見出し画像

vol.4 青掻敷

 初めて務めた修業先で2か月近く経った頃、自分の持ち場であるはこ場(雑用とご飯、漬物などを担当する新人の持ち場)の仕事は昼の休憩前には終わらせられるようになっていました。その為、私は空いた時間に八寸場(様々な旬の料理を一皿に盛り付ける持ち場)の盛付けの手伝いをさせて貰えるようになりました。板場ではこれを「脇八寸」と呼びます。ですので、私の持ち場は「はこ場」兼「脇八寸」となったのです。

 この「脇」が付くポジションは他にもあり、後に勤めた京都にある本店では向板(造りを担当)や煮方(煮物、吸い物、蒸し物を担当)に2人~4人付いていました。

 八寸場に呼ばれた私は始め、先輩たちの仕事を見るように言われます。八寸場の先輩が三つ切りの器の真ん中に10種類ほどの料理を盛り付けています。私は理解しようと一生懸命に眺めますが、まるで分かりません。全体把握のために八寸とはどういうものなのか、これを探るには予備知識も時間もなく、その構造や性質が分かりませんし、かと言って具体的に見ていこうにも初めて見る食材と料理ばかりだったからです。

 八寸台の少し離れた所では、手伝いに来た油場の先輩が盛り付けの様子を見ながら、三つ切りの左端に入れる小鉢をタイミング良く盛り付けています。こちらは若竹煮でした。暫くすると、私はこちらを見るように言われました。ホットプレートの上でバッカンに入れて保温された筍を小鉢に盛り付け、若布と蕗を添え、木の芽を天盛りにします。これを八寸場の先輩の仕事の進み方を見ながら進めます。私が手伝えるのはこちらの若竹煮の方でした。油場の先輩が天ぷらを揚げに自分の持ち場へ帰った後に、入れ替わりで手伝えるようにするためです。

 手本を見せて貰いながら、「遠山の景色を模すように、淡い色のものを奥にして高く盛り付け、鮮やかなものを手前に低く盛る」と、油場の先輩の教えを聞いていました。また先輩はこうも言いました。「作為なく、自然を模せ」と。油場の先輩は近くに八寸場の先輩がいるせいか、ぼそぼそと小声で話し、自信の無い口振りでした。




 
 油場の先輩は八寸台に小鉢を4つ並べ、小鉢の奥の方に筍を一貫ずつ置いていきます。次に先に置いた筍を枕にしてもう一貫筍を置いていきます。これで山を模します。次に若布を菜箸で掴むと山の懐に低くなるように置きます。これは裾野の日陰になったところでしょうか。温かい料理を出すために4つの小鉢に手早く盛り付けています。ここまでできると、先輩は小さなバッカンの中で下味を付けて常温で置かれていた蕗を菜箸で2本ずつ掴み取ります。そして蕗を、若布を枕に立て掛け、菜箸を蕗の立った方向にシュッと滑らせるように離しました。そして一瞬チラリと私の方へ視線を走らせます。傍で見ていた私は、その動作で小鉢の中の景色が晴れ渡ったように感じました。

 「ほぉー」と、心中感心します。しかし同時に「少し大袈裟だな」とも感じてしまいます。「あのシュッとさせた腕の振りは要らないんじゃないか」と思え、感心が声になって出てきません。私には野暮ったく思え、つまり不合理に思え、寧ろ、これまでにも仕事を教わる過程で何度か目にした同じような光景を前に疲労を憶えます。そこに感情と欲が垣間見えるのです。そして私の関心は無意識に盛り付けと先輩の心理との間で揺らぎ、思考と直感を逡巡します。

 普通なら「おぉ!」などと小さく呟き、先輩の欲求を満たすのだろうと想像すると、申し訳ない気にもなってきます。私の肩と脇腹にはぎゅっと力が入り、先輩の視線を避けるように自然と目が伏せられます。この力みを溜息とともにほぐしていると、不意に、

「バシッ!」

と手を叩く大きな音が間近に聞こえ、私はびっくりさせられました。八寸場の先輩もびっくりして声を上げます。音の方へ目を向けると、油場の先輩が叩いた両手をゆっくりと開けていました。

「お前、なんやねん。急に」

八寸場の先輩が盛り付けをしながら半笑いで苦情を言います。油場の先輩は動きを止め八寸場の先輩を見ると、頬を赤らめながら返答します。

「えっ、いや、香りを出したんです」
「それにしてはでかい音やったわ。そんなんいつもやってたか? 」
「えっ、いや、いつも通りですけど・・・」

私は叩くと香りが出るのかと感心し、頭の中がすぅーと透き通つていく感覚を持ちます。揶揄うような笑顔を見せた八寸場の先輩を、暫くの間、見詰めていた油場の先輩は赤らめた頬とツンとした口元をやがて自分の手元に向けます。左の掌には淋し気な木の芽が数枚ありました。先輩は掌を顔に近付けて香りを嗅ぐと、ツンとした表情で木の芽を1枚ずつ菜箸で摘まみ、筍の上に添えていきます。途中、斜め後ろで仕事を見ていた私の方へ再び視線を逸らします。その動きに私ははらはらとさせられます。この状況への上手な対応を知らないのです。そして、(大変な未来が待っているな)と、3才下の、この自意識の強い先輩を見て予感したのです。

 出来上がると、油場の先輩は「見て貰わな、アカンから」と私に教えてくれます。そして無言で八寸場の先輩の様子を暫く伺うと、確認してもらうために若竹煮を盛った器を八寸場の先輩の見やすい所にスッと置きました。間髪入れず、「お願いします」と張りのある声を掛けます。目はしかと八寸場の先輩を捉えています。しかし八寸場の先輩は盛り付けられた若竹煮だけを一瞥すると、「おっ」と軽く高い声で返事をするのみで、自分の盛り付けに再び専念します。どうやら油場の先輩は肩透かしを食らったようです。物足りないのか、八寸場の先輩に向けた視線を引きずるようにして目を離しました。そしてツンとしてやや引き攣った表情を浮かべながら、若竹煮を三つ切りの器の左端に入れていきました。一つ入れる度に視線を八寸場の先輩に向け、引きずるように離します。

 すべて入れると先輩は私に教えてくれます。「邪魔にならないように入れていくんやぞ」と。一連の気苦労を見て、私の脳がはらはらと痺れます。(大変だな)との思いが未来へ向かって猛スピードで突き進んでいくようです。しかし私は返事をしなければなりません。私は腹に力をためる為に音を立てずに溜息を一つ付きました。全身から力の抜けていく動きに逆らい腹筋に力を入れます。そして先輩の言葉と気持ちを疎かにしないように、そしてまた間違いなく安心して貰えるように、輪郭の際立った張りのある声で、少しだけ大袈裟に返事をしたのでした。

 暫く仕事を見ていると、八寸場の先輩が盛り付けに使う葉っぱが無くなりそうだと油場の先輩に伝えました。日本料理ではこれを青掻敷(あおかいしき)と言います。そこで、油場の先輩は今晩の葉っぱ採りに私を連れて行き、葉っぱを採る場所を教えても良いかと尋ね許可を取りました。葉っぱ取りの仕事は一年目の新人の仕事で、どうやら私が仕事に慣れるのを待ってくれていたようでした。きっと早く私にバトンタッチをしたかったのでしょう。油場の先輩の嬉しそうな顔を見て、私は少し安心しました。

 青掻敷は、春は山茶花、椿、南天、夏は楓、笹、つた、秋は紅葉、銀杏、冬は柿、檜葉、柊などを代々伝わる場所で採ってきます。店は大阪の心斎橋にありましたので、これらの葉っぱが採れる場所は限られていました。

 その日の仕事が終わると、葉っぱを採るために私は油場の先輩と一緒に出掛けます。更衣室で一緒に着替えるのはこの時が初めてでしたので、この時私は先輩の服装に驚かされました。何故なら、彼はホストかチンピラのような恰好をしていたからです。赤いシャツの胸元を広げ、どこで買うのだろうと疑問に思うようなストライプの入った黒いズボンを履いていました。どこかケバケバしくギラついて見えます。私の方はいたって普通の恰好だったと思います。この格好の人と一緒に電車に乗るのかと思うと、私の心臓はドクンと波打ち、軽い眩暈を憶えます。しかし、自分も小さな頃は赤い服を好んで着ていたことや中学生で学校の誰よりも早くパーマを掛けたことが思い返されます。ただ私がこのようなことを好んだのは感情や欲ではなく、単に物事に惹かれることに起因していた要素が多いのではないかと思っています。そしてそのような誰かが作ったもの、つまり外部環境に依存する、自意識の感覚的表現への関心は年齢を重ねる度に消えていった気がするのです。世界中の隅々に至るまで探し回り、或いは幾らお金を掛けて自己表現しようとも、それは結局至らないと分かったからです。そしてこのようなことに関して悶々とした思いを抱えながらやり過ごしていた先で、私は京料理と出会いました。

 行先は大阪城公園と真田山でした。どちらも当時住んでいた寮の近くです。当時は植物の名前など碌に知りませんでしたので、暗い中、電灯の明かりを頼りに一つ一つ教わりました。



 帰り道、静まり返った住宅街を歩いていると先輩が尋ねてきました。

「お前、ホントは本店やったんやろ。やっぱ本店の方が良かったか? 」

勤務先が入社式の日に変更になった事を先輩が知っているのだと、私は初めて知り、少し驚かされました。素直に本店の方が良かったと答えれば、大阪店の先輩たちを蔑ろにするように思え、私は素直な気持ちをやんわりと伝えます。

「そらそうやんなー。俺も地元から出てきた時は京都の本店やとばっかり思ってたもん。だって俺、途中入社やし。支店があるなんて知らんやん」

当時は情報の少ない時代でもあり、また隠された時代でもありましたので、私も納得します。入社式に会った同期は15人くらいいましたが、板前見習いとして料理屋に勤められたのはたったの6人だけでした。その他は食品部や贈答部といった部署に配属されたのです。配属先を知らされた時、彼らがとても複雑な表情を浮かべていたのを刻まれた目の痛みに覚えています。

「お前の代わりに本店に行った奴はホテルで一年の経験があるらしくてな。それで急に女将が即戦力になる奴の方がいいって言いだしたらしいで。」

私の目は反射的に散瞳します。そんな理由だったのかと。返事もできないほど驚いていましたが、先輩は構わずに話を続けます。

「でも、大阪店の方がいいで。本店はめちゃめちゃ厳しいらしいから」

私は相槌を打つことさえできませんでした。先輩の言葉を聞いて、それでも本店に行きたいと思えるかと自問自答していたからです。先輩は黙ったままでいる私の方を向いて再び尋ねました。

「それでも、やっぱ本店の方がいいか」

肋骨と奥歯が軋み、私は葛藤します。しかし私はどのように厳しくても一流と言われる仕事が見たいのです。探し出した、胸の一番奥にある気持ちに触れて、私は答えます。

「本店の方がいいですね」

返事は短く、そして軽やかでした。何故なら、「そんなの、始めから決まっていたじゃないか」と、自分の覚悟の揺れに怒りを憶え、そしてまた改めて確認したことに清々しさを憶えるからです。すると、歩きながら横を向いて私を見詰めていた先輩は急に前を向くと、

「そうやんな! やっぱ、そうやんな」

と少し大きな声を上げ、伸び上がるように歩き始めました。その様子を見て、私の首元にも温かい風が吹きます。なんだか少し元気になるのです。それに、先輩との会話で気の利いた返事ができないこともあり救われた気にもなりました。

 私が大きな役目を果たしたような安心した気分で歩いていると、先輩はふと思い出したように立ち止まってこちらを見ました。

「葉っぱ採ってるのを誰かに見つかった時のことを教えるの忘れてたわ」

先輩はこちらを向きながら歩き始め、真顔で言いました。

「もし、警察に見つかったり、通報されたりしても店の名前は出したらあかんで」

私ははたと先輩を見て、反射的に「分かりました」と返事をします。先輩は私の返事の内容を予期していたのか、あまり関心を示さず、矢継ぎ早に私に尋ねます。

「なんて言うか分かるか? 」

私は「黙秘かな」などと考え込みますが答えはでません。すると先輩は、「教えたろか」と言い、ニヤリとします。そして私が頷くと、こう言ったのです。

「〇〇吉の者ですって言うんや」

私ははっとして遠くを見ました。それは百貨店に入っている私たちの修業先と同じように、近隣の百貨店に入っている老舗料亭の名前だったからです。つまりライバル店です。私は遠くへやった視線を戻し、先輩を見ました。目が合うと先輩は前を向き即座に目を逸らしました。軽い冗談であることは分かっています。しかしその様に私は腹を抱えて笑ったのでした。

 真夜中の静かな住宅街に私の大きな笑い声が響きます。笑いが止まりません。私の脳裏に、先輩のニヤリとした頬の上に乗っかった鋭い目が、その目尻から湿った光をたなびかせている様が浮かんでいます。その形が敵意を見事に表し、またこの上なく似合っているのです。針を刺すような小さな敵意、それでいて未練と後ろ髪を引かれるような怖ろしい粘着を感じます。そこにはいじらしさとその背景に浮かび上がる可愛らしさ、ばかばかしさとその背景に浮かび上がる怖ろしさが連想されるのです。


 先輩は始め、満足そうにしていましたが、私がいつまでも笑うので微笑みながらも怪訝さを覗かせ始めました。普段、挨拶と返事しかしない私がこんなにも笑うことに、きっと驚いたことでしょう。しかし私は面白くて仕方がありません。他人にここまで執着する要因は何なのでしょう。他人をそこまで気にしてもどうしようもないはずです。いくらそう思ってみても目の前に実際にそういう人がいるのです。しかも一分の隙も無い傑作に仕上がっています。それが実に滑稽なのです。

 その晩、私は久しぶりに大笑いしてすっきりしました。そして同時に、先輩との間にある溝とその深さを覗き見た気がしました。私は因果を求め、先輩は相関の中で生きていたのです。

 あくる日、私は自分の仕事を早く終わらせて八寸場に手伝いに行きます。先輩たちの邪魔にならないように横や後ろに立ち仕事を見ます。目の前では八寸場の先輩が、昨晩私たちが採ってきた楓の若葉を料理に添えています。先輩は三つ切りの器の真ん中に盛った10種類ほどの山海の珍味のどの辺りに楓を添えようかと何度も位置を変えては思案しています。位置を決めた一つ一つの場面がコマ撮りのように流れて見えます。それが、楓が枝の先から次々と芽を出す記録のようにも思え、その記録、つまり小さな物語に時の流れを感じます。先輩はまた、楓ではなく南天の若葉を使い器の底に敷いてみたり、または小さく切って料理に添えてみたりと工夫しています。先輩が葉っぱの種類と添える位置を変える度に景色が変わって見えます。その仕事を何度も繰り返し見るうちに、私は個性は道具の使い方にも顕れていると思い当たりました。

 その時私は、個性は身に付けた様々な道具とその組み合わせだけでなく、様々な道具のそれぞれの使い方との二重螺旋とその流れに顕れると思い当たったのです。そして道具に空間を、使い方に時の流れを感じました。また今、私はこう感じています。空間に人によるデザインを、時の流れに自然による創造があると。その後の20年ほどを経て改めて思い出すと、当時きっと、先輩にも大きな苦労をさせたのだろうと思えます。対岸にあった先輩の気持ちも多少は理解でき、また共感できるようになったのではないかと感じています。



 

 

 

 
 
  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?