中学生に「人生の価値って何なの?」と聞かれたら

先日、とある縁で中学3年生の社会科見学を受け入れることになり、そこでパネルディスカッションをおこないました。その社会科見学プログラムは、大手企業から官公庁まで自分の興味のある仕事の現場を見に行こう、というもの。一人2つのコースを選べるそうで、「ITベンチャーの仕事を知ろう」というテーマをありがたいことに我々にお任せいただきました。

パネルでは、学生時代に起業し大学卒業直後に2社目となる今の会社を創業した背景や、色々な失敗を経てなんとか皆に助けてもらいながら、仕事ができているというような話をしつつ、「ベンチャーっていいよ」「起業にも興味があったらどんどんしてみたらいい」「これからのインターネットはもっと面白くなるよ」という話をしていました。最近原体験の話が少し盛り上がっていることをTwitterで見かけますが、中高時代の原体験はやはり生き方には影響しているな、と思います。(この辺の詳細はまた記事にします)

「事業をつくることで価値を出していきたい」、といった起業家ならではの人生論のような話をしていたら、質疑応答のときに一人の女子中学生から手が上がりました。

「私は大きなことを成すより、家庭や身の回りの人を大事にしていきたい。それは価値のあることだと思いますか?」

20代中盤までは特に、自分の生き方を正当化して自分を保とうとしていたこともあったから、「起業こそすべて」みたいに考えていたこともあったけど、今はそうはまったく思っていません。多様な価値観があってこそ社会が回っていることを仕事を通して知れたからです。しかし、今回のテーマで原体験を振り返るうちに、自然と「自分が生まれなかったら無かった価値を残す」という生き方が素晴らしいことを中心に話していました。

起業家としてのこうしたポジショントークに、きっとこの中学生は違和感を覚えたのだと思います。「自分はいずれ家庭を築き、家族を大事にしていく生き方を選ぶと思うが、それをあなたたちは価値と感じるのか?」という質問は、裏を返せば「社会にインパクトを与えていこうという生き方の人は、自分のような考えの人を認めない/理解しないのではないか?」という問いかけだったのかもしれない。

人生の価値の総量について

人生観はそれぞれだし、多様な価値観に優劣は存在しないことは理解されつつも、一方で自分の生き方を肯定して生きていく(それを発信していく)ことで己を保つ人が多いため、時にそれは論争を呼びます。人生の価値は何なのかということをXとY軸での表現で、中学生にも伝えさせてもらいました。

アーティストとお母さん

X軸は、どれだけ多くの人に影響を与えるか。Y軸は個にどれだけ深い大きない影響を与えるか。

横に広い価値を残していきたいという人は、多くの人に自分が発信する価値を伝えたいと思う人。アーティストや世界を救うヒーローに誰もが憧れたことがあるのは、単に有名だからというだけでなく、多くの人に影響を与えていて、総合的な影響力が大きいからなのではないでしょうか。インターネットビジネスもこの形ですね。

一方、縦に深い価値を残していきたいという人は、身近な人たちに影響を与えていきたいという人。自分のお母さん、学校の先生など。好きなアーティストが解散したら悲しいけど、明日生きていくことはできます。でもお母さんがいなくなったら生きていけないくらい辛い。リアルな業態のビジネスモデルはこちらです。

よって、横長のと縦長の面積は同じ=価値の総量は同じなので、どちらの形を目指しても価値を発揮することに変わりはない。どんな形を目指したいかは自分次第。いずれにせよ、この面積をどれだけ大きくしたかが、人生の価値の総量なのだと思います。

より多くの人に影響を与えつつも、同時に身近な家族も大事にしたいから、きれいな楕円を描いていけたらいいよね、という話をしたら、中学生も少し安心してくれたのでよかったのですが、この話には続きがあります。

Z軸の存在

人生の価値はおそらく面積ではなく体積で表現することの方が適切だと思います。そのZ軸とは時間です。

「どれだけ長い間影響が続くか」という時間軸が入ったときに、やはりエジソン、レオナルドダヴィンチ、モーツァルトなどの発明家/芸術家や、スティーブジョブズのような起業家の体積の大きさを改めてイメージできます。こうした“個”だけでなく、たとえば法人、政治経済、宗教、文化芸能など組織から概念まで様々なものが3つの軸によって考えやすくなります。

色や濃さ

そしてその影響は、時によって人によって、決して良いものばかりではありません。インターネットサービスは世界を豊かにしますが、既存の雇用を奪う場合があるし、戦争特需が高度経済成長の足掛かりになったことも事実です。

人生はひとそれぞれ、価値観も人それぞれ、というものは、この3軸の中における立体の「形」によって良し悪しが決まるのではなく、価値の総量で言えば「体積」によって語られるべきだということが、言いたかったことです。さらに、色や濃さ匂い、肌触りや温度感など立体を表す要素が多いのと同じように、価値観を表す要素は多いのです。体積が大きい=正義でもない。死してしばらくして、その球体を評価された偉人がたくさんいることも周知の事実です。

もし中学生に人生の価値や生きる意味は何かと聞かれたら、自分の立体を素敵な色、素敵な形にしていくこと、そして願わくばその体積を大きくしていく生き方をしてほしい、と伝えたいなと思います。


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