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寂しい時の対処法(noteお題)

本の「受け売り」ですが「さみしい」という言葉には、使い方が2つあります。
1つが「寂しい」
1つが「淋しい」

よく使われるのは「寂しい」つまり「静寂感」が自分を取り巻いている
心の様を表している語句。

もう1つは「淋しい」つまり孤独な自分の心理的な様を表している語句。

実際、提供者さんは後者のほうだと思います。けれど常用語句では
「寂しい」でいいんですね。

さて。

この寂しさというのも、大雑把に言うと「2通り」あると思うんです。

一人じゃない「独り」の心のさま。
それと「大事な人に届かぬ想い」の心のさま。

どちらにせよ、それに煩悶し、体が固縛され、どうしようもないと
いうのが、寂しさの感情・行動だと思うんです。

自身は、幼少期から両親にほぼほぼ放っておかれて育った関係の中で、
寂しいという感情よりも、生きなければならないという、切羽詰まった
日常があったので、寂しさは自然とありませんでした。

例えば、いじめも受けてたので、友人と呼べる存在も少なかった。
それでも、寂しさを感じる事が無く、一人で遊ぶ事を逆に学び、そこから
一人で余暇を過ごすというのを、覚えていったと思うんです。

また今後書くと思いますが、自分は衆人といるのは、本当は苦手なんです。

仕事柄、多くの人と繋がりを持っていますが、休日くらいは一人でいたい。

今は、生活のオン・オフが出来ていて、一人でいる事が出来ていますが、
出来なかった当時、突然一人でフラッと家出をしていました。
いわゆる「放浪癖」でした。

自分にとって、対処出来ないのが「想いが通じない」という「淋しさ」の
ほうなんですね。

これも今後noteに書きますが、この自分ではどうしようも出来ない、
「相手への想いがうまく伝わり、成就する」的な、自分にとっては
完成作品を作ることすら出来ない感情は、それはそれは辛いものでした。

しかし、数年前の出来事で、その淋しいという感情は無くなりました。
いわば「寛解」できたんですね。

では、寂しさ解消法という所での、自分の結論ですが。

答えは2つ。「動く」か「止まる」か。

つまり、例えば寂しさの場合だと、自分が接点を持てるパーソナルスペース
をしっかり守った上での付き合いを、自分の好きなカテゴリでやっていく。
そこに出会いがあって、また次への出会いが出来て・・・と。
ここでは自分の好きなカテゴリというのが重要かなぁ。と思うんです。

なんでもかんでも人付き合いをすれば寂しさが埋まるかといえば、決して
そうではない。
自分の居心地のいい場所に、相手を誘う(いざなう)ような行動でないと
逆にストレスになり、それを放棄した時、ますます寂しくなる。

やはり、人との接点はあったほうが良い訳で、しかし多くの人と・・・。と
いうのは、違うと思うんです。

自分にあった場所(カテゴリ)とキャパシティが重要になるんじゃないかと
思います。

淋しさ。届かない想いをどうするかという事になれば、
相手がいてこその「淋しさ」な訳ですから、そこを乗り越える努力が必要で
これは
「当たって砕けて」か。
「石橋を叩いても渡らない」か。
そう・・・。
動くか止まるか。の選択になると思います。

案外な話なんですけれど。
淋しさは、一時の障り病と同じく、風に吹かれていれば、つまり、日常に
生きて、一時期の風雪を乗り越えれば、絶望を捨てれば、いい思い出に
必ず変わります。

4人の仲間が逝った自分の場合は、その人々に、それを言ってくれて、
支えてくれる人がいなかった。
自分がそれが出来なかったという所で、淋しさを感じています。

それがあったからでしょう。
数年前の淋しさは当たって当たって、砕ける脆さをバネにして、
自分が納得できる形にまで仕上げられた。
だから、淋しいと思う事は、今後は無いと思います。

けれど、提供者さんは寂しいと。
解消方法は、今の通りなのですが、今度は対処法ですよね。

これはもう。
「寝る」に限ります。夜を無視してしまう事です。
それはそれは眠れない事もあるでしょうが、寝床orベッドから
体を起こした時点で、また悶々とした、解決方法を自問自答する
スパイラルに陥ってしまいます。

その言葉とは逆に。
「朝は必ず来る。」これは絶対法則です。

夜の気分、つまり睡眠不足で頭が酩酊状態のままでいてしまうと、
負の連鎖が起こる。
日常の行動すら危ぶまれる意識の中で、常に抱えている淋しさと戦う
事が出来なくなってしまう。

煩悶していてもいい、寝返りを何回もうち、中途覚醒があってもいい。

とにかく横になる。立位状態は緊張感があるんです。
これは遺伝子的にも言われている事で、古代時代の危険が多かった時代の
名残なのですね。

なので寝るという言葉ではおかしいので「必ず横になる」これが対処法で
朝が来れば、自分の煩悶を再度考えるほうが、より有効かと思います。

そこで自分のようにオーバードーズや、アルコールに頼ってしまうと・・・。
それもほどほどにしてくださいね。

これも提供者さんへの「支えの1つ」になればいいと思っています。
「心の支え」は多くあっても損はしない。

土を押し上げる「霜柱」の1つとして、自分があればいいなと、
思っています。

ゆうさん


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