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いなフリアフター。この1年を振り返る。

2022年4月19日。そうだ。今日は人生の転機となった『いなフリ(現:ワークキャリア)』を受講してからちょうど丸1年

思い立ったが吉日。やらなければいけない仕事はあるが、今日くらいは一旦手を止めて素直に思ったことを綴ってみよう。自分の気持ちに正直に。

なんていったって、いなフリ受講1年記念日なのだから。

記事を読む前に

はじめに、この記事は少し長い。

そして自分の気持ちを整理して振り返る意味で綴っている。

タイトルに『いなフリ』と付けたものの、自分のこの1年の気持ちに向きあう日記的な記事なので、退屈なときに気軽な気持ちで読んでくれると嬉しいなぁ。

そして、読んだらリアクションなりSNSで反応をくれるともっともっと嬉しい。めっちゃ喜ぶので、読んだら連絡してね。(笑)

ちなみに、

  • 『いなフリ(現:ワークキャリア)』の受講を検討している

  • フリーランスに興味がある

  • 人生モヤモヤしている

  • やりたいことが見つからない

  • 今、退屈で暇をしてる人

  • 一緒にごはんもしくはサウナに生きたい人

これらに当てはまる人は必読!絶対にぜったいに読んでね?笑

では、自分自身の振り返りをはじめよう。

1年前に会社を辞めた理由

ちょっと話はそれるのだけど、よく聞かれることがある。

「なんでフリーランスを目指そうと思ったの?」
「いきなりフリーランスって不安じゃない?」
「なんで会社を辞めたの?」


まず、会社を辞めたのが1年ちょっと前の去年の2月末。

こうやって書いていて、まだ会社を辞めて1年ちょっとしか経っていない事実にびっくりする。(笑)
それくらい濃かったし、いろんなことがあった。

会社を辞めた理由は単純。サービス残業が多かったし、単純に労働時間が長すぎた。休日出勤もあり、自分の時間が確保できなかったからだ。


そして何より、自分で選んだ職場なのにその環境に対して不満を言いながら働いている自分が嫌だった。

早く就活を終わらせたくて、自分でテキトーに企業を選んで受けた自分がすべて悪かった。それなのに、文句を言っている自分ってめっちゃダサいな、と。

年が明けた2021年に入って上司に退職相談をした結果、トントン拍子で話が進んで。

気づいたら2月末に退社することになった。特に未練も後悔も全くない。

フリーランスになろうと思ったキッカケ

奄美大島にてワーケーション中

断言すると、会社を辞めたときにはフリーランスになろうなんて1mmも考えていなかった。

そしてまさか、自分がフリーランスになるとは全く想像していなかった

フリーランスになるキッカケとなった人物は2人。この2人には心の底から感謝している。

1人目は友達のまゆ。自称、『日本でいちばん無人島に行った女子大生』だ。 
2人目は旅仲間のえーすけ。2年ほど前にインドで出会った酒好きイケメン

この2人に出会っていなかったら、今の自分はないだろう。

話を戻して、会社を辞めた当初、選択肢にフリーランスなんてなかったから、転職活動をしていた。

といっても、実際に選考を受けに行ったり履歴書を提出したりはしていないけれど。知り合いのつながりで、転職支援をしている人に転職エージェントを付けてもらっただけだ。

流石に次に入る企業はしっかり選ばないと。また同じことの繰り返しだと思っていた。当時は全く焦っていなかったけれど、今思うと無意識のうちに焦っていたのかもしれない。

実際2月に会社を辞めてから2ヶ月間ニートをしていた。ニートと言っても、いろいろな人に会いにいったりと動いてはいたのだけれど。

ちなみに余談だが、インドに行ってから価値観が180°変わり、まったくもって周りの目を気にしなくなった。ニート万歳!

インドの首都・デリー🇮🇳

周りの目や他者からの評価を気にせずに生きられる術は、早めに身につけておいたほうがいい。世の中がとっても生きやすくなるから。

再び話が逸れたので戻そう。そんなこんなで2ヶ月絶賛ニート中に、友人のえーすけと飲みに行く機会があった。(正確には友人の送別会だが。)

南アフリカ🇿🇦に行く友人の送別会

そのときに仕事を辞めたことを打ち明けたら、
「えっっ!辞めたの!?」とめっちゃいい反応をされた。

それで、えーすけに転職活動をしていることを伝えると

「ゆーすけ、それでいいのか。また繰り返すし、人生後悔するかもよ」

といわれた。その時の衝撃ったら半端ない。背中に雷を打たれた気分だった。えーすけからすると何気なくいった一言かもしれなかったが、当時の自分にはめっちゃ響いた。

えーすけ、あの言葉をかけてくれて本当にありがとう。

それで自分は、転職活動をするのを辞めた。やりたいことを探そうと決めた瞬間だった。ニートも悪くなかったが、日本は資本主義社会なのでお金がなければ生きていけない。さて、困った。何をしよう。

そんなときにTwitterを漁っていると、「日本1無人島に行っている女子大生」まゆちゃんのツイートが流れてきた。「いなフリ」の文字とともに素敵な夕陽の投稿。いなフリって、なんだ?

気になって気づいたら、まゆに電話を掛けていた。電話越しのまゆに今でも

「えっっ!辞めたの?仕事を辞める相談じゃなくて、辞めたの!?」

と言われたのを鮮明に覚えている。
どうやら、自分は周りと比べて決断が早い方なんだ、とこの時に何となく悟ったのを覚えている。

そんなこんなで、まゆからいなフリ(田舎フリーランス養成講座)のことを聞いて、なんだか良さそうだったので受講を決めた。このときに人生で初めて、フリーランスという選択肢ができた。まゆの何気ない?ツイートのおかげで人生が大きく変わった。

本当にありがとう。Twitterやっていてよかった・・・。

何もなかった自分。そして1年後の未来にワクワクしている自分。

いすみの海

懐かしい。ちょうど1年前の10時44分、ちょっと早めにいすみに到着して、近くの海に散歩へ。

そう、いなフリは全国各地で定期的に開催しているのだけれど、自分が受講した会場は千葉県いすみ市にある「hinode」という場所。Google Mapで「hinode」と検索すると出てくるので良かったらあとでチェックしてみてね。

このときの自分は、新卒の仕事を約1年で辞めてスキルも知識も何もない状態。空っぽの状態だった。だからこそ、これから始まる1ヶ月で少しでも多くのものを吸収しようと思っていた。

そして何より、自分の今後の人生にとてもワクワクしていた。
今でもあのときの気持ちを思い出すと、とても懐かしいなと感じる。

いなフリでのことを書き留めると、簡単に1日が過ぎてしまうので割愛。いろいろな出会いと、思い出が詰まった特別な場所。

ちなみに、いなフリでは基本的にみんなライティングの勉強から始まる。つまり、職業はWebライター。

実際に案件を取りながら、稼ぎながら勉強していくスタイル。ここも詳しく話すと長くなるので割愛。

(同期のいすみ21期のみんな、元気かなぁ。久しぶりにみんなの話が聞きたいし、近いうちに近況報告しましょう!)

いすみ21期 終了パーティー

いなフリ(以下、ワークキャリア)について知りたい方はぜひ、下記の公式サイトをチェックしてみてね。

そのうえで、いつでも相談乗るよ。

『絆家シェアハウス』との出会い

絆家シェアハウスでのウェルカムパーティー

自分の人生を変えてくれた素敵な出会いはたくさんあるんだけれど。間違いなく人生のターニングポイントになったのがあけみんとの出会い。

あけみんは、絶賛ニート中に都内のゲストハウスで出会い、今では仕事の上司であり大切な仲間。あけみんは関東と関西、併せて11拠点を展開する『絆家シェアハウス』で働いていた。

シェアハウスでの1枚

絆家シェアハウスでは、1ヶ月限定でお試しでシェアハウス生活をして、その様子を外部向けに発信してくれる「留学アンバサダー制度」というのが存在する。
そんな中、あけみんが自分に対してアンバサダーやってみない?を声を掛けてくれたのがすべての始まり。

ぶっちゃけ、早く実家を出たかったし、

「1ヶ月無料でシェアハウス住めるなんてラッキー!」

くらいに思っていたため、即答でやります!と返事をした。
(あけみん、本当にすいません。)

アンバサダー開始時期は、6月からのまるまる1ヶ月間。5月中旬にいなフリが終わるので、帰ってきてすぐに準備してというバタバタなスケジュールだった。ちなみに、バタバタなスケジュールは嫌いじゃない。

人生で初めてのシェアハウス生活。
なんだかこれから人生が面白くなっていく予感だけは感じつつワクワクしながらのスタート。

実際1ヶ月のシェアハウス生活は、まるでジェットコースターのようなワクワクに満ちあふれていた。夢のような1ヶ月だった

絆家シェアハウスでの生活の様子は、自分のTwitterやInstagramで発信しているので気になる人はチェックしてみてね
【以下、各種SNSアカウント】
Instagram
Twitter
(自由にフォローしてね。喜びます。)

そして、ここでの1ヶ月間の活動が評価され?気づいたらシェアハウス運営がお仕事になっていた。

去年の9月から絆家シェアハウスにジョインし、そこからは

  1. Webライター

  2. シェアハウス運営

を主な仕事として活動していた。シェアハウス運営に関して、自分は関東エリアを担当することになったので、そのタイミングで人生初めての上京。

拠点は千葉県柏市にある絆家シェアハウス『#HASH196』。

絆家シェアハウス#HASH196の様子は▶#HASH196

自分を見つけて、採用してくださったあけみん、よっちゃん、まーしーさん始め絆家の皆様、改めて本当にありがとうございます。

絆家シェアハウス 運営メンバー

絆家シェアハウスのことを綴ると、本当に本当に長くなってしまうので。
興味がある人は個人的に連絡してもらえると。

住んでみたい!って声もたくさんお待ちしてるよっっ!!!


激動の1年を通して

無人島の仲間とキャンピングカーで四国1週

そんなこんなで、去年の9月からはWebライターとシェアハウス運営という2つの仕事に対して、毎日慌ただしくも充実した楽しいフリーランス生活を送っている。

仕事内容を比較しても、

Webライター▶オンライン
シェアハウス運営▶オフライン

というまったく性質も環境も異なる2つの仕事を試行錯誤しながら、楽しんで働いている。

1年前の自分であれば、『楽しく働く』なんて皆無だった。
「仕事=苦痛」としか考えず、時間を浪費してストレスを貯めながら働いていた。

この1年間で、本当に多くの人に出会って多くのことを学ばせてもらった。
そして世の中には数え切れないほどの仕事の種類があるし、いろいろな働き方があるんだと痛感した。

ありがたいことに、2020年に初めて参加した『無人島プロジェクト
も、今年から『コミュニティマネージャー』という肩書きでお仕事として関わらせてもらえるようになった。


無人島で過ごした仲間たち

ここで出会った仲間も、ずっと繋がっていたい大好きな人たちばかり。

クサい言い方かもしれないけれど、出会った1人ひとりのすべての人に心から感謝しているし、直接会って1人ずつありがとうと伝えたい

そして今度は、自分がもらった経験や想いをいろいろな人にシェアしていきたいし伝えていきたいと強く想う。

誰かのキッカケを作れるような存在になれたら嬉しいし、この記事を読んで何か少しでも感じ取ってもらえるとさらに嬉しいな、と。

最後に伝えたいコト

絆家シェアハウスでの1枚

自分の人生を振り返ると、ずっと言い訳をして逃げてきた人生だった。

チャレンジすることを恐れ、現状維持を好む性格。でも、1歩勇気をもって踏み出してみたら、世界は変わるし大きく成長できると強く実感できた1年だった。

まだまだ未熟なところもすごくたくさんあるけれど、常にチャレンジし続けていきたいし、自分の心の声に従って素直に生きていきたい。

そして何より、もっとたくさん失敗したい。

「人生には、『成長期』と『成功期』の2種類しかない」

自分が最近読んだ『20代を無難に生きるな』という本に書いてあった言葉が響いた。

20代を無難に生きるな

ここまで長い文章を読んでくれた人、本当にありがとう。

絆家シェアハウスのみんな無人島プロジェクトの仲間たち常に貪欲ないなフリの方々。その他、自分と出会ってくれた人たち。

自分の周りには本当に素敵で大好きな人たちばかり。

みんなのおかげで毎日とっても幸せに生きることができています。

そんな人達と、もっともっとワクワクして一緒に成長できたらいいなと思う。

困ったことがあったらいつでも気軽に相談して欲しい。気軽にLINEしてきてね。


ちょっと疲れたら、ごはんでも行こう。みんながチャレンジしていることも聞きたいし、いつでも1on1やろう!

自分もちょっと、5月から大きな大きいな挑戦をします。
これからの自分の未来を信じてワクワクしながら、今日も生きていく。

読んでくれて、ありがとう!


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