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「住めば都」になるときは来るのか?

私は、某所に住んでいる。(当たり前だ)

具体的な地名はプライバシーの問題で出せないという側面もあるが、そこを地元とする人や好んで住んでいる人に怒られてしまいそうだから伏せておくことにする。

社会人として働き始めることになり、会社から徒歩10分圏内の”某所”に引っ越してきた。親が過保護気味なこともあり少し距離を取りたくて、大学進学のタイミングから一人暮らしをすると意気込んでいたが、第一志望に落ちてしまったため実家から通える距離の大学に通うことになり一人暮らしは遠のいていた。そして、就職をして4年越しでとうとう一人暮らしができるとわくわくしながらやってきたのがこの町だった。

住み始めて思ったのは、あまりきれいと言える場所ではないということだった。わくわくしながらやってきた夢見る少女からすればちょっとがっかりという感じ。感覚的のものなので説明するのが難しいが、道、建築物、ゴミの出し方など総合的に見てあまりきれいではない。
あくまで私の感覚だということを強調しておく。

一番嫌だったのはカラスが多いこと。朝、会社に向かうまでの道でカラスがゴミを荒らしているのを見るのが苦痛でしょうかなかった。なんならメンタルやられそうだった。(ちょっとおおげさだと思われそうだが・・・)
いや、毎日カラスに荒らされること分かってるなら対策しろよ・・・って思ってしまうのは私だけだろうか。

あるときは、朝出勤していると歩いている隣の車道にかなり大きい音を出して走るうるさいバイクが通った。うるさいなぁと思っていたら、すぐ上のアパートのおじちゃんがベランダに出てきて「うっさいねん!!」と大声で罵声を浴びせた。もうバイクは通り過ぎてしまっていたので、結果すぐ下にいた私だけが怒鳴られるような形となった。
朝から災難過ぎる・・・。

そして、これは自分でも良くないことは分かっているのだが一度嫌いになってしまうと全てが悪く見えてくる。
例えば、通りすがる人でさえ好きになれなくなった。

働き始めた会社でも、業務のおばちゃんに怒られっぱなし。電話に出れば理不尽なことでおじちゃんからいびられたり怒鳴られたり・・・。仕事を好きな人の方が珍しいのかもしれないが、町の一部である会社も嫌いになった。

町が含んでいるいろんなものが嫌いになってしまった。でも暮らしのほとんどがここで完結してしまっているので逃げ場はない。

その反動か、たまに遊びに行っていた京都が大好きになった。いつかあんな所に住みたいとすごく思った。(住んでみたら住んだで欠点が見えてくるものなのだろうか・・・。)

私にとって住む場所の持つ「雰囲気」はすごく大事だということが分かった。自分が毎日目にするもの(景色とか人)たちが形成する、自分が包み込まれている空間の雰囲気・空気感のというのは意外と幸福感に直結していると私は思っている。

住み始めてもうすぐ一年が経とうとしているが「住めば都」にはなかなかなってくれない。だから、もしかしたら今住んでいるこの町は私には合っていないのかもしれない。それとももう少しの辛抱が必要なのだろうか・・・?

さらに、この町では私からすれば信じられないようなことが起こっているらしい。自分の住んでいる周辺地域のニュースがLINEで流れてくるのだが・・・。

大根を持った無精ひげのおじさんが「全力疾走で逃げないと殺すぞ」と言って小学生を追いかけていたり

モデルガンのようなものを持っている人が目撃されたり

年配男性が自転車に乗っている女性に通せんぼをしたり

もちろん、れっきとした事件なので決しておもしろがっているわけではない。そんなことが起こるのかという信じられないような気持ちの方が大きい。

これは完全なる妄想だが、10年後私が結婚して、もし念願の京都みたいなところに住んでいるとすれば、この町に住んでいたことやこの町で経験するいろんなことがいつか愛おしく思えたりするのだろうか。
どこかお気に入りの場所(行きつけのご飯屋さんとか)を見つけたり、大好きな人とこの町で出会うみたいなことがあれば、気付けば好きになっていた!みたいなこともあるのかもしれない。ふとした出来事で印象が変わることもあるかもしれない。

どっちにしろ今は私にとって、これからの人生の生き方を色々模索する時間のようだ。どうなるかなんて分からないが、今はこの町でもう少し頑張って生きてみようと思う。

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