アップルパイの話

りんごの豊富な季節になってきた。

果物全般そうなのだが、いつも買うか迷う。ビタミン摂取にはちょうど良いのだけれども、ひと袋を買うのは少し多いなと思って躊躇してしまう。1個立派なものを買うのも、それはそれで気が引ける。

りんごといえばアップルパイが好きなので、生で食べるのに多いなら余りで作ればいいのだけれども、そして作って作れないことはないのだが、これまでどうにもアップルパイは作る気になれなかった。

考えてみるとこれは少し妙なことだった。私の場合、たいていのものは、「食べたい」なら、それは「作って食べたい」にかわる。レシピをあれこれ検索して、できそうだと思えたら、面倒そうなことをなるべく端折って、作り、好みであればまた作る。そういうものだった。いつもならば。

しかしそれがアップルパイとなると、なんだかセーブがかかる。なぜなのか。

しばらくいろいろ考えた結果、アップルパイは姉を想起させる、ということに気がついた。

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姉は、お菓子作りが好きだった。
自分にも他人にも「こうあるべき」という意識が強く、完璧主義的なところがある姉には、レシピに忠実なことが正義であるお菓子作りはきっと合っていたのだろうと思う。
それから、恐らくは、お菓子作りによって家庭内が多少円満になるという理由もあった。実家はいつも、いろいろ、うまく行っていなかった。私とは方法が違ったが、お菓子作りは、姉なりの、身の守り方だったのだろう。

姉はよく、〇〇を作りたい、と言っては、本を買い、材料を(洋酒なんかも含めて)レシピ通りにきちんと買い揃え、道具も指定のものを買い揃え、言い出してから2週間後くらいに私を助手として従えてそれを実行した。
チーズケーキ、マドレーヌ、クッキー、スポンジケーキ、ブラウニー、そういうのをよく作った。
そして、秋冬といえばアップルパイ。売り物にならないりんごを親戚から箱で貰ったりしていたので、りんごはいつも有り余っていた。だからだ。

アップルパイは、必ずパイ生地から練った。
使うバターはちゃんと無塩バターで、粉をきっちり計量し、冷水を使い、パイ生地の折りたたむ回数も指定通り。
りんごを煮るのにも、きっちりレシピ通りの分量。バターとレーズンも入れていた。バターの包み紙の銀紙を落し蓋の代わりにするというのにも、忠実に従った。
型に、溶かしたバターをハケで塗って、分量外の粉をはたいて。そういうのも、きっちりやる。
上面に格子状に編んで被せるパイ生地も、その幅、本数、組み方、全部レシピ通り。
照り出しに塗るために、たまごの黄身をよりわけて、爪楊枝でつつき、薄膜を取り除いたり、そういうのもやって。

あぁ、なんだか、書いていたら、息苦しくなってきた。
いろいろと思い出す。覚えている。

手順が事細かにのったレシピ。
元は絵本のそのレシピを、几帳面に、印刷物のような丁寧さで、書き写していた姉。姉はそれをとてもだいじにしていた。
全部そのレシピ通りだった。

レシピに従う姉の指示から少しでもはみだして適当にすると咎められたこと。
しかし、型の形状がレシピと少しだけ違ったせいで、縁はパイ生地を二重にして高くする、というレシピの指示を実はそのとおりにできていなかったこと。
いいのかなと思いつつ、それが正しい状態だと思いこんでいる姉にそれを言い出せなかったこと。
出来上がったアップルパイは何だかいまいちなのだけれど、美味しいと言って楽しさを演出して食べなければいけなかったこと。
そういうことも、思い出した。

そう、私は姉の完璧でない完璧主義がすこし苦手だった。

ああ、それだな、と思う。
苦手な空気とアップルパイ作りが、完全に結びついている。

であればむしろさっさと一人でアップルパイを作るべきだったのかもしれない。
自分だけのための、テキトーな満足できるアップルパイ。それで早く味の記憶も感覚も上書きしてしまって、「アップルパイ」と「苦手」と「姉」の間にある結びつきを、断ち切ってしまえばよかった。そうして、頭の中でアップルパイを完全に独立させておけばよかったのだ。

そしてそれは今からでも、遅くはないはずなのだが。
作るとしたら、面倒だしホールは多すぎるから、冷凍のパイシートを適当にカットして、その上にちょっと煮たりんごか、生の刻んだりんごを乗せて、型なんて使わないで焼くのだろうな、と、思うのだが。
それでもなぜだか作る気がしない。

苦手な姉にあれこれ指図されながら、何だかなと思いながら作って、固くて、完璧じゃなくて、気を遣いながら食べる重いひと切れ、それはもう作れないし作れたとしても作りたくないのに、アップルパイたるものはそれでなければだめだと、やはりどこかで思っているのかもしれない。どこかで、姉を否定したくないのだろう。

記憶と感覚の結びつきというのは、やはり難儀なものだな、と思う。

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