26回目25才の6月

抑うつ、不安を伴う適応障害と診断された
おかしいなとはおもっていた
でも、まさかなとおもった

5月
行きたくないな、嫌だなとはおもってた
でも、新社会人の乗り越える壁だろうと思ってた
大丈夫と言うことばをめいいっぱいひきのばして
泣きながら帰ることもあった

6月
3週目後半から、逃げ出したいと仕事中に
おもうようになった
コロナ対策で迎えに来てくれる母の車で
泣きながら帰った

23日
泣きながら仕事に行った帰りたくて仕方なかった
迎えに来てくれた母をみてなぜか安堵し
車では涙かとまらなかった
直感的に、これはやばいとおもった

24日
なんとか朝起きて準備していたら
“お母さん今日家に一日おるから”と声をかけられ
またもや泣きながら通勤
電車に乗ったけど、泣いてた
逃げちゃ行けない、負けちゃ行けないと思いつつ
母に、涙がとまらないこと、逃げたいこと
仕事にいきたくないことをLINEしてしまった

途中の電車で降りてビクビクしながら会社に電話
そのあとに心療内科に
高校生の時にも行ったことがある場所だった
薬をもらった

その日は電話で報告をする怖さから
一日泣いた
食欲もなくなった

電話をしたけどやはり怖くて仕方なかった

なんでここまで怖いのか自分でもわからなかった
仕事はホワイトだった
ネックだったのは上司の怒り方が
怒鳴るわけではないけど
感情がのっかってるような感じがするところ
ぼくのことをバカにしている感じがするところ
仕事できないのは自覚してるけど

でもたぶん、他の人なら耐えられるレベル
ボクが弱すぎたんだとおもう

電話した翌日には
死にたすぎてリストカットをしていた

“もうやめていいよ”

母がそういってくれて、
また病院に行って診断書をもらって

母が会社まで行って事情を説明してくれて
行かなくていいことになった

なさけないけど
母がここまでしてくれてなかったら
たぶん、もう死んでた

今日辞めることが決まって気は楽になったけど
食欲は戻ってきてないし気分も安定してない

何をしたらいいかがあんまりわからない
これからなにをしていこう
こんなんで心理職になれんのかな
こんなに弱くてもいきていけるんかな

少しずつ元気にならないとな

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