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美術館へ。

2024/05/02

ゴールデンウィーク前半、美術館を巡った。
はじめて美術館に1人で行った。
3つの美術館を見た。

・松濤美術館
・国立西洋美術館
・東京都現代美術館

キューレーターというのか、
美術館の企画者の方の説明や文章が妙で旋律に触れた。
一瞬しか立ち寄らないタイミングで、わかりやすく、かつ美術館っぽさをださないともいけない。
どれも白い紙にきちんとした文章が美術館っぽく並んでいて美術館に来たんだおれは。という自尊心をくすぐってくれた。
展示してある絵画や写真、造形なども、文章を読むとなにをアーティスト、芸術家は伝えたいのかを理解することができて思った以上に感じることができた。

美的センスとか、芸術センスとかは無いが、昔から絵を描くことや、つくられたものをみたいとか、なんとなくわかったようなふりをして美術館にいけてるおれかっこいいとも感じるし、
それ以上に、芸術家のメッセージや、生きてきて表現していることを考えさせられた。
サラリーマンとしての目線でも。

エミールガレはフランスのガラス会社の経営を。万博をマーケティングの材料に、こだわりをもって宣伝してフランス国内でも人気に。

西洋美術館では、
現代アート。山谷の人々を描いた作品では、まちの衰え。高度経済成長の時代にまちをつくった日雇いの人々が高齢化して介護のまちに。
ただ、それを支えたり、伝えたりする人々がいて、色々な手法で。そうやって後世に伝えていくものがアートだったり、芸術だったりもするのかと。写真だと生々しすぎて、伝わらない部分もあるのかもしれない。
人と人を繋ぐ時代と人を繋ぐ媒介が芸術なのかもしれない。

現代美術館でも、
満月の日に拾った石を108つ展示している作品があった。
足元の石ころも、額にいれたらアートだと。

色んな美術館に書いてあったが、
iPhoneやSNSが普及しているいま、下を向いて携帯の画面だけが自分の世界となってしまっている節がある気がする。

人が時間をかけてつくりあげた作品を生で見て感じる。携帯を見ない時間で自分の人生にしおりを挟むように、自画像や風景画など、一瞬を切り取ったものをじーっと眺める。

何を感じか、何も感じないかもしれないし、眠くなったりもしたけど、
人生の喜びや、自分の中になにがあるのか、自分は何に感じるのか、それを丁寧に見る時間があってもいいのかもしれない。

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