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生きる、死ぬ。の考え方

少し前に大切な人が亡くなったのですが、お通夜で故人の妹さんが人生だからね、死ぬのも当たり前のことだもんね。と話されていたのをよく覚えています。

それを機に、死ぬのは当たり前のことだとなんとなく受け入れられるようになった気がします。

死ぬのは仕方ないこと。

半年程前などは、うつの影響もあって死にたいと思ったり、なんで生きてるのかわからなくなったりしていました。

うつの影響とはいえ、一度抱いた感情なのでもう一度考えてみましたが、
生きる意味、そんなのは無いと私は思いました。

たまたま生きることになった命なんじゃないかなと。
もちろんこれは答えなんかではなく、ただの私の考えですが。

生まれて、生きて、死んでみなきゃ意味があるかなんてわからないと思います。

私は突然死の恐れがある病気を患いましたが、病気じゃなかったとしても突然死んでしまう可能性はありますよね。

そう考えたら、みんな一緒だなと思うんです。

病気の症状は煩わしいですが、生きる。死ぬ。の話で言ったら同じラインにいるというか。

がんばって生きてねとか、もっと長生きしようとか言ってくれて素直にありがとうと思うけれど、
そっくりそのままお返ししたいです。

私は病気で死なないように頑張るけど、君も死なないでねと。

私たちはこの世の事しか知らないから、死んだら終わりだと思ってるけどそんなのわからないじゃないですか。

倒れた時、胸痛発作が起きた時、眩暈で吐きそうになった時。その時は、あ、死ぬのかも。って思うんです。怖いです。

死ぬのは仕方ないことだと分かっていても怖いから、
死なないように頓服薬を飲むし、落ち着かせようと試みる。

でも、これらの行動は、死にたくないから薬飲もうって冷静に頭で考えてるのではなく、割と本能的に動いていると思うんです。

私なりにこの人生を楽しんでいるから手放したくない。

そういう思いが心のどこかにあるから死ぬのが怖くなって本能的に死を避けようとするのかなあと思いました。

大切な人を亡くしたら深い悲しみに包まれるけれど、仕方がないんですよね。

その人と過ごした時間が大好きだったんだと思います。

私たちは生きていると本能的に死を避けて生きていると思うので、避けられなかった時はそれはそれで運命なのでしょう。

怖いこと言ってるなあと思われるかもしれませんが、
皆平等に死と隣り合わせで生きているから、

病気であろうがなかろうが好きなことを後回しにせずに生きていきたいものです。

こんな風に願望を言ったとしてもなかなか実行できないことなんだけれど。

死を恐れずにもっと自由に生きられたらいいのになと思います。

今日こうやってだらだらと死生観について書いてみたのは紛れもなく自分のためです。

書いたからといって何か変わるわけじゃないけど、現時点での生と死との向き合い方を残してみます。

手術は無事終わり、今は高熱にやられているところです。

熱をとっとと下げて、体調を秒で安定させて予定通りに退院せねば渋アカ出れなくなってしまうのでこの任務はなんとしてでも果たしたい所存です。

あ、タチバナシは
12:00〜庭(ヒカリエ11F)です^^

新曲もあります。アレンジしました。
出番終わったらすぐ帰らなきゃですが、今年も庭で歌わせていただけることになり、はっぴーだ!!

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