ターニングポイント
皆さんには恩師もしくは恩人と呼べる人はいますか?
高校生の時の日本史の先生が恩師と呼ぶに相応しい人でした。
単純に多くの事を教わったと言うことではなく、自分の人生の道や今の考え方の基礎を作ってもらえたと今でも感謝しています。
残念ながら一昨年若くして他界してしまい、結局卒業後は教育実習で母校に帰った時に少し立ち話をしたのが最後になってしまいました。
今回の投稿は勉強法とかではありませんが、自分のターニングポイントになった高校時代の話をさせてもらえればと思います。
まず高校時代の話をする前に前提として中学時代の話を避けて通れないのでそちらから。
私の中学時代は簡単に言うと、不登校生徒でした。
虐められていた様な人間関係のトラブルを抱えていたわけでも体調を崩して通えなくなったわけでもありません。
そのため、ずっと休んでいるわけではなく行ったり行かなかったりを繰り返していました。
最初は部活に行きたくなく休み始めたと記憶していますが、だんだん部活関係なくズルズル休み続け、結果半分くらいは休んでいたと思います。
では、なぜ休み続けてしまったのか?
今から考えると恥ずかしい限りですが、当時の私はいわゆる中二病ってやつで
『自分は他とは違う‼️』
とか
『大人なんかに従う必要はない‼️』
と、本気で思っていました。
全くもって恥ずかしい勘違いなのですが当時はそう思っていましたね。
たちの悪いことに学校は休みがちでもテストでは学年の上位に食い込めるくらいの位置に居たことで、その考えはより一層拍車がかかりました。
『わざわざ学校に行かなくても出来るんだから良いじゃん』
と、思い上がり大人への態度はどんどん横着になっていったと思います。
そんな今から思い返すと最悪な暗黒時代を経て、私は高校に入学しました。
私の母校は県下ではまあまあ有名な(色んな意味で)学校で、ものすごく賢い学校ではありませんが、当時では真ん中よりはちょっと上くらいのレベルの学校でした。
もちろん、色々と勘違いしている私は受験勉強などほとんどせず入試に臨み無事合格。
そして、入学直後に行われた実力テストでいきなり学年4位(当時1学年1200人くらいいました。)という好成績を修めたことで私の勘違いはピークに達しました。
そんな勘違いしたまま1年間を終え2年生になり運命の出会いをします。
私はもともと歴史が好きでその知識には絶対の自信を持っていました。
あっ!もちろん、今から考えると全然ですし、何度言いますが勘違い全開の中二病なのですが。
そんな私の鼻を粉々に砕いてくれたのが前述した日本史の先生です。
その後、大学で日本史を学んだ今の学力を1とすると当時の先生の学力は1000くらいあるのではないかと思うくらいの学力の差を見せつけられた私は自分が如何に井の中の蛙だったのかを思い知らされたのです。
それからの私はそれまで馬鹿にしていた他教科の先生の意見にも耳を貸せるようになっていきました。
そして、それまでの自分が如何に自分よがりの基準で人を比べていたのかを気がつくことが出来ました。
その事に気がつくと不思議と人それぞれの違った良さに目が行くようになり、人と違っても良いんだと思えるようになりました。
それからは人生観が180°転換したように人の良いところを吸収したいと思えるようになり今のような考え方を出来るようになりました。
まだ所々あの当時の陰が顔を出すことがありますが。
人生におけるたらればはいけませんが、出来れば高校時代の先生たちにもっと早く出会いたかったなぁと思います。
今も、これ迄もある程度の数の生徒を担当させてもらっていますが願わくば、1人で良いので私の事をあの当時の私のような人生観を変えれる出会いとなってくれる様に日々全力で当たりたいと思います。
くだらない話にお付き合いいただきありがとうございました❗
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