他人に期待しない
語り尽くされたテーマかも知れませんがそれでもあえて言いましょう。
「他人に期待してはいけない」
これは人を信頼しないとか仲間を作らないとか、はたまた人間は悪だとかそういう話ではもちろんないです。
自分の人生を快適に生きていく為に、他者に何かを求めないでいようという心のあり様のお話です。
快適に生きるなら「他者による提供」は必須なのでは?
それはその通り。
私たちの世界は基本的に協力・分担・互助によって成り立っています。
無人島で仙人のような生活を送るのでもなければ、私たちは常に誰かの役に立ち、かつ誰かを利用して生きている。
しかし、それを「期待」してストレスになる事がありませんか?
・私はこんなに頑張っているのに相手は何もしてくれない
例えば愛情もそうですし、労いの言葉一つとってもそう。
給料やボーナス、税金なんかもそうかも知れません。
無意識に人は「自分が価値を提供した」と感じる時に同時に「(その見返りとしての)他者からの提供」を期待してしまうようです。
もちろん期待をするのは勝手ですが、そこから派生して「見返りが足りない」…つまり期待したアクションをしてくれない相手を責めるような、負の感情が起こることがあるんです。
そして時にはその感情が双方で起こっている場合すらもあります。
A「長時間の残業をして会社に貢献したのにボーナスが思ったより少ない!フザケンナ!」
B「頑張りを評価してボーナスをなんとか出せたのに礼の一つも無い!なんだあいつは!」
妻「子育て、パート、私はこれだけやっているのに旦那は家のことを何もしてくれない」
夫「ローンを抱えて会社で仕事の重圧と戦っているのに家に帰っても労いの言葉一つもない」
誤解なきようにしていただきたいのですが、双方全く悪くないです。(よね?)
冷静に見れば誰もがもっともな感情ですし、それを否定出来ません。
お前の苦労なんてたかが知れてるんだよ!なんて"それを知らないはずの"他者から言われたらそれこそ大ゲンカになってしまう。
ポイントは"それを知らないはずの"相手にいいリアクションを期待した結果、それが無かったからといって勝手に自分がイラ立っている、という図式に気付けるか、です。
そしてその"勝手にイラ立つ"ことの無意味さに気付けるか…。
物事の価値は誰もが自分で決める
SUPREMEのロゴが付いた服を着ることが最高だと思う人もいれば、いかに快適な機能を持った衣服を着るかに重点を置く人もいます。
最高級の牛肉を食べることを無上の喜びと感じる方もいれば、進んでヴィーガンとなる方もいます。
人が大事に思う価値など本当に人それぞれなんだなぁとつくづく思います。
("価値観が近い"ということが人間関係に置いて大事な理由ですね。)
人の価値観は他人にはわからない。
だからこそ推察しようとするし、だからこそ間違うわけです。
自分のルールの中だけで相手を判断するのは、ほぼ不可能と言ってもいいでしょう。
さらに、ちょっと目先を変えてみるとまた新しい真実が顔を出します。
なぜあなたの行動は正当に評価されないと思いますか?
とあるテストの点数が78点でした。
自分は90点は取れると思っていたのです。
これは誰のせいですか?
出題者のせい?テストの監督のせい?テスト部屋の空調を管理するメンテナンスマンのせいでしょうか?それともこんな制度を作った政府のせいかな?
思い切って告白してフラれました。
これは何がダメだったんでしょう?
相手のせい?その子の友人のせい?その子の元彼のせい?それとも自分をこんな姿に産んだ親のせい?
テストは78点でかつ見事にフラれたのが自分です。
それが客観的に見た、その瞬間の自分の価値だということです。
あなたに90点の価値があれば、得点は90点と出たでしょうし、あなたに付き合うに足る価値があれば、今頃二人でデートしていたでしょう。
つまり、他者の行動に期待しているだけでは、イライラして気分が悪いだけでなく、いつまでも自己反省に繋がらないという危険性があります。
自己反省に繋がらないということは当然、自己を高める必要性に気付かずに同じ失敗を繰り返す可能性が高まるからです。
自分の価値を高めることでしか、他人から"自分が望む"価値を得ることは叶わないでしょうから。
私が思う"他人に期待しない生き方"まとめ
・他人に自分の価値観が理解されているという誤解をやめる事によって、勝手にマイナス感情が発生してしまうのを防ぐ。
・自分自身の本当の価値を高める事によって、期待をせずとも他人からごく自然に提供してもらえる人間を目指す。
人間関係のストレスや色々と思い通りにいかないと悩んでいる方にぜひ試してほしい思考法です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?