『結婚は修行』だからこそ意味がある
「結婚は修行」よく聞くセリフだ。私はこの言葉を聞くと、芸人がバラエティ番組でやる滝行を思い浮かべていた。ただひたすら痛みと寒さに耐え、時間が過ぎるのを待つ。
『結婚は修行』も『結婚は忍耐』も同意語だろうと思っていた。
でも最近は、結婚をしてもしなくても、人は結婚という制度を通して葛藤し、自己成長しているんだと感じるようになった。
修行は単なる忍耐ではなく、心身を鍛練することなのだ。
結婚は恋愛の延長ではない
父方の祖父母はお見合い結婚だった。
遠方に住む祖父母と会うのは1年に1〜2回程度しか無かった。
遠くから息子家族が来るとなれば、楽しく過ごしてもらえるように全力でもてなしてくれる祖母だったが、祖父への嫌悪感を隠しきれなかったのか、二人が喧嘩をする場面もよく見ていた。
孫の私が祖父母の夫婦関係を詳しく聞くことはなかったが、祖母は祖父にだいぶ泣かされて生活をしていたらしい。
所謂昔の男という感じで、女を見下し、浮気も好き勝手していたようだ。
祖母が入院したと聞いて家族で駆けつけたとき、ふっくらしていたはずの祖母が痩せ細っているのを見て、私はつい泣いてしまった。
そんな私を近くに呼び寄せ、祖母は耳元でこう囁いた。
「大好きな人と結婚してね」
その言葉には、祖父を最後まで好きになれなかったことや、好きな人と結婚していたら幸せになれたはずだという祖母の想いが詰まっていた。
そして、私は大好きな人と結婚した。一目惚れからの大恋愛だった。
高校生の頃から7年付き合って、結婚15年目の2022年、夫の不倫が発覚した。
「大好きな人と結婚したけど、ダメだったよ、おばぁちゃーん!」
祖母の遺影の前で、祖母に語りかけた。
恋愛結婚だろうと、そうでなかろうと、幸せな結婚生活を送れない。
しかし一方で、恋愛感情無しでも幸せな結婚生活を送っている人もいる。
私の知人女性は、『男友達』と恋愛感情無しの結婚をした。
少し発達障害があるその男友達を支えていけるのは、自分しかいないと思ったらしい。
男性としての魅力は全く感じないし、ときめいたことも一度も無いが、一緒にいて楽しいし、恋愛感情が無い分色々と気楽なんだそうだ。
結婚と恋愛は別物。
「この人と生きていく」という覚悟をして「どうしたら幸せに過ごせるか」を二人で模索していく作業が、結婚生活なんだと思う。
そして、その作業に必要なのは愛情。
神様に誓うのは『永遠の愛』であって『永遠の恋愛感情』ではない。
男友達と結婚した知人女性は、夫に恋愛感情は無くても、愛情はずっとあるのだ。
結婚の最大の特徴は、別れの難易度の高さ
以前、知り合いの男性が離婚してすぐにマッチングアプリで恋人探しをしていたことがある。
当時私は30代前半で、10歳ほど年上のその男性のことを『薄情な人』だと感じた。
一生の愛を誓った人と別れて、すぐに次の人を探すなんて…
私だったら、少なくとも2年くらいは引きずって欲しいものだと思ってしまった。
その男性はこう言った。
「できる事は全部やりきって、もうお互いに辛いだけだから離婚した。離婚した時点でもう気持ちは吹っ切れてる。」
どうやら奥様が鬱病になってしまい、長年二人で苦しんだらしい。
当時の私には理解出来なかったが、今ならわかる。
離婚を躊躇する要素は山のようにある。
ただの交際とは違って、婚姻関係を解消するというのはかなりのハードルがあるのだ。
それでも離婚という結論に至ったのは、もうこれ以上何も出来ないという結論が出るまで、二人でとことん模索したからに違いない。
この別れ難さが、結婚が修行となる大きな要因なのではないかと思う。
相手ととことん向き合うということは、同時に自分自身とも向き合うことになる。
上手く行かない原因を、相手のせいにする時期もあるだろう。
でも次第に、他人は変えられないと分かる。そして変えられるのは自分だけなのだと悟る。
離婚を考える時、自分にとっての幸せは何なのかを考える。
相手のためにどこまで譲れるのか、どうしても譲れないところは何なのか考える。
結婚を続けるために、自分の意識を変える必要性に直面し、壁にぶち当たりながらももがき続ける。
配偶者との関係だけじゃなく、配偶者の親族との付き合い方についても悩み、苦しみ、自分と向き合う。
配偶者という他人を通して、自分と徹底的に向き合う。
それが結婚による修行であり、自己成長なのだと思う。
結婚しなくても、結婚を通して人は成長していく
テレビで、婚活事情を紹介する番組が放送されていた。
番組内では、婚活中の男性陣が、姿勢矯正研修や食事マナー研修、料理研修などを受けていた。
正直、付け焼き刃で料理を覚えたところで、結婚した後に料理をしなかったら意味ないんだけどなぁ…と思った。
それに、姿勢や食事のマナーはその人の今までの生き様が表れるので、むしろ何も変えずに婚活に挑んでいただきたいものだと思った。
しかし、彼らは真剣な眼差しで「これをキッカケに自分も変わりたいと思う」と語っていた。
自分の内面を見てもらうためには、「また会いたい」と思ってもらうことが大事で、そのためには第一印象を良くすることが必要なのだ。
付け焼き刃だろうとなんだろうと努力するしかないということだろう。
彼らは研修を通して、今までの自分の生き方と向き合っていたのかもしれない。
『結婚しない』を自ら選ぶ人もいるし、結婚したいけど出来ないという人もいる。
どちらであろうと、『結婚するのが普通』と思われる世の中では、どうしたって結婚というものを考えさせられる。
そして自分にとっての幸せとは何かを考える。
結婚しなくても、人は結婚という制度と向き合うことで、自分と向き合い、修行しているのだと思う。
『結婚=幸せ』という呪い
「結婚はゴールじゃなくスタートラインだ」とよく言う。
結婚生活は修行であり、婚姻関係を結ぶ行為は
「私はこの人と修行に出てみることにしました!」
という宣言をした段階であると言える。修行に出るのはそこからなのだ。
確かに、一緒に荒波を乗り越えたいと思える相手と出会えたこと、そして相手も同じように思ってくれることは幸福に違いない。
でも、そこから始まる結婚生活が幸せかどうかは別なのだ。
それなのに、世間は結婚と幸せを結びつけたがる。
『結婚=幸せ』という考えは、結婚していない人だけではなく、結婚している人をも苦しめる。
・「結婚してるのに幸せじゃない」
・「他の人と結婚していたら幸せになれていたかもしれない」
・「この結婚は失敗だったんじゃないか」
でも、長い結婚生活の中の『今』という点で見たら、その時点はまだ『幸せに辿り着く途中』であることも多いと思う。
今は苦しいけれど、幸せを目指して修行中という状態。
『結婚=幸せ』と考えると、幸せじゃ無い結婚を続ける意味があるのか疑問を抱いてしまう。
でも修行中であると考えれば、自己成長のために必要な期間だと思えてくるかもしれない。
私たちの修行はまだ続く
正直、私の現在の夫婦関係は上手くいっておらず、「幸せです!」と言える状態では無い。苦悩の日々である。
でも日々自分と向き合うことで、確実に自己成長していると感じられる。
自分にとっての幸せとは何かを考え、自分が絶対に譲れないところが何かを考えている。
自分の問題点と向き合い、自分を変える努力をしている。
この修行の先に『夫との幸せ』が待っているのかはわからない。
でも、例え離婚したとしても『自分にとっての幸せ』のヒントを得られるのは間違いない。
それはそれで『幸せに辿り着く途中』であると言えるだろう。
何かを学べたのなら、その結婚に失敗は無く、『経験』となるだけだ。
「もう全部やりきった。何も後悔は無い。」
そうお互いが思えるまで、私たちの修行は続いていく。
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