見出し画像

目の前の事に「真摯に取り組むこと」で自分が満たされ導かれる


未熟上等。

以前の私は、いつも自分以外の人に評価されるイメージに縛られ
「うまくやらなくては」「うまくできなかったらどうしよう」と思っていたし、できなかったときは自分が自分を責めていた。他人ともよく比較した。
そんなつもりなくても「頑張った自分を褒める」ことより「できなかった自分を責める」のが当たり前になっていた。

今も、何でもできるようになったわけじゃなくて
できるようになったことが増えてきたという感覚。
見えてないこともあるし、できてないこともたくさんある。そんな状況に変わりはない。それでも 自分がしたいと思ったことを少しずつではあるが行動に移せるようになった。「失敗してもいーじゃん。頑張ったから失敗するんだし。」「失敗とチャレンジなら・・・チャレンジやな」
・・・そんな自分が愛おしくもある。
自分を完熟?だと思えるようになったら次のステージの入口なのかもと思うのでまだまだしばらく未熟でいい。未熟がいい。未熟上等。


着ぐるみ全盛期。


自分と向き合うことを避けて外ばかり見ていた。
表面的な自信を隠れ蓑に歩いてきた。
いろんなことで傷つき、その都度殻を厚く仕立て直し
表には鏡を貼って何か来ても跳ね返す勢いだった。
ミラータイプの着ぐるみを幾重にも着ている感じ。
本当の私なんて見ようと思ったって見えやしない状態だ。
着ぐるみが自分だと信じて疑わなかった。着ぐるみも環境や状況に応じてとは言え自分の意志で着たんだし。成長したなと思ったり(笑)

あるとき、その着ぐるみ=殻が叩き割られた。
めっちゃ強い力外部からの衝撃で叩き割られ中の人が壊れたと思った。
びっくりしてそこから動けない日々が続いた。

でも よくよく考えると
「殻を割りたい」「ここから出たい」「着ぐるみ脱ぎたい」「こんなの望んでいない」「まんまの自分でいたい」そう願っていたのは私の中の人その人だった。それに気づくまで数年かかった。うっすらわかっていたけど衝撃波にやられて(弱)中の人がどっかに吹っ飛ばされていた感じすらある。
中の人がいないから着ぐるみっていうか、かち割られたぬいぐるみ状態(笑)


潜在意識が用意してくれるもの。

自分がここから抜け出したいと潜在意識にオーダーした時に用意されるのは
同じような気持ちを抱えている人だ。
自分が密かに怒りを感じていたら怒りのパワーがすごい人が寄ってくる。
自分が不満を抑え込んでいると不満爆発の人が寄ってくる。
知らないうちに自分のココロに傷ができていた場合は 同じようなところに傷を持つ人が現れて教えてくれる。
多分。 実感がすごいあるから合ってる。と思う(弱)

全ては写し鏡・・・そしてブーメラン

殻をたたき割られて自分がボロボロになったと思ったけど、私が先にボロボロにしたことに気づく。(強)
自分が相手の殻をぶったたいて破壊したからそのエネルギーが帰ってきて私の殻をぶったたいた。結果どっちも殻を破壊して中の人が出てきた。衝撃波はすごいけど結果オーライ。

このシステムを知ることでいろいろと許せるようになる。というより許せざるを得ない状況に置かれる(笑)

若いころから「もし真逆の立場だったら」という軸は持っていた。
ただ、それは仮定でしかなかった。ここへきて「確実に自分もやってる」という考えを持つようになる。

以前は「〇〇されて嫌な気持ち。だから自分はしないようにしよう」
      
⇒ 相手はワルモノ。自分は未然に防いだからワルモノじゃない認識

現在は「〇〇されて嫌な気持ち。やっべ誰かにやらかしたな。自分」

⇒ 自分がやらかしたことが気になって誰かを責めるどころじゃない・
自分がやらかしたんだからやられて当然、むしろ教えてくれてありがとう!な認識 許すっていうよりむしろ許してくださいw

どちらも気づきだけど現在のは「進化した気づき」だ。(そう?)

自分に起こっていることは、やらかした自分へのメッセージだと確信する。そしてそれは降り注ぐ星の数ほど伝えられてくる。(多っ…汗)

目の前に「怒っている人」がくれば「それは怒るよね~」と言いつつ「私が怒ってるんだ・・・何に対して怒ってるんだろう」と探すようになったし「傷ついている人」がくれば 癒し、自分の傷も探す。

自信がなければ自信がない人がくるし
突き進もうとすればそんな勢いのある人や後押しが得意な人がくる。
自分にブレーキをかける人がきたとしたらそれはすなわち自分の中の不安や進むことへの迷いが呼んだ人ということだろう。

気を付けてみていると関係のない人は全くいないと言ってもいい。
それぐらい私が招いているということだ。
目の前のことに真摯に向き合うということは「自分が招いた事態には責任を持つ」ということかもしれない。


「自分のことは自分で。」

以前 勤めていた店舗のお客様で上記のように仰るご婦人がいた。
動きがしんどそうな時は自然と手を差し伸べたりしてしまうが、その方はいつも「時間をかけてもご自身で」なさろうとしていた。
当時は「頼ってくれても全然いいんだけどな」と思っていた私。
クライアントや我が子にあることを伝えるようになってから彼女の言葉の本当の意味を知る。
それは「自分のことは自分で満たす」ということ。
自分の器を誰かに埋めてもらおうとしないこと。
自分の器は自分で埋めるということ。
本当に自分がしてもらいたいことは、自分にしかわからないからだ。
一人一人がそれをすることで誰かのものを自分にもらおうとは思わなくなる。愛でも時間でもエネルギーでもそうだと思う。
彼女はその法則を常に採用していた。

自分がどうしたいかわからない。

これもいつも思うが「人のことは良くわかるけど自分の事となるとさっぱりわからん」ということ。 そりゃーね 目も耳も外向いてるし。内側見えないし!ってなる。考えてもわからないから感じるようにした。自分の「感じ方」を方位磁針にするのだ。

それでも進む方がわからない時は 鏡の法則を併せて見る。
目の前に現れることだけをきちんとすれば、それがすなわち自分を満たすということになる。
つまり裏を返せば先に目の前の人を満たせばいいということになる。自分を犠牲にするわけではない。目の前の人と自分はセット。ニコイチなのだ。


自分に必要なものしか出現しない。


クライアントも、友人も、そして家族も、彼らに起きていることは私にも起きていること。びっくりするくらいフィットするのだ。
これらに真摯に向き合うことで自分がよくなる(成長する)とわかる。

ご縁で結ばれた人の悩みが解決できるように情熱をもって関わる。
そしてそれが達成できたときに鏡の中の私も救われる。

自分で自分を満たすとはそういうことかもしれない。と最近感じる。
あ、知ってた?(笑)


完熟までの道のり。

今の私は「進みながら成る」でいいと思っている。
評価されることがあっても無理して背伸びしていなければ
そのままの私を評価してもらえる。最高のアドバイスだ。
自分の首をしめるような変なプライドを捨てて、自分がいつまでも成長過程だと思っていればそこからどんどん学べる。

今できることを全力で。
そして目の前のことを一つずつ。
全てが自分に必要なことだ。
それしか来ない。
何なら自分の中の人がこっそり準備してくれてる。
中の人だからよくわかってる。

実際、自分が解決できた部分を持つ人は周りからいなくなっていく。
不思議と距離ができていくのは「私がクリア」した部分を持つ人だ。
それも自然なことなのだと思う。

現在抱えている(であろう)自分の問題をミラーマンを通じて解決して自分を癒し、満たしていく。それと同時に、自分の中から愛が溢れて足りない誰かのもとに流れていくことを祈って今日を進める。

私が「やりたい」と思っていることは、きっと同じようにそれを求めている人たちと出会って、真摯に向き合うことをきっかけに「私を満たす」ことなのだろう。 自分を満たすために周りを渦に巻き込んでいく。

私にとってご縁のある方は まさに自分のような存在。自分は彼らの一部であり逆もしかり。異様な距離感で恐ろしく感じる方もいるだろうな・・・笑
「自分の事のように」心配したり関わったりするのは私が「自分もその人の一部である」と認識しているからであって決して怪しい者ではございません。えw十分怪しい? まあそうかも・・・|ω・)

バウンダリーオーバーに気を付けながらこれからも愛の力と宇宙の力(一緒?w)を頬袋にいっぱいつめて(食いしん坊)心地よく感じる方へ一歩ずつ進んでいこうとココロに決めたのであります。

今日も大切なお時間を使って読んでいただきありがとうございました♪



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?