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何者かになりたいと思ううちは何者かになれないよね

こんにちは!

子どもにお金にまつわる話をしている、ゆうとすです。

本日は、「何者かになりたいと思ううちは何者かになれないよね」というセンシティブなテーマでお話ししたいと思います。

たぶん、こうなんだろうなということをつらつら書いていきますのでお時間があれば見てください。

アイデンティティクライシス

ちょっと大袈裟かもしれませんが、

アイデンティティクライシスが起こりやすくなった時代について。

ボクたちは、中学生くらいのときに学校で「アイデンティティ」を学校で習ったりします。

アイデンティティとは、「自分は何者なのか」という概念でアメリカのエリクソンさんが作ったとされています。

自己表現であったり、

尾崎豊さんの「僕が僕であるために・・・」なんてまさにアイデンティティの塊かと思ったりします。

で、多くの人が高校、大学、会社勤務と社会に溶け込んでいくのですが、

2010年代から

FacebookやInstagramなどSNSの発展に伴い、

・まぶしいくらいの「比較」

・承認欲求の巨大化が起こったりして、

自分に自信が持てなくなってしまって、

アイデンティティが揺らぐという体験を気がつかないうちにしてしまっているようにお見受けしています。

実際、Instagramをよく見る女の子ほど自己肯定感が低いというデータがあるとか。

それがクライシスという危機の一つだと思っていて、

さらに、

インフルエンサーの登場によって、

コンテンツよりもWHO『=誰がいうか』が重要視されてきていて、

いつの間にか、

多くの人が、「何者かになりたい」といつの間にか願っているような気がしています。

みんなちやほやされたいのかなと。

そもそも何者かになるって

そもそも、「何者かになる」ってどういうことでしょうか?

「何者かになる」について

ホリエモンさんや箕輪さん、西野亮廣さんなど

世の中に対して影響力を持つ人間になりたいということを指すと定義します。

で、

優秀な人ほど、どうすれば、ホリエモンになれるんだろうとか考えて

ホリエモンという「理想」と自分という「現実」とのギャップを埋める努力をしようと思ってたりします。

そこが、問題な気がしています。

つまり土台の設計がおかしいんです。

「何者かになる」という目標は、

他人に求めるのではなくて

自分の中に求める必要があると思っています。

どういうことかというと、

チョコレートになりたいと思っている、消しゴムがいたとします。

チョコレートはホリエモンさんで、消しゴムが自分とします。

#気持ち悪いたとえ

消しゴムは努力して、チョコレートの要素を混ぜ込んでも

消しゴムはチョコレートになれないよねという話です。

もちろん書籍を読んだり、自己投資をしたりするのは欠かせないことです。

ですが、他人のような影響力を持ちたいというのはアイデンティティが揺らぐので、自分の中にフォーカスすると良いのかもしれません。

意外と自分という消しゴムには魅力が詰まっていて、気がついていないことが眠っている気がします。

それではまた!

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