そのものなんじゃないかと思ってたりします。
元オムロンの今さんがSINIC理論(シニック)を提唱していますが、2033年から始まるのは自然社会ですし。
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SINIC理論については岩井さんが紹介してますので、詳しくは以下からどうぞ。
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全てが自然に戻っていく、というとなんだかお花畑が広がる世界を想像しちゃうのかもしれませんが(僕だけかw)、どっちかっていうと今の科学もきちんと踏まえつつ、人間が自然と同期してアップデートしていくことがベースにあるんじゃないかなぁと僕は思ってたりします。
仮にそうなんだとすると、これまで自分が本当にやりたいと思ってたことを素直にやっていくこと、これだけは夢中になってしまうものをただ純粋にやっていくことが、なんだかんだ言って、もっとも近い道筋なんじゃないかなぁと思ってたりします。
別に科学的な根拠とかないですけども。
だって、夢中や無我の境地に立てるなら、それって一番、自分としてパフォーマンスが高いってことじゃないですか。
パフォーマンスが低い状態で仕事をするっていうのはやっぱり効率的にもよくないと思いますし、ビジネスという側面で見れば、売り上げを上げるために無理に時間を区切ってリリースする、というサイクルを回してきたわけで、人材の配置ももっとも最適なポジションじゃない人を配置せざる得ないようなことを結構よくやってると思うんです。
それこそ全員がもっともパフォーマンスを発揮できるポジションについたら、もっとすごいものは作れるはずで、それをずっとやらなかったのは一人分以上の自由を獲得するための争いをやってきたからなんじゃないかなぁとすら思ったりします。
相変わらず僕は論理的に考えているようで、全く考えてはいないので、色々突っ込まれても困るんですけど、僕はこれからの動きは自然同期(もっといえば、自分同期でしょうか)がキーワードになっていくとは思っているので、もっとも自分の純粋な部分にフォーカスを少しでも当てていく方が結果的に良い方向に傾くんじゃないかなぁと自分なりに言い聞かせながら、後輩に喋ってたりしました。
とは言ってもね、そうはいっても、という反論が出るのはあると思います:笑
だからこそ、毎日1時間でも、週に1度でも、月に1度でも、そーいう時間をちゃんと取った方がいいのかなと僕は思ってたりします。
言ってるだけなのは微妙なので、そんな僕は毎日なにやらごちゃごちゃ作ってたりします。
と言うことで、本当にやりたいことをやり始めてもいい頃合いなんじゃないでしょうか。
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