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ケアマネジャーとしての自分の信念

私は現在、介護支援専門員として働いている。介護が必要となった高齢者を対象とした相談援助業務。人の晩年、最晩年を支援するというような役割である。
その具体的な業務内容は多岐に渡る。要介護者である本人、家族と面談し現在おかれている状況やそれぞれの考えを聞き取り適切な介護サービス、その他の社会資源の紹介や利用についての調整を行う。サービス導入後は、適切に提供されているか、生活状況が変わっていないかなどを定期的に確認しながら、サービスの再調整などを行っていく。どのようなサービスを利用し、どんな生活を目指すのかを示した計画書を作成し、1か月毎国保連への報告と請求を行う事務的な作業もある。

利用者本人に直接関わって介護を提供することはなく、何をやってるのか曖昧で、その役割が分かりにくい職種ではあるが、一人の方を総合的に支える連携の要として重要な位置にあることは自負している。

そんな私が職務を遂行する中で、一番大事にしていることをこれから書いてみたい。いつも胸に置いている言葉は「利用者に意思決定してもらう→利用者が判断し決定するための支援を行う」

人が生きるって何なのだろう、最良の生き方ってどういうことだろう、この仕事をしていると必ずこの問いに突き当たる。今の自分が見つけた答えは「自分の道は自分で作る」「自分が納得したことを選ぶ」自己決定すること。自分の生き方を自分で決めること。どの利用者にとってもご家族にとっても、最善だと信じる方法を選ぶことが最善の策だと信じている。
自分のこと、自分が大事にしている親や配偶者のことだもの、納得できない選択をしてしまい、それが後々取り返しのつかない事態になってしまったら、それこそ一生の後悔になってしまう。悔いの残らない人生にするためには、自分が納得していることが最低条件だ。
ケアマネジャーは、人の人生の最終段階、おそらく最期をどう迎えるか、どういう方針を立てるかって時期に立ち会う。表面的には介護サービスの紹介と調整で成り立つけれど、突き詰めていくと、関わり方次第で状況が変わってしまうこともある、深くて難しい仕事だと思う。

時々、ケアマネや医療や介護サービスの事業者になんやかや言われて不本意な方針に従ってしまった、こんなはずじゃなかったみたいな話を耳にすることがある。専門職の意見に押し切られて、納得できないままサービスを利用したり入所したり、やりたいことに反対されてできなかったり、あるいは意図しない形で最期を迎えることになったり、なんてことがあるかもしれない。
支援者が予想した経過より、それが良好なものであったとしても、利用者が受け入れる現実はもっとシビア。違う道を選んでいたらもっと良い結果が得られたんじゃないかと疑われてもしょうがない。

誰にとっても人生は一度きり。ご本人とご家族がどのような道筋を辿って今があるのか、それは人それぞれ違うけれど命は等しく重く尊い。その最期の瞬間まで人は大事にされなければならない。人を大事にしたい、尊重したいって支援者側の想いはある。だけど大事だから、自分の正義を伝えたいって勘違いしがち。利用者にとって大事にされてるって感覚は自分を認めてもらうこととほぼ同義だと思う。本人、家族が選択したことは肯定して捉えることが基本。

とは言っても、医療や介護の専門職には、その利用者の置かれてる状況や環境が極めて不適切に映る場合がある。こんなところを改善したら良い、こんな解決を目指したら良いとたくさんの情報を提示して問題解消を図ろうとするけれど、なかなか思うとおりにならなかったりする。
どんな解決策も支援を受ける側が問題と認識していなければ空回りするだけ。

「利用者の自己決定」を第一に考えながらも、それが一番ご本人にとって適切なことなのかって葛藤とケアマネジャーは闘うことになる。指示する、言い聞かせる形ではなく、できるだけ利用者に届くような言葉を選んで提案や助言をする。現状を見て、少し考え方を変えてもらえないかと関係する支援者と知恵を出し合って状況の打破を試みる。支援者の考えを伝えるために、利用者の想いは、もっとたくさんの時間をかけて聴く。一方的に伝えるだけでは相手の心は閉ざされる。自分の気持ちを伝えられる相手にしか人は心を開かない。できるかぎり誠実に向き合うことで、ご本人や家族の中で何かが変わることもあるし、新しい道が見つかることもある。だけど、何も変わらないこともある。変わらなくても、それは変えたくないって想いを再認識することだったりする。

結局、人の気持ちって外から変えることはできなくて、その人が思ったことをするのを見守ることしかできない。利用者が決めたことが最善と思うしかないって結論になる。自分の側からしたらそれは「諦め」に通じる。そもそも、他人を自分の思うとおりに変えられるなんて傲慢以外の何者でもない。突き放すわけではないけど、自分にできることは限られている。ケアマネジャーは対人支援が職務だけれど、無条件に人を救えるような立場ではない。

自分にできることには限界があって、「諦める」ことも仕事の範囲だけれど、諦めていないことだってある。それは利用者を信じること。その決断が辛くなったり、迷ったりすることはあるけれど、一緒に考えて選んだことがいつだって正解になることや、決断する力が利用者の中にあること。どんな道を選んでも、選ばなかった選択肢がある限り振り返って迷うことは必ずある。だけど、精一杯考え抜いて出した結論だから、それが正しかったんだと胸を張って伝えられる。

どのように人生を締めくくるのか、それは人によって違う。だけど、その方の最期がやるせない後悔で埋め尽くされてしまい、その原因を自分が作ってしまったとしたら、こんなに罪深く、申し訳ないことはない。
利用者に後悔させないこと、これだけを肝に銘じて職務に取り組んでいると言っても過言ではない。

自分のこと、自分の仕事のこと、とても3,000字では書き尽くせないけれどケアマネジャーとしての自分の軸って何だろうって考えてみた。諦めながら信じること。最期までより良く生きていける後方支援的な立ち位置でいることだと再認識した。

*高齢者介護においても虐待ケースのマニュアルは定められており、生命の危険があるような重篤な時には然るべき対応を取ることは明白。そこまでの判断ではない場合にケアマネジャーとして自分がこんな風に考えてるという自己紹介的な記事です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。