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Ivy to Fraudulent Game 『水泡』

これほどまでに絶望を鮮烈に表現した曲は知らない。
生きている価値を見いだせず、何にも取り柄が無い自分は何処に向かえばいいのか。
強い自意識が水中でもがいている様を見事に表現している。
水中という果てしなく広大な世界の中で、周囲の人間が起こす小さなうねりが生み出した泡にすらなりきれないという現実と、泡になってしまうが故に自分という存在を抹消されてしまうのではないかという無意味な不安と葛藤。
別に自分という水泡が消えても何も変わらないのに。
自意識だけが渦巻いている。

繰り返しになるが、「水泡」はそんな不安と自意識に、音楽という形を与えている曲である。
不安と自意識を一気に奏切る疾走感は聞いていて清々しく、情けない自分の寄る辺なさすら水泡を聞いている最中だけは寧ろ泊のような錯覚に陥ってしまう。

Ivyの曲の良さは、生きることの大変さを謳っていること、情けなく寄る辺がない者に形を与えてくれること。それに寄りかかりすぎると、絶望が気持ちいいという思想に染まってしまう危険を孕んでいる。

長々と書いたが、一度水泡でもいいから水の一部になって、何も考えずに眠りたい。

水にもならない 泡にもならないなら、水の泡になってしまうくらいは、
痛くもないし、痒くも無いはずだろう。
どうやら何か望んでるみたいだ。






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